冷たい水の中を君と歩いていく
※ぼくのブログ記事の再掲です
谷山浩子の楽曲レビュー。
Evernoteの奥底から昔書いた内容が出てきたのでそれをもとに。一個前の犬を捨てに行くの記事が歌詞とか谷山浩子についてほぼ触れなかったことへの反省もある。
これは『みのらずに終わった恋』があまりにも美しすぎるのでぼくの命までも奪っていく、という歌である。何だこの曲は、と思われかねないが、そういう歌である。
この曲にも泣くのだが、前に書いた「見えない小鳥」のレビューで抱くそれとはその性質を異にするように思う。「見えない小鳥」ではすごく安直に言ってしまうと「主人公の切なさ」に共感したから泣いてしまうのだが、この「冷たい水の中を君と歩いていく」では、この歌が思い起こさせる映像の畏怖するほどの美しさに泣いてしまう。シンゴジラが東京焼き尽くすときみたいなイメージだね(実際泣いた)。
自分がこの曲を聴いて思い浮かべるのは、どこか山奥の人気のない、さらに言えば生気を感じない湖。水面で乱反射した太陽光がきらきらと眩しい。湖のたたえる水はとても透き通っているが、それでいて不思議と湖の底を確認することはできない・・・そんな風景だ。もっともっと言えばイメージするのはそんな湖の中だ。太陽光が水の中にレンブラント光線のように降り注いでいる無音の空間。
きれいだ。
こんな情景を容易に想起させるだけでもう歌とかそういう枠でなく、芸術作品として物凄いものに出会ったなあと圧倒される。
主人公はそんな場所でみのらなかった恋について想いを馳せている。『水をとおしてくる七月の日差しが 横顔をきらめかせる 遠い過去から ほほえむきみの』。・・・すごく美しくて、かつ神秘的な光景だろうなあ。主人公はもう水の中にいるのだと思う。『みのらずに終わった恋は 夏ごとにすきとおる』『こわいほどすきとおる』『重さもかたちもなく』『おもいでも影さえなく』・・・。水だ。だからこそこんな神秘的なのだ。そしてそれは『ぼくの命も奪っていく』。
この神秘的な美しさと、ピアノの流れるような旋律と谷山浩子の透き通った声とがすごくマッチしている。歌のテーマと曲調が完全にシンクロしたとき、「音楽でしか伝えられない感動」というものが生まれるんだろうな。この曲、最後の方に少しずつドラムが入ってくるのだが、少しずつ湖の深淵に向かっている様子を示しているようでとても好きだ。無音の中聞こえる主人公の鼓動ととらえることもできるかもしれない。
自分は別にこの歌が暗い、恋の重さを歌った歌だとは思わない。好きな人との美しい想いを抱いたまま、二人で美しい水の中を歩いていくことの何が駄目なことだろう。
そう言えば2017年度アカデミー賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督の名作、「シェイプ・オブ・ウォーター」、直訳すれば「水の形」ですけど、これって愛のことですよね。水に形がないように、愛も枠にはめられることは無いんだよっていう。うーーーーーーーーーーんテーマが一緒だ。気付いてしまった。
どうでもいいですけど前ツイッターでデルトロ監督に自分の作品RTしてもらえてうれしかった。以上。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?