特論61.大谷翔平選手に学ぶヴォイストレーニング(Ⅰ)

◯心身能力の高め方

エンジェルスの大谷翔平選手がアメリカン・リーグMVPに輝きました。日本人としては、イチロー選手以来、2人目、しかも、1位票満票での受賞です。

2018年に肘の手術をした大谷選手が、今年、大活躍したのは、心身ともに鍛えて調整して絶好調で迎えられたからで、「初めて何の問題もなく試合に臨める」と、そのシーズン前のことばを結果で証明したことになります。

選手の場合も、手術などをして休養をとると、身体の状態はかなり悪くなるわけです。そこから復帰するためには、鍛え直すしかありません。ただ、前の状態がわかっているときには、まずは回復を目指せばよいわけです。体力トレーニング、ランニングや筋トレ、柔軟を行っていきます。ただし、故障などで不調になっていた場合は違ってきます。その根本的な原因を探らないと、くり返すことになりかねません。

大谷選手の身体は、他の外国人選手を超えるほど大きく筋肉質なものとなっています。イチローや松井秀喜選手の場合は、そこまでではありませんでしたし、日本人らしく、侍のようなストイックさで厳しい表情で勝負に全集中していたようです。しかし、大谷選手の場合は、おおらかに天真爛漫に明るく本当に野球を楽しんでいて、それで最高の成績を残しているように見えました。
この3人は、大リーガーの選手すべてから尊敬される存在ですが、大谷選手のように1年間で、選手ばかりか敵チームのファンまでつかんでしまった選手は、初めてのことでしょう。

彼がこれまでにない成績を収めたのは、単に手術前の状態に戻しただけではなく、これまでにない心身の状態にまで持っていったということです。そこに大いに学ぶことがあります。
それはトレーニングにも表れています。肉体に関しては225キロというウェイトトレーニングで軸足を鍛え、背筋の筋肉を支えとして充実させました。
それと科学的なセンサーを最大限に利用したことです。ブラストモーションは、スイングのスピード、スイングの角度、バットの軌道を一目でわかるようにバットの先に取り付けるセンサーですが、これを使い、スイングのチェックをし徹底的に修正をしていたのです。また、肘の方にも腕の角度、腕のスピード、肘の角度を図るセンサーをつけました。データがあっても使い切れない選手が多い中で、彼はしっかりと使い切ったのです。
こういった工夫によって、投打を超一流のものとしていったのです。フォームの改善などはテレビ番組でも伝えられていますが、日々進化した結果、開花したということです。


〇独自の方法

投打のフォーム1つをとっても、小学生、中学生、高校生に教える方法は違います。プロの野球選手に対しては、さらに違うでしょう。レベルが上がるにつれ、本人に合った個別のアドバイスによるところが多くなるからです。さらに一流となると、共通するところは踏まえていても、その人独自の、トレーニング法を編み出していくことになります。

大谷選手は、誰よりも一所懸命練習する選手だったのですが、今シーズン、あえて合同練習に参加しないとか自分なりのウォーミングアップみたいなことをする時間をとるようになりました。

日本人は、精神主義的に、あるいは、体格や体力の衰えを補うために、猛練習で追いつけ追い越せという根性論に偏りがちです。「誰よりもやった」ということが自信になって、メンタル面から勝負を分けることが実際にあるのも確かです。練習量というのが基本の条件だからです。
特に、同じ年代同士では練習時間が長い方が勝つでしょう。しかし、そこでも強豪同士になってくると、練習量は皆、それなりにこなしているわけですから、練習内容での差になってきます。それは単にハードにすることではありません。
体力づくりや筋力づくりの場合は、行き過ぎることによって疲労をもたらすので、鍛錬と調整の兼ね合いがとても大切になります。選手はシーズンオフに鍛錬し、シーズンでは調整に努めます。本番に向けて、調整していくのです。

大谷選手の場合も、練習方法の改良、フォームの改良などで、同じ体でも感覚やイメージや使い方を変えることによって、パフォーマンスを上げたわけです。
100年前のベーブ・ルースの時代であれば、とにかく体力があり筋力があり、ガンガン練習することでトップクラスを維持できたものと思います。しかし、現在の野球のように、10代の頃から選びに選び抜かれて、プロになるのに10年以上かかって精査されてくるような環境では、それだけでは通じなくなっているのでしょう。


◯歌い手の場合

それに比べると、歌の場合は、歌手の歌唱の才能、声だけとか歌そのものだけで勝負できる時代は終わりました。日本でいえば、美空ひばりをトップとした歌謡曲、演歌のピークのところで、ほぼ終わったように思います。
未だ、海外との本当の意味での歌唱力の差は歴然としています。ただ、芸能である限り、国民性に合ったような方向で発展していくのもよいでしょう。テクノロジーをデータとしてではなくパフォーマンス技術として取り入れていくなかで、日本独自の歌の分野をつくってきているといえましょう。

ここに、科学技術、たとえばセンサーを入れる必要があるのかとなると、難問です。
そこは、スポーツのように、力学的な、物理学的な解析ができないからです。もちろんカラオケの機材のように、使い方によってはピッチやリズムを正確にチェックするとか、発音をチェックするというパーツのレベルでは可能です。そこは、人間ができるところであり、トレーナーにつけばよいのです。
何よりも歌い手や役者の感覚をもって、録音した音声でのフィードバックをして、正したり詰めていったりできるような能力をつけることが前提です。そうでなければ、カラオケ採点システムで練習すればいいと思うのです。

この業界で、科学的なことを進めていくと、音声の分析や聴覚の分析よりは、マーケティング的に、お客さんがどういうところで反応するというようなことにテクノロジーが使われる方向になってきます。そこはプロデューサーなどの専門家に任せ、エンタテイメントとしてのリアクションをデータ化していけばいいと思います。


◯メンタルトレーニング

大谷選手のメンタルトレーニングについて触れます。大谷選手は、マンダラ図を使って自分の目標を書いています。それを見ると、18歳の高校生のときに具体的な目標を掲げ、それをほぼ実現しているのです。
目標については、ドラフト一位8球団とあります。そのために掲げられた8つの第二目標は、体づくり、メンタル、そして投球のことでしょうが、コントロール、キレ、スピード180キロ、変化球、と続きます。それに加えて人間性、運とあります。そして、それぞれを達成するために、また8つのなすべきことが考えられているわけです。
運のところに書き込まれているのは、挨拶、ゴミ拾い、部屋そうじ、道具を大切に扱う、プラス思考、応援される人間になる、本を読む、審判さんへの態度、この8つです。今回ファンの心をとらえた行動にゴミを拾うこと、審判にフレンドリーに接することなどがありました。
大谷選手の持って生まれた素行の良さと思われていたことも、この中の目標の中にきちんと書いてあります。ということは、最初からできていたわけではなく、目標にしなければいけないほど、できていなかった、それをコツコツと実行してきたわけです。
ファンだけでなく、相手選手の心も捉えてしまった大谷選手の紳士的でフレンドリーな振る舞いは、その目標にきちんと記してあります。彼は、これを守って実践していたに過ぎないのです。天才が無意識に行なっていることではなく、ここまで細かくきちんと努力目標として掲げ、繰り返して守ってきて、今も守っているのです。
私たちは、160キロ投げたり、ホームランを何本も打つことはできません。しかし、この中に私たちができることもあるわけです。そこから見習っていきましょう。


◯アスリートの科学的分析との違い☆

スポーツのトップアスリートなどのコーチと話すことが多々あります。そこでは科学的なテクノロジーの発達がめざましく、驚き、感心し、羨ましく思うこともあります。あらゆる分野でのデータを駆使したトレーニング法の進化に対して、ヴォイストレーニングの業界はとても遅れていると思います。
ただし、それには、少なくとも三つの大きな理由があります。
まず一つは、芸術的なものは、スポーツや武道ほど科学によって解析できるものではないことです。歌やせりふは、相手との対戦や記録という数値によって判断され勝敗が明らかな世界とは違います。
運動にまとめられるものは、ヴィジュアル的に捉えられるものであり、映像のデータから分析できるからです。そして何よりも映像で見た動きと見る人の判断でのよしあしが明確に一致するということです。

二つめは、芸術的なものの中でも、音はみえないということです。ダンスやバレエなどでは映像分析は有効だと思いますし、歌舞伎や能などにもヴィジュアル面では、ストレートに使えると思います。
しかし、声やセリフに関してはとても難しいところがあります。歌やセリフの場合は、音声のデータとして表されますが、音の高さやボリュームはまだしも、それも含めて感覚と一致しにくいところがあり、別にバロメーターを設けなくてはなりません。
私は、そのバロメーターを設定するような仕事をずいぶん行ってきました。人間がデータの数値やグラフを読んでリアルでの評価とのよしあしを決めなくては、データは、使えないわけです。
しかも、聴覚には視覚ほど明確な基準があるのでなく、感じ方に個人差が大きく生じやすいところもあります。

三つめは、使うレベルということになります。何よりも、舞台での歌やセリフが、音声だけで評価されることはありません。そこまで声や歌にこだわり、使い切れるような人や求める人がいるかということです。
音声での表現力の完成度を追求しないのに、いろんなアプリや計測器があったところで、カラオケの採点機の役割しか果たしません。音声分析で最も使えるところを言うなら、優れたプレーヤー間での同一の楽器による演奏比較などになるのでしょうか。


〇科学的データの信用性

研究所にも、世界の第一線の声紋分析や音声クリニックなどで使われているものと同じソフトをおいています。しかし、言語学者やヴォイストレーナーとの研究以外にはあまり使わないようにしています。
というのは、そういった科学的方法で得たデータを謳って信用させたくはないからです。そういうデータを示すと、テレビや本などマスメディアには受けます。実のところは、データから勝手な解釈をして都合のよいデータを出し、安易に自分の説明を支えているだけに過ぎないことが大半です。データに一理あることもありますが、いくらでも反証できるのです。先述のバロメーターを決める基準の客観性がないということです。
それを科学的といって示すのは、科学的な研究もしている研究所としては、誤りとなりかねません。これまでにも、声紋分析、呼吸に関する医療的なデータや声帯の動きのデータ、3Dによる身体の動きのデータなどいろいろと見比べてきた私の、今のところの見解です。


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