特論59.ものまね芸人のそっくり歌唱に学ぶこと  〜モニタリングの青木隆治さん

「人間観察バラエティーモニタリング」で、青木隆治さんのものまねと、実際のヴォーカルの歌と比べて当てるという企画がありました。以前にも、「芸能人格付けチェック」という番組での本物とものまねとの比較で言及したことがありますが、今回は、1人のものまね芸人がさまざまな歌い手をカバーしての比較という試みでした。

〇美空ひばりのものまね

最初は、美空ひばりの「愛燦燦」という曲による比較でした。大体の人が当てることができました。それは、美空ひばりが大歌手であったための実力からなのでしょうか。
なんとなくボリューム感とか似させているっぽいとかいうようなところからの判断だったように思えます。
青木さんが以前、TVに出てきたときに、誰もがひばりの歌まねで驚いたのです。その歌だけを聞くと、今でも誰もがうまい、ひばりの歌そっくりといいます。しかし、比べて聞くと、明らかに違いがわかるのです。
つまり、私たちの耳はけっこう、いい加減であり、また精密でもあるということです。
いつもは日頃、カラオケで聞くような人たちと比べるのでしょうか。すると、青木さんは歌がうまいと思い、ひばりそっくり、となります。うまく歌っても、ひばりの歌には、普通は、なりません。しかし、ひばりの歌のように歌うと、うまくなったようにも聞こえるのです。実は、この2つのことは、とても違うことなのです。
その後、福山雅治さん、hydeさん、山崎まさよしさんなどとの比較では、迷いが深まった回答者もいました。

〇音質での違い

ここではヴォイストレーニングということから取り上げますので、比較での判断において、まず除外したいのは、トータル作品として完成度においての違いがあるケースです。歌手の声や歌唱以外の音質の違いです。比較してるのが市販のCDであれば、楽曲や演奏なども完成度を高くしていますので、品質の差でわかることがあります。ものまね芸人が歌ったときには、そこまでのコストをかけて音源を作っていないでしょう。例えば、ノイズや雑音が聞こえるとか、歌のボリュームレベルなどが落ちているケースです。これは歌い手と関係ないところです。

〇聞き込みでの違い

聞き手が、その歌い手自体のファンで、ステージに行ったり、CDをかなり聴き込んでいるケースがあります。この場合、例えばCDであれば、そのCDを聴きこんでいる人が、それ以外のものと区わけするのは、その人の耳のよさにもよりますが、比較的たやすいことです。歌以外に、伴奏やテンポ、アレンジ等による違いからわかる場合もあります。これも、歌い手と直接関係ないところです。

〇歌手の要素

こうした素材を私が取り上げるのは、ヴォイストレーニングととても関係があるからです。「自分の声を見つけたい」とか「本当に実力のある歌手になりたい」といらっしゃいます。
そのときに、参考として、すでに評価されている歌い手のどういう要素を持って、実力とみるのかは、とても大切なことです。
声も歌も、よし悪しというのは、普通に聞いて、大体わかるわけです。ところがいざ自分が、声や歌について上達していこうと思うと、その基準に困るものだからです。
私が長年トレーナーとして第一線で立てるのは、自分の歌でも自分の声でもなく、それはどのように聞き取るかということと、どのようにそのギャップを埋めていけばいいかという耳能力に負うところが大きいのです。

〇ものまねから入る

ものまねというのは、誰もが必ず最初に通る道なのです。これはどんな芸事でも共通することでしょう。歌い手の場合、大体は、ある歌手やその歌に憧れて、歌い出します。となると、ものまね芸人というのは、そのプロセスのところからわかれたとみてもよいでしょう。

〇プロ歌手のカバーへの評価

プロの歌手でも他の歌い手の曲をカバーすることがあります。名曲となると何人ものプロの歌い手が歌っています。それは似ているかどうかではなく、作品としてのレベルで問われるべきものです。
ところが日本の場合は、自分の好きな歌い手が、自分の好きな曲をカバーしてくれたら、それだけで嬉しいので、そうした評価の対象にはなりません。トリビュートアルバムなども出ますが、少なくとも、元歌を超えるような歌唱となるのは、ほとんどありません。演奏、伴奏、アレンジなどは、かなり、よくなっているのに、です。
優劣において評価をしないので、ものまね芸人のように、真似ただけ、丸々、影響受けてしまったものも結構あります。あるいは、テンポ・リズムを変えてしまって別の曲のようにしてしまったものもあります。
どちらも、歌い手からの歌曲の本質を捉えていません。自分の個性、才能を活かすように、その歌を解釈して自分の歌となるようにアレンジして見せていないのです。カラオケ名人級の歌で終わっているのは、残念なことです。

〇自分の歌とする

プロ歌手は、すべての歌をハイレベルに歌える必要はありません。自分の持ち歌、歌う歌で最大限の才能を発揮すればよいのです。昔は、自分の曲しか歌えないタイプが多かったのですが、今は器用に、他の人の歌も自分の歌も同じ程度に歌えてしまうような歌い手が多いです。

〇歌い方のくせ

それとともに最近のJポップスは曲や歌詞も複雑になっています。シンガーソングライターのように、自分のくせに合わせて曲が作られていたりすると、どうしても、そのくせをつけたように歌わなくては、歌曲として成り立たないことになります。やむを得ず、似てしまうのも否めません。

〇表現の基礎

それに対して、シンプルな曲は、誰もが歌えるからこそ、プロが歌うときに、何が差なのかがはっきりわかります。そういう歌で、トレーニングをしなくては、なかなか本当の基本は身につかないのです。表現ということの基礎と応用というのが、わからないからです。
声域や声量をつけるために大曲に挑戦するのはよいことです。ただ声が届いたとか音が合っているのが、目的なら、カラオケのレベルのクリアに過ぎません。

〇歌唱ものまねの2タイプ

さて、歌唱のものまね芸人には、大きくわけて2つのタイプがあります。歌い手をデフォルメして、面白おかしく、楽しくみせるようにアレンジする人と、本物そっくりと思われるように忠実に再現する人です。青木さんの場合は、後者です。

〇声の魅力

本物そっくりに歌うヴォーカリストと見わける方法は、歌い方でなく、第一に声です。プロのヴォーカリストを支えている大きな要因に、声そのものの魅力というのがあります。そこは、なかなか同じようにはできないところです。
ですから、ものまねの人は、レパートリーを大体似たタイプの歌い手で固めているわけです。相手と同じような身体や喉であれば、それだけ、似た声が出しやすく、ものまねがしやすいのです。体型、姿かたちが似ていると、ビジュアル的にも似た感じに見せやすくなります。

〇七色の声

青木さんの場合は、デビュー時に、男性なのに、美空ひばりという最高レベルの女性歌手まで、広くレパートリーに入れたことでインパクトが強かったわけです。かなり難しい歌い方をする実力派歌手がレパートリーだったので、七色の声ともいわれました。
ちなみに七色の声というのは、声優などでよく使われています。山寺宏一さんが代表です。しかし元は美空ひばりが、そのようにいわれていたのです。

〇細い顔の声

姿形、身長、体型などが似ていると、声も似てくると述べました。
今回、面白かったのは、音大生が2人、山崎まさよしさんのと青木さんのとを比べて、顔が細いような声ということで青木さんと見破ったことです。確かに身体や顔つきと声が関係しますが、絶対ということはありません。この分析に関しては、彼女らがこれまでの経験から推察した感覚的なものといえるでしょう。

〇応用しやすい声

青木さんのようにいろんなタイプのものまねする歌い手の場合は、声がやや浅く器用に動かしやすいように、つまり、加工しやすいようなところで発声し、共鳴を調整しています。私がいうところの、声の応用です。応用しやすいとは、変化しやすい声ということになります。ですから、どうしても、ヴォリューム感とかインパクト、つまり個性は薄くなります。これは、私が見わけるときにも判断要素の一つです。

〇軽く浅い声

逆にいうと、そういったところを売りにしないプロ歌手をまねると見破られにくいのです。
どちらかというと、昭和の頃の重く深い声の歌い手に対し、その後半から軽く浅い声のヴォーカリストが、日本においては主流になりました。いや世界的な傾向かもしれません。声そのものも違ってきてもいますが、発声や歌い方のところで、浅く薄くしているのです。

〇カラオケ歌唱

そういう日本人の素人っぽい声でもフレーズ感がでるように開発されたカラオケが、それを増長しました。
歌手が軒並み、高音域のほうにシフトして、中、低音域で勝負するヴォーカリストはいなくなってきたからです。もとより日本では、そういうヴォーカリストは少ないのです。それは、音楽、歌の分野であらゆるパターンが出つくしたため、マイクなど音声加工技術の向上に頼って行きづまりを打破する一つの方向だったのでしょう。

〇歌の勝負所

歌というのは、シンプルにいうと高音で勝負するものともいえます。しかし本物の歌い手は、1オクターブほどの狭い音域の歌をどこまで聞かせられるかというところで見わけがつくのも確かです。歌唱力というのなら、まずは誰でも歌える歌で、どのぐらい魅力を出せるかです。

〇高音志向

誰よりも高い声が出せるというのは、特技になるかもしれませんが、音楽性や表現とは必ずしも関係がありません。しかし日本では、高い声がうまく出ない、高い声が出ると上達したということになりました。それだけで、プロになった人もいないわけではありません。声の中で、声量や音色と違って、高い声が出るのは最もわかりやすい指標だからです。リズム感、音感などよりも、ずっと簡単にわかるからです。

〇日本のヴォイトレ

実のところは、それだけではプロになれても、あまり続くことはありません。大体の場合は、トレーナーになったりしているのです。そのため、ここも、ヴォイストレーニングにおいて、偏った傾向を助長する原因となっているので、気をつけなければいけないところです。☆
改めていう必要もないのですが、日本のヴォイストレーニングはとても単純であって、もともとは、ピアノを弾ける人が先生、次に高いところまで声が出る人が先生をしていたわけです。それは生徒がそういうことができなかったからです。つまり、最初から基本的に必要なところからかなりずれていて、さらに安易な方向に流れているわけです。
ですからカラオケなどで教えているトレーナーには、むしろ青木さんの要素を持ってるような人が多いといえます。それはそれでニーズがあるのですから、対応できればいいと思います。

〇器用貧乏の声優

例えば、声優さんでも、若いときは器用に何役もできるような人の方が仕事にありつけます。ところが30代になってくると、そうした仕事はまた若い人に変わられていくわけです。絶対的な強み、個性がないことと、オーソドックスなところの吹き込みなど確実な基礎力でこなすことに対応できないと、生き残ることができません。

〇アナウンサーの場合

アナウンサーでも、MCやキャスターになれるかどうかでは、発音や滑舌といったテクニカルなものよりも、声の質感、量感、説得力に重点が置かれるわけです。そうなって、初めて自分本来の、最も確実にコントロールができ、表現力を高められる声を使う必要に迫られてくるのです。
若いときはビジュアル面も含めて、きちんと口が動き、正確に伝えられることが優先されるので、私たちのところに来るのは30代以降が多いです。つまり、早口言葉に対応できる練習はしても、相手の心に伝わるような練習は、なおざりにされていたのです。
レポーターなどは、明るくハキハキした声を出せるなら務まりますが、キャスターになって仕切ったり、ドキュメンタリー番組を伝えるには、説得力のある声が必要です。そこには関心を払わないできたからです。

〇後々の可能性

私がトレーニングを考えるときに、最初は何をやってもいい、ただし、後々の可能性を邪魔しないとことを条件にしています。ですから、声優やアナウンサー、歌手などには、今の仕事のために、必要のあることは行います。ただし、それが基礎から見て、どのぐらいの応用になっているかという、目安はきちんと捉えられるようにしておきます。あまりにも将来のことを邪魔してるようなときには、わけて考えるように伝えています。

〇小手先のノウハウと癖

今日やったことが今日すぐに役立つようにみえるものしか求められなくなってきました。すぐ出る効果しか期待できないようになってきたのです。そういったノウハウはいくらでもありますが、せいぜい、これまでの実力の1~2割増、あるいは、今まで出せなかった実力をもう少し出せるようにするくらいにしかなりません。それでは、私が望むだけの最低レベルのプロ、そうした声とか表現にはとても対応できないわけです。
ピアノでいえば、1、2ヵ月で1曲を最後まで弾けるようになったようなものです。
それはそれで、そのための癖が今後を邪魔するほど打ち込まないのなら、または心構えが変わったときにゼロからスタートすると思えば、悪いことではありません。まだ、入門の門の外でのことだからです。ただ声の場合は、気をつけないと、ただマイナスの方向に進んでしまうことも少なくないわけです。

〇目的と練習の再設定

ピアノでも、1曲弾けた後に本格的に学ぶとなれば、姿勢から指の使い方まで戻って基礎からやり直すはずです。1曲弾けたというのは、自己満足や面白さにつながることであって、本当の意味で実力がつくプロセスをとったのではないわけです。ですから、そのまま30曲も50曲も弾いていくと、あるところから、ある程度弾けるとしても、正確さを極めたり感情表現が出たりはしないという限界になってしまうのです。
趣味で30年も40年も弾いてるからといって、20代のプロに勝てないのは、練習量だけではないのです。資質や才能ともいわれますが、まず、弾くことが目的か、どう表現するかが目的かによっても違ってくるわけです。

〇一声、一フレーズ

歌い手でも、レパートリーを何千曲と持っている人がいますが、1曲でプロとして勝負できないのであれば、プロにはなれません。
私の場合は、いちど、声を徹底的に見つめて、「一声で勝負できなければ、いくら歌っても…」、とまで打ち出したこともあります。実のところ、一声で勝負できなくても、さまざまな方法でプロにはなれます。
歌手ということであれば、「1フレーズで勝負できなければ…」、くらいに置き換えてみてもよいでしょう。
ヴォイストレーニングであれば、声とその使い方のところまでが、メインなのです。

〇成り立ち

歌や声は、その辺がピアノほど音楽性から判断されないために、とても曖昧です。またピアノのように最低10年のキャリアを基礎して積み上げるようなことではないために、誰でも気軽に入って、誰でも歌い、歌い切れば、成り立っているように思ってしまうわけです。しかし、聞く人の心を動かさなければ成り立ちようがないのです。
だからこそ、歌のつかない音楽に親しんで、音楽的な感性を身につけることも必要です。

〇バックグラウンドの量と深み

一般的には、プロとは、そこでのバックグラウンドが全く違います。最終的には質ですが、まず量だけでもかなり違います。
私が接した人でもプロは、ともかくもやたらと曲を知っています。しかも、あまり普通の人が知らないところ、とことん凝った分野をいくつか持っているものです。
ということは、そういったバックグラウンドから、その人の可能性や資質をみることもできます。そこが足らないときは、それを補強するのも、私の仕事です。

〇その後のこと

私がいつも注意しているのは、時間をかければ誰でも行けるところまで行ける、問題は、その後だということです。カルチャー教室や、習い事や、ヴォイストレーニングのレッスンというのは、ほとんどが時間をかけて誰もが行けるところまで行くだけのところまでしか目的をおいていません。多くの人が、短ければ1、2ヶ月、長くても2 、3年でマスターしてやめるようなところで教えているからです。
ここのように、それぞれの分野のプロとして、10年以上学んできた人が来たり、20年30年と在籍してる人がいるようなところでは、そういうレッスンでは対応できません。

〇多面的に学ぶ

日本でヴォイストレーナーを目指すのなら、青木さんのような方向は、いろんな勉強になると思います。ただ、自分の名前で、自分の実力でプロのヴォーカルとして活動していきたいのであれば、そのような方向をとるのはおすすめできません。
もちろん、サザンの桑田さんやB'zの稲葉さん、どちらかだけをずっと真似ていくような方向よりは、マシです。何人もの一流の歌手を学ぶことは、一人の好きな歌手だけを真似るのよりは、多面的に学べるからです。
このように述べるのは、毎日すごく努力し歌い続けて何年も経って、ここに来る人の中には、そういうことをトレーニングだと思って頑張っている人が少なくないからです。

〇骨格レベルと声帯レベル

昔、コロッケさんが、「ものまねしたい相手に骨格まで似させる」といって、顔の中で、各パーツごとに動かしたのを見せていました。まるでパントマイムのようにです。確かに表情を同じにすると、イメージだけでなく声色もそれに近くなります。
しかし、いっこく堂さんを見ると表情さえ変えずに、あらゆる音色の変化と歌唱フレーズのコピーをしています。声帯と最小限の声道のコントロールだけでも、声色の変化やいろんなフレーズを出せるのです。
表情、つまり楽器の形に大きな変化をほとんど起こさない、表面上から見えないようにしても、それだけの声色の変化が出せるわけです。もちろん、彼も天才といわれていますから、誰もができるわけではないでしょうが、人間の声帯の素晴らしい可能性を実証したと思います。この話、どこかで述べたと思いますので省略します。

〇声とその使い方(音色とフレーズ)

ここまでをまとめると、歌唱は、声そのものと声の使い方の2つにわけられます。厳密にはわけられないのですが、そのように考えると、誰でもある程度は、いろんな音色が出せるわけです。それをものまねしたい歌い手に近づけていきます。すると、その歌い手も、その音色を動かすのに似たようなところを使っているので、声の使い方にも通じていきます。似たフレーズが取りやすくなるということです。

〇パターン分析

私が、その後のアーティストについて、聞き分けられたのは、青木さんの声質とその声の使い方のパターンを、大体読み取ることができたからです。特に最初の美空ひばりの歌に、かなりいろんなテクニックを使っていたのが、参考になりました。他の歌い手の場合、その中のいくつかの応用に過ぎなかったからです。
他のアーティストの曲を、よく知っているわけではないので、本来は、歌い手の実力との差で判断するところなのですが、今回は、青木さんという歌い手のほうにフォーカスすることによって、そうでないものを除外できたということです。また声質がやや特徴のある歌手たちだったこともあります。青木さんの方が、歌唱力として勝る相手のケースなら果たして当てられるかは、疑問です。表現力では、必ずしも当てられないからです。

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