不合理な合理的判断

合理的な判断というものは、一時の情に流されず、大局を理解した上での判断を行うことである。しかし、しばしばこのような合理性が、人の心を無視するといった旨だと曲解されることがあるように感じる。実のところ、合理的な判断の下、一部の情を無視して守るのは、より多くの人の心である。間違っても、心を無視した判断が合理的だという認識を持ってはならない。何故なら、人がどれほど機械に囲まれ便利な生活を享受しようとも、人と心を切り離すことは出来ないからである。判断とは常に心のしがらみが付きまとうものなのだ。

世の中は今次々と「合理的な」改革を遂げているが、なかには人と心を切り離すような判断も存在しているように見受けられる。人のモチベーション、損得を超えた思いやり、人とのつながりを大切にしようという思いは全て人が心を持つから生まれるのであり、だからこそ心は大切にされなければならない。時に我々は10を要求されて1を返すこともあろう。だが、100を返すこともある。心を持つからである。10を要求されて必ず10を返す機械とは全く異なるのだ。だから、心を切り離し、無視するような判断は、機械になることを命じるような判断であり、それゆえに最も不合理的なのである。

パンプキンシザーズ最新刊と蛮勇引力を読んで思いました。

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