ひきこもり報道について思うこと

最近よく目にする“ひきこもり”についての意見。私はそれを気にせずにはいられない。何を隠そう私も”ひきこもり”の一員なんだもの。

まず、私がひきこもりになるまでの話をさせてくださいね。

私は高校までは成績もいい方で、決して多くはないけれどいい友達に恵まれてそれなりに充実した学校生活を送っていた。このまま卒業して、憧れのあの大学に入って、IT企業にでも入るんだろうなぁ。当たり前にそう思っていた。

今になって思えば、異変が起きたのは高校一年の夏。私が入っていた部活は夏休みにも活動があったのだけど、私はほとんど毎日遅刻をしていた。学校に行くには駅から15分ほど自転車をこぐ必要があるのだけれど、その頃の私は5分も漕げたら良い方で、すぐに息が上がって足が動かなくなるという状態が続いていた。クーラーが苦手なのでバスに乗ったら必ずおなかが痛くなっていた。学校までたどり着けるかどうか。毎日がその戦いだった。

入学当初は学校までたどり着けたのに、なぜ?

その頃はわからなかった。自転車がゆがんでいるんだと思っていた。

夏休みが終わっても、自転車で学校に通うのは私には難しいことだったが、バスを利用しやり過ごしていた。

冬になり、新たな問題が起こった。週に1回は頭痛や熱、腹痛で休むようになった。特に風邪らしい症状がなく登校できる日も多かったが、固形物を食べると吐き気が現れるのでゼリーを昼食にしていた。血液検査でも異常はなく、医者も処方のしようがないという感じで、その日は栄養補給の点滴をしただけだった。

このころから、意味もなく泣くことが増えた。夜になって家族が寝静まった後、だんだんと胸がざわつき気が付いたら泣いているという日が時々あった。

春休みになってもその状態は続き、部活で重要な役割をしていた自分がよく休んだり欠席したりしたことでチームに居づらくなってしまった。迷惑をかけまいと、ぼうっとする頭で部活に行ったこともあった。当然初歩的なミスをいくつもしでかした。

二年生になっても体調不良は悪化するばかりだった。友達は私のことを病弱だと心配していた。

私は、このまま部活を続けるのは体力が持たないだろうから夏休み明けの試合を期に辞めようとおもっていた。(私が通っていたのは正確には高専で、五年制だったため3年生までは部活に打ち込む人が多かった)

そのころ、学校に行くことができない日が増えた。布団から起き上がるとたちまち気分が悪くなり、寝そべっているといつも通り元気だった。何とか電車に乗っても学校に近づくと頭が痛くなり、腹痛や吐き気がした。しかし熱だけは出なかった。そしてその不調は昼過ぎには消えていた。友達は心配してくれたが、深刻なこととは思っていない様子だった。まぁそれは悩んでることを隠してた私のせい。母には、学校で嫌なことがあっていきたくないのかと聞かれた。でも私は学校も部活も大好きだったし、行きたくないなんて思ったことは一度もなかった。心配させる上に学費を無駄にする申し訳なさで母の顔が見れなかった。学校を休んだことを母に知られたくなくて、途中にある百貨店で過ごした日も何度かあった。

そして夏休み、私は一度も部活に行けなかった。母がネットで「起立性調節障害」という病気を見つけた。これだ、と思い病院に行ったが起立性調節障害自体あまり知られていないらしく近所の病院では「思春期の女の子にはよくあることですよ」と言うだけで検査してくれなかった。

夏休み明け、学校にも行けなかった。体調不良が続きほとんどの課題はできていない。夏休みまるごと部活をサボり、メンバーに合わせる顔がない。そんなことを考えて朝まで泣いた。何よりも学校にたどり着けるかどうかの戦いがこれから毎朝続くかと思うと目の前が真っ暗になった。いっそ今死んでしまえばいいと思うたびに大好きな弟の顔が浮かんだ。

登校の準備をすべて済ませてから泣き出した私を見て流石におかしいと思った母が、制服のままの私を心療内科に連れて行った。自立神経の不調と、鬱の症状もありますね、と言われた。「自立神経失調症」という診断をもらった。心が軽くなった。それまでにもネットで調べて自分の症状は鬱かもしれないと思ったことがあったが、そんなことを考えるのは本当に病気の人に失礼だ、私は学校に行きたくないだけなんだと思っていた。初めて自分の不調に名前を付けてもらって、私は怠け者じゃないんだと認めてもらえたような気がした。

その後、学校は休学期間を挟んだものの退学せざるを得なくなり、高卒認定資格を取得し現在は通信制の大学に在籍している。

つまり私は肩書でいえば大学生。とはいってもいまだに体調は不安定で、バイトもいくつかやったが一か月以上続いたことはない。学校も通信制なのでまだ一度も登校しておらず、出かけるのは買い物の時だけ一歩も外に出ない日やコンビニに行くだけの日も少なくはない。

もちろん私よりも深刻なひきこもりの方がいるのは承知の上で、私も世間的に見ればひきこもりだよなぁと思う。自分の病気と向き合う中で自分が発達障害だということにも気づいたし、一生まともに働けないんじゃないかと怖くなって眠れないこともある。

そんな中で起こったのが川崎殺傷事件と元事務次官事件。

ツイ廃の私がいつものようにTwitterで事件に関するツイートを見ていると、「死にたいなら一人で死ね」というツイートがあった。もし自分が自殺するときそう言われたらどうだろうと考えた。たぶん死ぬときは世界のすべてが敵なんだ。症状がひどいときは私だってよく自殺しそうになったけど、味方が一人でもいると感じていたから私は死ななかった。いままで自分を一人にして追い詰めてきた世界が、死に際まで自分を突き放すのか。つらくなった。そして、つらいひとを誰も救えなかったばっかりに罪のない犠牲者が出てしまった。本当に悲しい。

そして、元事務次官事件が起こった。ひきこもりの40代。未来の私の姿かもしれないと思った。不良品という言葉も見た。元の言葉は凶悪犯罪者を指して言ったものでひきこもりのことを言ったのではないとはいえ、心が暗くなった。どこかで放送されたひきこもりの定義にも私はばっちり当てはまっているし、削除したアカウントを含めて考えると殺害された方よりもツイートのペースは高い。

もし私がこのまま働けなかったら、働けても何か問題があって辞めてしまったら、結婚できなかったら、社会から排除されて犯罪者予備軍と言われてしまうのかな。ここ数日はそんなことばっかり考えています。

世間の人は自分がひきこもりになんかなるわけがないと思っているのかもしれない。私も数年前まではそう思ってた。でもそれは間違い。あなただって来年あたり急に不調が現れて外に出られなくなるかもしれない。今そのストレスを我慢したことが原因でなにが起こるかわからない。あなたの愛するあの人も、信頼しているその人も、根性論なあの人も、スポーツマンなあの人も、真面目で、丁寧で、頼まれたら断れなくて、周りをよく見て行動する責任感の強いあの人だって、家に帰ったら意味もなく泣いているかもしれない。朝起きられないあの人も、やる気のなさそうなあの人だって、必死で自分と戦っているのかもしれない。そう考えてみてほしい。そして、少しだけでいいから精神疾患や発達障害についてググってほしい。ひきこもりを身近な問題として考えられる人が増えたらいいなと思う。それだけです。

今まで自分の考えは全部Twitterに書いてたので初めてこんなに長い文章書きました。とっ散らかった文章でごめんなさいね。

読んでくださってありがとうございました。

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