農道とぼんやり礼賛
田舎を歩けば見られる名もなき(ように思われる)山には、必ずといっていいほど「謎の獣道」がある。子どもの頃からこういった道に入るのが好きだった。道はほとんどの場合、畑に繋がっている。山の中にある畑といっても、たいていは車で登れる道が整備されているので、徒歩専用の農道はなかば放棄された状態だ。しかしその閉ざされた感じが、自分には好ましく思えた。
今でも折に触れては農道に入り、ぽっかり開けた畑をぼんやり眺める。何をするでもなく景色を見て、帰りの道が真っ暗になってしまうことも多々だ。
「道」という古いイタリア映画がある。旅芸人として各地を放浪する二人の男女の物語だ。細かい内容は忘れてしまった。しかしヒロインのジェルソミーナが海を眺めるのが好きだったことが、強く印象に残っている。
相方のザンパノは口汚くジェルソミーナを罵り、ときには暴力も振るう。旅の生活は過酷で、そんな環境下にあったジェルソミーナにとって、ぼんやりと海を眺める時間はなくてはならないものだったのだと思う。誰にも邪魔されず、あらゆるものから解放されてほっとできる場所があることが、どれだけ彼女の心を休ませていたかは想像に難くない。
小説『西の魔女が死んだ』では、学校に馴染めず不登校になった主人公まいが、魔女と呼ばれる祖母のもとで暮らした日々が描かれる。自然に寄り添った生活を送るなかで、まいは心の拠り所と呼べる自分だけの場所を見つけた。
ぼんやりと見る。
ただそこに佇む。
これらは人間の生活になくてはならない時間であるように思える。
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