論41.誤りの生じるプロセスの検証

○マスメディアとバラエティ化

 テレビでは、バラエティが中軸となったせいか、やけに極端な意見が見受けられます。そこで、少なくとも医者やトレーナーなどは、出演時には当然のこと、出演することにも慎重になることが必要だと思います。
テレビでの発言をどこまで信じるのかは、週刊誌同様、受け手の問題ですが、専門職として出演するのは、その権威、信用性を担保にしているからです。
たとえば、原料が海外なのに、日本で組み合わせたら日本製になるという食品レベルのチェックを問題にしつつ、それさえ行われていない医薬品はスルーされているような例が山ほどあるのです。
マスメディアでは、まじめに正論を口にする人が少ないし、取り上げられていないことだらけです。
テレビのバラエティ化は、教育や健康の番組の質の低下とともに大きな誤解を招いてしまっているように思います。

○芸人主導の弊害

私がみていても、芸人タレントが番組を牛耳るようになってからは、大きく様変わりしました。
芸人が主役、ゲストは、その引き立て役になってしまいました。そのため、ゲストなのに受けのよい発言をします。というか、オンエアに採用されるのが、そういうものに限られるのです。
私の経験でも、伝えたいことはカットされ、面白おかしいことがクローズアップされて、誤解を招くどころか、現場でそれがつくり出されてしまうことがよくあるのです。放映されて、誰よりも本人が驚くというわけです。つまり、専門家としての能力や良心のある人ではなく、そういうことに即妙に対応できる人が選ばれ、残っていくのです。
しかも、スポンサーが絡んでいます。心身の番組ならスポンサーに製薬会社からフィットネスジムなどが出てきます。言うまでもなく、そこの利益に反する否定的、批判的な発言を封じられるでしょう。

○TVはおいしい

 「テレビで著名な人」といっても、テレビ受けするキャラクターと、そういった受け答えできることが第一条件となります。ですから、本業の実績と人気や出演回数は関係ありません。本気で本業の仕事をしていたらTVに出る暇などはないと思います。
TVで知名度を上げると、集客や本の販売、講演料などにメリットとなります。テレビとは比べ物になりません。本、雑誌でも、売れると、が、似たところがあります。
 ただし、本は、それなりの量がまとまって内容で判断できる分、今のテレビ、ラジオの多くの番組よりは、ましとは思います。とはいえ、似たような傾向が強まってきたのは否定しようもありません。

○専門家の限界

 いろんな専門家の紹介を頼まれることが、よくあります。特に私の場合、自分以上にふさわしい人がいると、そちらに振るのを優先するから尚更なのでしょう。
一般的には、同じ専門分野で通じているならよいのですが、そういうときには、専門家というのは、競合相手でもあるので他の専門家を紹介することは少ないでしょう。(まして、それで生計を立てているなら、当然なのでしょう。)案外と、専門家は一人でやってしまう人が多いので、同じ専門家のことをよく知らないものです。また、自分の専門以外の専門という紹介になると、どうしても大雑把になるわけです。
だからこそ、私は、他の専門家に紹介されてきた人についても、その人にとって、もっともよい組織や人を最初に考えます。
自分だけでなんとかしてあげようとするのは、ときにエゴになって、その人にとってのよりよい選択を妨げかねないからです。そのために、本業に経済的に頼りすぎない自立も必要です。

○紹介するということ

ここは、研究所という組織ですから、内外の専門家をも紹介しています。私に会いに来る人に、もっともよいと思われる専門家、トレーナーやスクールを勧めることもあります。
かなり以前から、私のレッスンを受けたくて来る人を、ここのトレーナーたちにずっとつけてきました。私は、紹介所のように、いろいろと紹介してきたわけです。
よく知らないところや人からの紹介というのも、ここでは、いつものことです。
そういうことによって、一人だけでレッスンをしていては決してわからない、いろんなことがよくわかります。何よりも自分の至らないところ、みえなかった欠点に気づきます。自分の方法やノウハウで足らないところやもっとよいメニュがわかります。常に改良、改善ができるのです。
 他のトレーナーや他分野の専門家に多くを学べます。

○ネットでのフィルター

今はネット、ホームページやブログが、本人発信の情報源となります。口コミは、主観的ゆえに、かなりの偏りがありますが、それも含めて受け手からの評価であり、そこにも一理あると思われます。
 しかし、どうしても、そのときの感想となるので、サービスのよし悪しが中心になりがちです。本来の目的についての判断に参考になるものがあるとは限りません。ネット受けしやすいように書かれているため、実情からかけ離れていることも少なくありません。また、批判、批評ではなく、誹謗中傷を目的とする書き込みも多いようです。
でも、そうしたフィルターが、よくも悪くも、より選ばれた人材を送り込んでくれることも事実です。自分の眼で確かめもせずに風評に左右される人と接しなくて済むのは、助かります。
その点は、本の読者も同じです。本を読んで納得していらっしゃる分、ここに合っているし学んでもいるから、そうでない人よりもスムーズにレッスンが進みやすいのです。

○分業体制とオンラインレッスン

私のところは、紹介者や目的がしっかりとしている人以外については、地元のスクールや他のトレーナーとやって、ある程度、トレーナーの要求しているところをマスターしてから、あるいは、そこで不足不満を感じたら来てもよいし、そうすると、より効果的に利用できるとも言っています。
レッスンにオンラインも使っているので、他のスクールやトレーナーとここを併用する人も多くなってきました。東京まで出てくる時間や費用を考えるとお勧めの利用法です。多忙な人、遠方の人が多く利用していますが、初回と年に何回かは、トレーナーと対面するようにお勧めしています。

○トレーニングのデータ

 一般的に、個人のトレーナーのレッスンとそのトレーニングでのデータ、プロセスは、ほとんど知ることはできません。個人情報として扱われることも少なくないと思われます。
データといっても、大体は、体験、感想としてしか取っていないケースがほとんどです。
この分野の科学データとして、PRされているものがあっても、多くは、客観性や実効性のないものがほとんどです。科学的な方法とか方式を他から引いて説明としてくっつけただけか、声を単に音響物理的に分析しただけのものがほとんどです。

〇情報公開とセキュリティとプライバシー

 トレーナー個人のサイトでは、パーソナルな情報を公開しているところもあります。クライアントの写真や名前も公開してサークルのようになっているケースもあります。
そこに関しては、プロや医者の紹介などにいらっしゃる人も多い研究所では、原則、非公開です。個人情報の管理と守秘義務の徹底をしています。ハッキングにそなえて、個人データは、ネット上におかず、アクセスできないようにしています。
 トレーナーは、何が専門で何が得意分野なのかは、客観的に知りようがなく察するしかないのが現状です。プロフィールでも、学んだ略歴や活動実績、師事した指導者名があっても、教わるのにあたっての情報は少ないものです。そうしたものをできるだけ、実質のあるものとして、公開、共有し、研究に役立てようとしてきたのが、この研究所です。

○第二の目的のための体制☆

レッスンのノウハウの第一原則として、誰にでも通用する絶対的な方法はありません。
もちろん、ローレベルでは、あります。たとえば、初心者であれば、何をやっても効果が出ます。これまで全くやっていないなら、やった分、上達します。大してやっていないという人ほど、やれば必ず効果は出るのです。どこでも誰についても、いや、一人でやっても時間をかけた分、効果は出ます。
ですから、むしろ、「その効果が全て出たというところで不足するものは何か」から考えて、私はアドバイスするようにしています。つまり、時間をかけただけでは到達しえないものを、当初から見据えていきます。あなたが目標のための条件や手段を満たし、当面の目的を達した後の目的を考えます。だからこそ、真価が問われるのです。

〇目的の設定から考える

選択は、本人が主体的に行うとしても、それを手助けする第三者のアドバイザーが必要と思います。そこまで組み込んだものが、私の考える理想のレッスンです。
 本人の悩んでいる問題は、本当に問題なのか、別にもっと深い問題が前提にあるのではないか。本人の思う問題を解決することが、本人の本当の目的に合っているのか。そういったことにトータルに、長期的に深く応ずるために研究所の役割があります。
その実現のために基礎能力を培い、補充としてトレーナーのレッスンとトレーニングがあるという2段、3段構えにしているのです。

○一つだけの答えにすると伸びない

 早急に一つの解決法を求めようとする人は、少なくありません。「早く、楽に(手軽に)、安く」ということです。あるいは、「高い声」「強い声」「楽な発声」など、です。
しかし、そこにトレーナーが素直に応じていると、そのレッスンが、逆に本当のプロセスをみえなくしていきます。それがほとんどのレッスンのケースではないかと思われます。

〇トレーナーの限界

トレーナーでも現実にプロやプロになる人を数多く抱え、しかもいろんなパターンで扱っていないと、そこの差をふまえられていないのです。そこに原因があります。
クラシックの優秀な声楽家でさえ、数少ない特別な生徒しかみていないので、とても見解が狭いのです。それは、ここで何十人もの声楽家やトレーナーをみてきた私には明らかなことです。2年目、3年目と、自分の得てきたノウハウだけで行っていると知らずとマンネリ化していくのです。
本人がプロでも、いえ、そういうケースほど、レッスンにおいてはカルチャー教室のように、お客(ファン)へのサービス対応になっていく例が大半なのです。サークル活動を楽しむように、です。それが目的のところも多いのです。通う人がそれを目的とするなら、それでよいのです。

○プレーヤーのようにヴォーカルは育たない

以前から、「楽器プレーヤーは育つのに、ヴォーカルは育たない、トレーナーか方法に問題があるのでは」と、この研究所に、いろんなところからプロデューサーや音楽関係者が来ました。邦楽や伝統芸能からも多くの人がいらっしゃいます。
レッスンを運営する以上、「効果を出したい」「人を育てたい」と思うのは当然のことでしょう。ただ、ヴォーカルのレッスンは、楽器プレーヤーの教室に付帯した形でつくられたところが多かったので、あまり力を入れられてこなかったのも事実です。
楽器は、完成された楽器で、正しく音を扱えるようにする基本的な手順が明確です。そのため、一通り基礎をマスターするステップがふめます。一通りの演奏ができてからが大変なのですが、そこまでは、明確な基準が共有されています。
プロになるのに時間がかかるだけではなく、何かしら、プラスαが必要です。音を聞くと、誰にでもそのことがわかります。

○ブラックボックスからの脱却

一方、ヴォーカルは、楽器としての持ち物からして大きな個人差があります。天性というか素質というか、教育とも関わらないところでこそ育つ、天然系が多いともいえます。最初から一人ひとり千差万別です。特に、声を出す楽器づくりというところは、最大の難関で、ブラックボックスなのです。個性的な声も歌い方も、高い声、ハスキーな声も天性のように思われています。
何しろ基本的な音が扱えるというレベルも、今や基準があってないようなものとなりつつあるからです。ほとんど誰でも発声から歌唱は人生で一通り経験しているし、できているともいえるので、尚さら、やっかいなのです。
それなりに“できている”ゆえに高度なレベルアップには、全くもって作り変えていく必要があります。それに5~10年はかかるのです。
ところが、人によっても、活動形態によっても大きく違います。そのベースを習わなくても基本的な発声や声力がなくともプロになれる人もいます。
レッスンの必要性、重要度もわからないというケースが大半なのだと思います。まずは、一流とのギャップを明確に把握すること、そして自らの目標と現状を位置づけることが問われます。

○トレーナーによる違い

 「ヴォイストレーナーによって言うことが違う」と思う人は少なくありません。それは、当たり前です。一人のトレーナーとだけレッスンが行われていると、そこもわからないままにしていくから悩まないだけです。
その方がわかりやすく迷わなくてよいというのなら、確かにそうです。ですから、それもよいでしょう。しかし、そのために失っているもの、学べていないものがたくさんあるということは知っておくとよいでしょう。

○発声をまとめる前に

私は、意図的にできるだけ異なるレッスンの2人以上のトレーナーにつけて、トレーニングを分けるようにしています。方向は同じくしていきますが、方針、目的は違うことも少なくありません。そこで相反することもあります。必要があれば、それを、まとめるのが私の役割です。
まとまるとは限りません。まとめるのがよいとも限らないからです。いろんな声もあるし、いろんな選択もあるからです。
最終的な方針や目的を、可能性を目一杯、広げないうちに決めつけてはいけません。何よりも、本人が自分の声や表現での個性をわかっていません。トレーナーもわかるとは限りません。そういうものがすぐに出てくるとも限らないからです。

○ギャップから

最初から「これだ」と声や方法を限定するのではありません。個性からみると、その開花の方向や可能性は多彩なのですから、多様にイメージを膨らませて、徹底して考えてみます。そこでレッスンを行いながらもプロセスを共有して、必要な基礎を学んでいくわけです。
すぐれたアーティストやベテランのトレーナーを複数みて、その共通してもつところで素人のもっていないところを知り、そのギャップを埋めるというのが、わかりやすい方法です。そこを基礎と思うと、案外と、何が足らないのかがはっきりするのです。

○プログラムの違い

 リスクとリターンで考えて、どのくらいハイレベル、あるいはローレベルにするのかということも、それぞれに異なると思います。そこは、ライザップのように「2カ月でダイエット」「結果にコミットする」というプログラムの世界とは、どうみても別なのです。
カラオケなどの上達法として、2、3カ月を1クールとして区切っていくやり方もあってよいと思います。私のところでも短期ということでも行っています。
 問題は、その後のことです。そこからステップアップしていけばよいのですが、3ヵ月先にゴールを定めることと、生涯続けて上達を目指していくということでは、基礎として行うメニュやチェックの基準が全く違うのです。
多くのヴォイトレは、体験レッスンとしての3ヵ月のようなもののくり返しになっているように思います。早急な効果を明確にして目指すほど、その後のステップアップに結びつきにくくなり、頭打ちになるのです。そこが発声の難しいところです。

○ハイレベルでの問題

 本人の資質、努力とトレーナーの資質、努力に大きく負ってしまう高いレベルになると、科学的とか、お偉い人やカリスマトレーナーなどの共通プログラムといったマニュアル、ノウハウなどでは、絶対にうまくいかなくなるということは、知っておいて欲しいものです。
その点、医療にも似ているようですが、健康体を数値で定めている医療よりもずっとあいまいです。クリエイティブになる分、個人差も大きいのです。ケアや治療からアートになるほど、非科学的になるのは当然です。

○医療との違い

 医者は、よほどの覚悟を決めないと、重症患者に「絶対に治る」とは言えません。命に関わり、保険や訴訟とも直結しているだけに、厳しいところもあります。
そういうことばで暗示をかけることの多い代替療法の治療師の方が心強いかもしれません。代替療法は、信心もプラシーボも効果に含めて、医者のできないことを可能にすることもあります。ケースを限ってであれば、著しい効果が認められることがあります。そこでは「絶対に治る」という暗示も許される場合もあるかとも思います。
最大の問題は、その限られたケースに当てはまるかどうか、その判断にエビデンスがないというところです。ですから、医者が見離した人には天の助けであっても、見離されていないときに選ぶのはハイリスクなのです。酸性度1度くらいの温泉の湯治と同じです。
それに対して、芸能芸術は、そういったところさえ、あいまいでゆえに難しいのです。自ら創造しては問うしかありません。その結果をどう解釈していくかも、主体的にならざるをえないのです。

○優先するものと重要なもの

ヴォイトレは、「よくなる」「変わらない」「悪くなる」と、単純に、この3つの分類で判断はできません。何かをよくすると何かがよくなくなっていることが、ほとんどです。しかも、そこは多くの場合、隠れているのです。
すぐにできたと思っても、本当は、何かがその犠牲となっているということです。「高い声は出せるようになったけど、パワーがなくなった」などというのは、この典型的な例です。
マスターというのなら、そこを戻し、両立できるところまで行う必要があります。それで時間がかかるのです。それも、二つの要素だけではなく、複数の要素が複雑に絡み合っているので、さらにわかりにくいのです。そして、そこから、大体は、さらに先に行かなくてはならないのです。
本人にみえないところをトレーナーは把握し、解決に導かなくてはなりません。
そうでないと、上達させられるほど、カラオケがうまいだけの歌手のように没個性化して、似たような声や歌い方になってしまうのです。声楽も、トレーナーによっては、そのリスクは、とても大きいものです。思い当たることがありませんか。

○セカンドオピニオンとしてのトレーナー

 「セカンドオピニオンについても、迷うだけでよくない」と言う人もいます。メインとサブのトレーナーのスタンス、位置づけをきちんとしないと、そうなります。
役割分担を明確にすることで、こうした混乱は起きにくくなります。しかし、完全に役割を分けると、専門の広い一人のトレーナーについたのと同じになってしまうので、私は、あえて、重なるところを多くしたいと思っています。矛盾を恐れないようにしていくのです。
同じことに対する複数のアドバイス、しかも、それぞれに違うとなると、同じようには両立はしにくいでしょう。そこで比較しつつ、大いに学べるのです。わからなければ、そのときは両立しなくてもよいと思うのです。両立しないのなら、自らが足らないわけですから、そこを学べばよいのです。

○レッスンの偏り

 自分で選んでついたトレーナーの専門、強いところに影響されてしまうのは、当然のことです。(特に最初についたトレーナー、最初に信頼したトレーナーの影響力からは、なかなか抜けられません。)しかし、大体は、トレーナー自身にそうした自覚がなく、トータルにみることができていると思い込んでいるものです。
マンツーマンであっても、いや、それゆえに、一人に対しているときには、正直なところ、私でも偏らざるをえません。それを知っているかどうかが重要です。

〇体制の外からみる

他のトレーナーを加えても、3人つけたなら3人が、それぞれ偏向しているとみる方が正しいといってもよいでしょう。
私は、研究所では、セカンドオピニオン、サードオピニオンとして、他のトレーナーとレッスンを受けるクライアントとの関係をみていることが多いです。自分の自主レッスンの偏りは当然のこととして、その上で、他の人のレッスンにおいても、大きく偏ることがあるのを知っています。それは、誰でも本人ゆえに直せないのです。
自分の得意なところ、不得意なところ、やりやすいクライアントとやりにくいクライアントでは、むしろ、得意なところややりやすいクライアントに対して最大の注意を払わなくてはいけないのです。大体は、その逆になっていることが多いのです。

○偏りへの自覚

 オールマイティ、全てを知り、全てに対応できる人はいません。発声では、専門といっても、必ずしも全てが深いわけではなく、どこまでの何の専門なのかもわかりません。トレーナーが自称しているところや肩書、プロフィールに大きく入れ込んでいるところが、本人の思う強みなのだと思います。しかし、それも思い込みです。ですから、トレーナーも他の指導者について、たくさん学ばなくてはならないのです。
方法に迷いだしたらきりがなく、迷っているうちはトレーニングの効果も出にくく時間がかかります。ですから、信じたらとことんやってみることです。ただし、視野は広くとることです。極端な偏りはともかく、偏るのは、トレーニングでは必要悪です。その自覚をもっていることが大切なのです。

○常識から離れる

 医学的な常識さえ、いつも変わっていきます。「予防接種の日は風呂には入れない」のが「入れる」となりました。3年前の常識は、すでに変わっていて当たり前なのです。
どんな情報も知識も学識も、普遍とは考えないことです。不可能と思われたことを可能にするのが、アーティスト。それは、誰もやったことのないことを成していくクリエイティブな存在なのです。

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