論46.心因からの声の解放

○肯定と不信

トレーナーとクライアントの信頼関係と、そのための距離のとり方は、いつも難しい問題です。トレーナー不信から入られるとやっかいなことになるので、できる限り、先に悩みを聞くようにしています。しかし、そのため、カウンセリングに終始せざるをえなくなることもあります。

〇自立と肯定

 その人を周りが受け入れているという状況なら、トレーナーは、シビアに突き放して自立を待てます。しかし、周りとも不信の中にいるケースでは、肯定から始めなくては、うまくいかなくなるものです。考え方、価値観を否定されることは、クライアントも望まないし、こちらも肯定から入りたいのです。

○喉の問題

 トレーナーの経験というのなら、喉を壊したことのあるトレーナーは、演奏家としての問題はあるかもしれませんが、指導者としては、よい経験として活かせます。
不調のケースとしては、
1.半年以上続く
2.器質的に異常なし
3.薬が効かない
これらのケースでは、心因にアプローチせざるをえないことも少なくないのです。

○体験の違い

 体験談は、一個人の症例での報告ですが、症状や原因は人によって違います。
アートとなると、目的まで違うので、そういうものが参考になるところもあれば、逆に害や悪循環となることもあります。誰もが同じ方法で同じようによくなるわけではありません。

○こじれる

 “こじるり”と聞くと、私などは、こじれたと思ってしまいます。特に意図はありません。こじれるのは、人間関係だけではありません。「風邪をこじらせた」とも言うし、「こじれた痛み」などもあるわけです。
 「痛い」というのは、感覚ですが、メンタル、心の痛みもあります。それが体の痛みとして出てくるのです。この場合、周りの出来事という情報が感情を伴い、器質そのものの障害ではなく働きという機能の障害となります。それは発声にも影響するわけです。これは、感情を伴う前に、情報の段階で処理するのが望ましいのです。

○心因とは、何か

たとえば、
・病院で異常がみあたらない
・薬が効かない
となると、周りに「気のせい」とか「大げさ」と思われるようです。これは、気のせいや気の迷いではなく、ストレスという心の原因、つまり心因です。
こうして、原因がはっきりとしないと、いろんなところを回り、ドクターショッピングならぬトレーナーショッピングをする人も少なくありません。その大半は、心の問題なのです。

○心因性ということ

 腰痛でさえ、器質性障害でなければ、ストレス、心因性のものがほとんどと言われています。つまり、原因不明なのです。大半はそれを心の側に求めざるをえないから、ある面で、発声や歌唱などと、とても似ていると思えるのです。

○思うと大きくなる

心配事、悩みなどがあると胃が痛んだり下痢をしませんか。私もいくつか経験したことがあります。外傷のように原因に応じた痛みではなく心の問題ですから、考え方しだいで思った以上に大きくもなるのです。思いによって、大きくも小さくもなるといってもよいでしょう。
若い頃、心配事で胃潰瘍になった人に「猿も同じで、ストレスで血を吐いて死ぬこともある」と言われ、妙に怖かったことを覚えています。まさか声の仕事に絡んでくるとは思いもしませんでしたが。

○疲れの処方

 心因から来る疲れには、次のようなことが必要となります。医者や専門家の直接的な対応以外に、です。
生活習慣、ライフスタイルの改善
社会環境(仕事や家庭、コミュニティ)の改善
心理療法
行動療法
本人の認知のしかたの変更

〇休んでも回復しない

大体、具合が悪いと言われることは、ストレスや過労、疲れすぎ、睡眠不足、フィジカルやメンタル面でのオーバーワークからくるものです。いくつか重なることが多いです。
誰しも、日常では動いているし疲れてもいるのです。そこで休んで回復すればよいわけですが、大体は、休めないか、休んでいるつもりで休めていないのです。休んでも、よくならないのが、もっとも困るわけです。それを元に扱うのが、神経内科や心療内科、ペインクリニックです。

○健康というのは

ところで、一般的に健康とは、どういう状態でしょうか。
客観的なデータとしては、体温36.8度まで、血圧70~140、脈拍70~80/分といった数値が指すところではないでしょうか。
WHOの定義では、次のようになっています。「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。」

○代替療法と医療

 心因性の痛みは、鍼灸、マッサージ、整体、カイロプラクティック、オステオパシー、気功、健康器具、ドリンク、漢方薬などでよくなることもあります。
医師にかかると、抗うつ剤や精神安定剤が処方されます。これは、近年、副作用が抑えられてきたため、やや安易に使われているようになりました。私としては、心配です。
 私の知人のファド歌手の月田さんは、繊維筋痛症でした。痛みだけでなく、抑うつ、不眠が続くのです。他に、過敏性腸症候群、膀胱炎様症状、頻尿などは、心因性の痛みと共通しています。
鎮痛剤、運動療法、ホルモン療法、抗うつ剤などは効かない、あるいは、最初は効いていたように思っても、やがて効かなくなることがあるのです。

○痛みの抑制の尊重

 痛みは、身体の異常を知らせるものですが、それは、必ずしも症状のひどさに相関しません。それどころか、痛むところが悪いということでもないことがわかってきました。
これまで、痛みに対処して原因がわからなくなっては困るという判断上、治療で優先されていなかったのです。しかし、今や、ペインクリニックなどでは、「まず痛みを抑えて生活の質を下げないようにする」という考えになりつつあります。
痛みを我慢するのは心身によくないし、何よりも、体に原因がなくても痛むこともあることがわかってきたからです。本人の感覚を尊重するようになってきた点では、私たちも学ばなくてはならないと思うのです。

○心身症と心の病

心身症というのも、心の不安から身体の症状が出るのですから、心の病ではなく身体の病です。ただし、その原因は心なのです。
失体感症では、倒れるまで気づかないそうです。ノイローゼのように気のせい、我がまま、とみなされやすいので、本人も自分の責任と思ってしまうのです。
・命に関わる病気(心臓、脳、呼吸器、ガンなど)
・生活に支障のある病気、ケガ
・外目につくもの(見た目がよくない)
 これらは、病として治療されますが、それに当てはまらないのが、心の病といえます。
 身体のケガ、病気は、自分のせいではないと思えるし、そこを医者が治します。しかし、心身症は、生き方や考え方も含めた問題と自覚させられ、ばつの悪い思いもするので抵抗してしまいがちなのです。

○心気症

心気症は、体の異常を訴え、大病にかかったように自己判断してしまうものです。真面目で完璧主義の人に多くみられます。
ヒポコンドリーといいますが、これは、コンドリー(肋骨)ヒポ(下)です。神経質な人は、脇腹、みぞおちが痛くなりがちだからでしょう。神経質を指します。

○転換機能性障害

身体の障害が続くと、それが納まっても、心に転換して機能障害が続くことがあります。女性に多いようです。
声が出なくなることもあるので、私も関わっています。耳が聞こえなくなることもあります。それどころか、目も見えなくなる、歩けなくなるとか、めまい、失神など、何でもありです。そうなると、心療内科の専門となります。

○詐病

気のせい、大げさ、痛がり、詐病などと思われて、なかなか周りに認められないものですから、自分でもっと病状を悪くさせてしまうのです。しかし、駄々をこねる子供のようにしていては解決しません。
詐病は、詐欺ではありませんが、目的があったり利益を求めます。虚偽やホラというのは、似ていますが別です(rf.ミュンヒハウゼン症候群)。

〇自覚しにくい

痛みを増すことで得すると思うケースは少ないはずですが、無意識下では、どういうことが起きているのかわかりにくいものです。そうと知らずに、痛んで休める、逃げられる、関心や同情を求めていることもあるからです。ストレス、心のねじれ、罪悪感、引け目、それらと症状を結びつけることで、ようやく治療のスタートに立てることも多いのです。

○心のせい

 痛みがあると、体に原因があると思うものです。CT、MRIなどは、そうしたことの解明に役立つ検査機器です。しかし、そういう検査で見つからないケースでは、心に原因があることも少なくないのです。体と心の両方ということも、多々あります。
心の原因では、胃潰瘍や過敏性腸症候群くらいで、激痛を感じたり歩けないとか立てないとは思わないわけです。しかし、そうではないのです。人間の心の働きがとても大きいのです。
それでも私たちは、難病か新病ではないかとまで疑い、自分の心のせいとは思いたがらないのです。心の場合、体の部位の映像のようにエビデンスとして示せないからです。

○波動や音、声の効果

 温熱、赤外線、磁力低周波、鍼灸、レーザーなどが心身に効くというのなら、波動や音、声も効くわけです。
 抗うつ剤は、以前より副作用が減ったせいか、安易に処方されてきています(SSRIがメインです)。
 しかし、芸術療法、音楽療法、そして、声楽、合唱、カラオケなどは、医療とは言わなくてもスポーツや武道同様に、大きな効果を出しているといってもよいと思います。ポジティブに情動にも働くから尚さらです。こちらに頼って欲しいものです。

○代替療法としての心理療法や絶食療法

 心理療法で、自律訓練法、交流分析、行動療法は、私もかじってきました。クライアントなどに対応するのに、認知療法も学ばされました。内観法、森田療法なども、呼吸法を学ぶかたわら、触れてきました。
絶食療法は、石原結實氏の伊東の治療院へ、日研フードの越智社長の実践に付きそって体験したことがあります。催眠療法は、周りにけっこう関係者がいました。もちろん、私はその専門家ではないので実施はしません。そういうところから来た人の話を理解するのに必要だったのです。

○ハードな絶食療法

安静にしすぎると筋肉が衰え、倦怠感も増します。そして、その悪循環に陥ってしまいます。外部との接触を避けて孤独に浸りがちになります。
そこへの絶食療法は、ある種、ショック療法です。食を絶つことでのストレスは抵抗となります。そこでは助けを求めても拒絶されるハードなものです。

○身体表現性障害と腰痛、ぎっくり腰

 腰痛では、原因不明の腰痛(非特異的腰痛)が8割以上と言われます。痛いということで表現しますから、身体表現性障害の一つです。
 私がぎっくり腰を最初に体験したのは、30代に入った頃でした。専門学校の講義を一年続けた後の春休みのことでした。近所の整体外科に行くと「3週間で治る」と言われましたが、何らかの大病かと思い、翌年からの講義を替わってもらいました。電気を流した治療などが効いたとは思えませんが、本当に3週間で治りました。会社をつくったときで、講師業もプレッシャーになったのかもしれません。
その後、10年ほどして、腰痛は、飛行機で片道2日間かけて海外へ行くようになったときに自覚したのを覚えています。それから、そのレベルの腰痛は2回ありました。2回目にはさすがに心配になってCTからMRIまで検査を受けました。

○緩和での発症

私としては、腰痛は、ストレスを抱えたり多忙なときよりも、一段落ついたときに風邪なども発症するので緊張状態の解放からくる発症と思いあたりました。
声なども風邪のあとの方が出なかったりします。緊張が発症を抑えていて、それが切れると出るのです。これも心の働きといえます。
夢中になっていると、痛みを全く感じない、お腹がすいていることも忘れるなど、誰もが体験しているでしょう。しかし、その状態が続くというのは、無理してハイリスクを抱えていくということです。

〇夏樹静子の腰痛と心因

日本のミステリー女王の夏樹静子は、とんでもなくひどい腰痛で、あらゆる治療を試したあと、絶食を含む心理療法(心療内科)だけで完治した経験を「腰痛放浪記 椅子がこわい」で述べています。

〇腰痛対策

 対策からいうと、
・同じ姿勢で固めないこと
・目的なく楽に歩くこと
・太らないこと
・あぐらや横すわり、だらしない座り方をやめること
・足を組まないこと
・ゴルフ、テニスなど、同じ側だけ使わないこと
・猫背やストレートネック、反り気味を避けること
・冷やさないこと、冷え性を解消すること
・咳やくしゃみのときは、手を壁につくこと
・両足をそろえて、手をのばさないこと

○痛みの原因

 痛みは、神経ではなく筋肉にあるのを神経が感じ取るのです。筋肉が緊張で固くなると、血行不良が起きて発症することが多いです。張る、凝るという形で出たのなら、その元となるところの硬さをとることです。
膝やふくらはぎに症状が出るのも、腰が固まっていることからくることが多いようです。

○痛みへの対策

痛みに対して、揉んだり、強く叩いたり押したりする、筋肉を伸ばすのはよくありません。筋繊維が断裂しかねません。
緊張を緩めるには、緊張させないことです。しかし、筋肉を動かすのも動かさないのも緊張します。骨格のゆがみもその原因となります。
筋肉痛には、動かすことが効くのです。老廃物が排泄できるように軽くストレッチなどをしましょう。動かさないとカルシウムが溜まり血行不良となります。酸素不足となります。これが厄介なのです。

○乏血と閉じ込め

 体の痛みは、その刺激から脊髄内の知覚神経、シナプス、ニューロンを経て、大脳皮質の視床で認識されます。すると、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、血管が収縮して、筋肉の緊張を促します。それが乏血をもたらすと、組織内で酸素が欠乏して内因性の痛みが出るのです。ですから、ぎっくり腰も、全く動かさないでいると尚さら固まってしまいます。痛みを閉じ込めてしまうのです。少しでも動かせるところを動かしていくことが、早く治す秘訣です。

○NBM

 「心の痛み」というのは、最近は「脳が痛がる」というように使われてきています。脳の前頭葉前部のネガティブな感情を司るところが肝です。
EBM(Evidence Based Medicine)に対しNBM(Narrative Based Medicine)と言うそうです。Narrativeとは、物語ですが、ストーリーではなくナラティブ、個人それぞれの存在や生き方など、全人的に捉えるアプローチのことです。

○自閉と解放

 「あるがままの自分を受け入れる」というのは、その状況に浸りきるということです。社会というのは、自ら動かないと声を掛けてもくれませんし認めてももらえません。
 しかし、閉ざされた世界を完全に閉ざすと、窓が開くこともあるのです。それは、自らが開く窓で、心が外へ向いて初めて気づくことです。
それは、これまでの閉ざされたところへ人が入ってくるのと違います。つまり、「無にする」からこそ「有がみえる」ということです。山にこもる修行と似ています。我を捨て、素直になれるのです。

○あるがまま

 トイレ掃除という修行があります。研修や企業でも行われてきましたし、鍵山氏の活動などでも有名になりました。近年、企業でもかつてのようなみそぎ研修のようなものはなくなりつつあります。パワハラまがいという一言ではくくれない効用も確かにあったわけです。
 徹底した掃除は、完全主義者の完全を追求する一所懸命の姿勢に習い、淡々と行うゆえ、禅のような効用があるのです。強制されるのでなく、自ら心掛けてこそ、効用も大きいのです。

○心と社会

 「考え方が生き方を変える」といわれます。「うまくいっているならともかく、うまくいっていないのなら、変えてみてはいかが」、ということです。薬や他人に頼るよりもずっとよいと思うのです。やった人にしかわからないといえますが。
文明や科学がいかに進んでも、心は、そう簡単に変わらないのです。それは、社会の問題がいつまでもなくならないことからも明らかです。
昔のものにも学べるところがたくさんあります。まして、昔よりもひどくなったことについては、昔に立ち返って考えてみることが必要と思われます。

○囚われから脱する

 気にしなくてよいというのに気にするのは問題です。囚われすぎてしまうと、自ら病を招いてしまうからです。症状が違っても、そうしたときの状況が似ているのは、驚くほどです。「自分が一番苦しんでいる」という思い込みは、他の人のケースを学ぶことで断ち切れることもあります。
 苦行で囚われから解放されると、自信になります。スポーツの猛練習などもそうしたことを起こすわけです。メンタルに弱いとしたら、こうしたことをスポーツや武道を通じて身をもって学ぶことが、もっとも確実なのではないでしょうか。

○気にすることへの対処

 「気にするな」と言っても、それで気にしないくらいなら悩みません。人は、気にしないようにしようとすると却って気にしてしまうものです。気にすることから抜けられなくても、囚われたイメージをマイナスの方に増幅してしまうのを避けることが大事です。
不眠つづきなら具合もよくなく集中もできなくなりますが、そこでもできることをやっていくのです。はかどらなくても一日、やり終えることが必要です。

○ありのままに

私は、やる気なくボーっとしてしまうときにも、やれることを、予めリスト化しておいて、ただ、行います。精読や執筆などの頭脳労働はあきらめます。難しいものは避けて簡単なものをこなします。
 健康観と同じで、集中できて難しいことをこなせるのが通常と思い込むからいけないのです。ただ、その準備(リスト化など)だけは、元気でやる気のあるときにしておくことです。

〇リスタートする

頭が冴え、気力も体力も充ちている状態は理想ですが、現実がいつもそうだとは限りません。今日は、頭も体も最悪な状態かもしれません。少なくとも、病気やケガのときは思うままにいかないわけです。あるいは、緊急の用ができたりしたら、仕事も家事も手に付かないこともあるでしょう。そこでは、深呼吸して落ち着くことからリスタートです。ただ、無心に淡々とやることで、調子を戻していくのです。

○ネガティブとポジティブ

 声について、不調なところからレッスンで大体よくなってきたとき、「まだ先が見えない」と思う人と、「もう大丈夫」と思う人がいます。その違いは、症状そのものよりも考え方、ポジティブシンキングとネガティブシンキングとの違いといえます。
うまくいかないという思い込み、囚われをなくすのも、レッスンの目的となります。とはいえ、ポジティブの方も、度を越えないことに気をつけています。

○スピリチュアル

何事も、体、心、人間関係、スピリチュアルと、4つくらいの原因に分けて考えるとよいでしょう。
人間関係とは、あなたを取り巻く社会です。スピリチュアルは、そこでみえないものです。体に対しての心のように、自分の体に現れない心らしきものと捉えてみるとよいでしょう。

○ストーリー

 自分の状態というのを事実としてつかむにはメモやノートをとりましょう。
私は、相手の捉え方や囚われ方をみるには、その人の話をメモすることから始めます。
話しだすとストーリーとなり、その人の心の奥にあるものが、その人のものごとの捉え方と共に出てくるからです。そのバックグラウンドを探るわけです。
 それを自分自身にも当てはめて、やってみるのです。

○声に表れる囚われ

 心の症状は、上ずる、早口、遅すぎる、回りくどいなど、声に表れます。強固に囚われてしまうと素直に表に出せなくなるのです。そのバックグラウンドとは、何でしょうか。
生育の環境、家族関係、特に育てた人、両親
友人関係
恋愛観、結婚観
宗教観、仕事観、人生観
現状、職場、家庭
それぞれについて考えましょう。そして言語化してみましょう。

○完全志向からの脱却

「不本意、完全ではないが、必ずできる」と思い、できなくてもやり続けていきましょう。
雑念をもちつつ動いていくことです。
運動しないと、筋肉の衰えから心身も衰えて悪循環になります。必要以上に安静にすることこそが害ともいえます。
これは、根性で無理に努力するのとは違います。完璧を目指さないことも必要です。

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