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「あつ森」で嫌われ者のスズキへ熱い視線を今送っているということ

すずき、スズキ、鱸。「あつ森」で釣れすぎる故にユーザーに嫌われている悲しいおさかな。僕はこのスズキをこよなく愛すゾウである。ゾウなのに魚を食べるんですか?(棒読み)と聞こえてきそうだが、スズキはとてもおいしいのだ。

「あつ森」のユーザーの方はとっくに知っていると思うが、スズキは大きさによってその名を変える出世魚である。セイゴ→フッコ→スズキと名を変え、スズキは「すすぎ洗いしたようなきれいな身」といわれるほど、白身のきれいな魚だ。よく、日本人が大好きなタイと比較されることが多いが、身はタイよりも弾力があり、味も淡白ながらタイより味がしっかりしていると僕の舌は感じるみたいだ。

ん、建築の話?ー今日は食べ物としてのスズキ愛を語らせてください。最後にちょっとだけ建築につなげます。

さて、スズキは刺身にしても身がプリッとしてておいしいし、焼き魚もスズキの独特な自然豊かなところの土のようなにおい(表現が乏しいが、とても香ばしいにおい)がして、とてもおいしい。タイの身をぎゅっと縮めて、密度を上げて濃厚にしたようなあじわいで、ちゃんとジューシーさもある。煮る調理法はあまり聞かないけど、生よし、焼いてよしの美味な魚である。鯛めしならぬ鱸めしがあっても良いのでは、と思っている。

何より、タイより安価なのはうれしい。今日スーパーの魚コーナーにいったら、タイは2切れ680円、対するスズキは3切れ680円だった。タイの値段の3分の2の値段ということだ。これは買いでしょ、お得ウゥ!

スズキは河と海が合流する場所に生息するようで、海や川の水質により肉の旨さが違うみたいだ。僕が食べてきたスズキは、もれなくおいしかったのできっと水がキレイなところで育ったんだろう、と遠い目で見る。冬~初春に産卵し、旬は夏~秋とのことで、ちょっと鮮魚コーナーに力が入っているスーパーならいつでも手に入る魚。


さっきも言った、スーパーで3切れ680円のスズキを買って、今日はスズキに向かい合うことにする。選んだ味付けはシンプルに塩味、調理法はポワレである。ポワレもスズキの調理も初めてなので、何度もネットで見た工程を反芻する。今まで定食屋とかフレンチとか、全部外で食べたスズキしか経験がないのである。

「ポワレ」とはフレンチでよくみられる定番の調理法だが、日本語でいうところの「焼く」という意味である。スズキのポワレは焼き魚か、と言われればそうなのだが、ポイントは皮がパリパリになるまで表面を強火で焼いて、中は水分を閉じ込めてジューシーさを残す、という目的の調理法とネットにはあった。


第1回ポワレの会が始まった。

下準備にスズキを塩水(塩適当、少ししょっぱいくらい)で洗ってよく拭き、皮に切れ目を入れる。スズキの皮は厚くて弾力があるので、身も切断する覚悟の強さで包丁を入れたほうがよい。塩コショウを裏表にまぶして、次に小麦粉をまんべんなく薄くつけて、なるべく時間をおかないで皮を下にして熱したフライパンに投入する。時間をおくと、小麦粉が水分でべちゃっとして、焼き上がりもなんだかべちゃっとするからだ。フライパンを中火にして皮をパリっと焼き上げる、なんてネットには乗っていたが、我が家のコンロごときの中火ではいつまでたってもパリっとしない。建築の業務もパリっとしないのはよくない、だからコンロの火力に不安な方は火力のスライドのつまみを3分の2くらいの右の位置(中火~強火)にされたし。

やっと皮がぱりっとしてきたら、裏返して1分とあった。うーん、僕の買ったスズキは肉厚でちゃんと火が通るか心配だな、と思いフタをかぶせて5分蒸し焼きにする。中まで火が通るのを確認したら、再度皮を下にして皮の水分を飛ばす。

なんかいい感じに付け合わせを盛りつけたら完成。

おいしいんだけど、皮は食べれないほどじゃないけど弾力が残りゴムみたいだし、身もなんだかスズキの風味が消えている気がする。僕のスズキはどこいった?

反省点は、皮を焼くときにもっと強火で焼き、素早く焼き目をつけることだ。また小麦粉を付けすぎて余分な油を吸ってしまった。この2点からスズキの風味は飛んだのではないかなと。また焦げることを恐れず、強火にしていれば、もっと皮がパリっとしておいしくなっただろう。我が家のコンロは火力がないくせにサーモスタットが良く効くので、ちょこちょこ火が弱くなることも敗因のひとつであろう。

てことで第一階ポワレの会は失敗に終わった。でも旬な魚なので、また会う機会もあるだろうということでリベンジを誓う。


最後に、なけなしのエピソードで建築につなげたいと思う。

僕はまあまあ料理が趣味だ。
今日はたまたまオシャレな調理法に挑戦したけど、いつもは野菜炒めとか味噌汁とか煮ものとか、しゃれっ気ゼロの料理だ。昔から料理は好きな方で、学生時のバイトは通算3件やったが、どれもレストランの厨房担当だった。自分のつくったものが食べられて、たまにお客さんに美味しかったといわれるのがとても嬉しかった。

設計も同じで、頭の中の思考をひねり出して苦しんで生んだ建築がお施主さんに喜んでもらえることが、設計料よりもなによりも嬉しいことだ。はっきりいって建築設計の責任の重さは、その対価には全然見合っていない。安すぎる。けれどもこんな仕事を続けていけるのは、お客さんの笑顔と、何気ないお礼をいってもらえるからと、きれいごとではなくて本当に思う。逆に言うと、この利他的といっていい喜びが感じられないなら、建築設計は続けていけないとも思う。


そんな感じでまとめました。

ではでは~

ぱなおとぱなこ





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