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ご近所目線、旧中川雑感

 江戸川区のお隣り、江東区に長く暮らしています。私たちってば、東京の東側の下町で、ハザードマップの常連であるゼロメートル地帯。平坦で、“さんずい”を抱える川の街。とりわけひょこっとこちら側(江東、墨田側)にはみ出ている平井にはモーレツな親近感を抱いていますが、「あっ、違う街!」と強く感じさせられるのは川の流れ。平井の川はうねっているのです。

 その姿は数字の3を反転させ伸ばしたようなうねうね。平井の川である旧中川はこのうねうねで平井地区を囲んでいます。江東区は江戸期に輸送用途メインに開削された碁盤の目状の水路ばかり。地図を眺めているとうらやましくなる見事な曲線です。中川開削の際に、既にあった付近の池や沼を掘りつなげたことで生まれた屈曲のようです。
 ちょこっと川の歴史をおさらいします。将軍吉宗の命で享保14(1729)年に開削された中川。利根川の氾濫被害を防ぐ治水事業の一環で、以降も水害解決への土木工事は長~く続きます。昭和5(1930)年に荒川放水路が完成。このとき、中川本流から分断された下流部が平井を囲む一帯の川で、旧中川と呼ばれるようになりました。
 昭和38(1963)年の中川放水路(新中川)の開削をもって、このあたりの治水は一段落。新中川開削は戦禍の中断をはさみながらも達成された大規模な開発事業で、水との格闘年表が刻まれています。

ふれあい橋

「この辺はゼロメートル地帯だからね。雨が降ったら膝まで水に浸かって、金魚が街に泳ぎ出してたんだよ」。小学生の頃によく地元出身の先生が話していた大雨体験(ブリコルひらいの活動で金魚と下町の歴史を知り、長年の疑問が氷解です)のように、幼少時より、水害の恐ろしさを叩きこまれてきました。川の歴史を紐解くと、現代の都市生活が享受している治水の有り難さが身に沁みます。中川放水路と荒川放水路、上流のダム群に数多の河川、みんな大好き首都圏外郭放水路などなど。

  旧中川が面白いのは、治水開発が落ち着いた昭和40年代後半から手掛けられた護岸計画が、「地域密着の親水」がテーマと言えるものであるところです。治水技術の発展も後押しし、さんざん悩ましてくれた河川が、今では整備されて街に緑と広々とした散歩道を提供してくれています。ぜひ、歩いてみてください。

  関東大震災と東京大空襲に遭い、被害を逃れた歴史ある風景と、更地から立て直した新しい世界が同居する地域を、旧中川はぐるっと囲みます。東側には荒川の立派な土手がそびえます。古くて新しい、人の生活と共に発展した現役の川は、平井の街の強さを支えているなと感じます。
 以上、隣の区から眺めた平井雑感でした。旧中川をはじめとする江戸の水運については、さらなる下流にある江東区中川船番所資料館に展示がまとめられています。

参考:
『川の地図辞典 江戸・東京23区編』(菅原健二、之潮、2008)
「旧中川整備事業の完了に向けた取組みについて」(東京都建設局江東治水事務所)
東京都建設局Web「川のはなし」
(https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/chisui/tokusyu/hanashi/index.html#nakagawa)

文 KANA.T


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