論77.コンディショニングの前にストレングスを

(1)
〇実力をつけることと実力を出し切ること
 
あるレベル以上の人たち、スポーツ選手アスリート、専門家などにとっては実力を出し切ることが問われますが、そうでない人にとっては、いつどのように実力をつけるかが大切なのです。
実力ということを考えてみますと、次の二面が考えられます。
A:強化すること  ストレングス
B:調整すること コンディショニング (ケアすること)
整える習慣という本がよく売れているそうです。評判もよいようです。整えるというのは、調整に当たります。いうまでもありませんが、いくら調整しても、調整したら成果を上げられるだけの元々の力がなければ、調整してみても、大した結果は出ません。
 
〇トレーニングとは
 
ヴォイストレーニングについて、私が一貫して述べてきたことは、力をつけていくということです。ところが、この業界においては、力を出していくことばかりが重視されているのです。
本番での一発勝負のようなことが問われるという役者や歌手特有の問題があります。
その結果、様々な問題が起きています。いや、隠れているといった方がよいでしょう。
なぜそうなのか、そうした構造について、私はずっと述べてきましたが、ここで再び、まとめてみたいと思います。
まずは、アスリートなどを例として述べます。次に、具体的な声の問題に言及します。最後に、ヴォイストレーニングを受ける人と教える人について、まとめます。
 
〇基本と応用
 
先の二面を、A:強化、B:調整と2分して進めていきたいと思います。
どのような社会でも、基本的な実力というのが問われます。それは基本的なトレーニングによって身に付けていきます。
例えば弁護士や医師であれば、その資格を取らなくてはなりません。知識の勉強とともに実務経験が必要とされます。スポーツ選手であれば、ルールを学んだり作戦を勉強するのとともに、体力や筋力を強化し、身体能力を鍛えます。その上で競技に合わせて、その競技に有利なように感覚や身体能力を磨いて、対応できるようにしていくわけです。
AとBは、完全に分けられるわけではありません。しかし、やや強引ですが、実力をつけるというのがフィジカルな能力、実力を出すというのがメンタルな能力というふうにも考えることができます。
フィジカルな能力をつけていくときには、メンタルな力も鍛えられます。しかしメンタルの能力をつけているときに、いま持っているフィジカルな能力は出しやすくなるかもしれませんが、フィジカルの能力そのものは鍛えられないのです。
 
〇精神主義
 
そのためにメンタルトレーニングなどがなかったときには、根性とか精神力とかいうような言葉で、やたらとフィジカルトレーニングを強制して力をつけていたわけです。
そのやり方に対応できた人は、どんどんと力をつけていき、対応できなかった人は落ちこぼれたり、怪我をしたり、引退を余儀なくされたりすることもあったわけです。
日本の場合は、軍隊的な考え方が、体育会などに持ち込まれ、そのまま、サラリーマンである会社組織の教育にまではびこってしまいました、それが昭和という時代だったのですが、その結果、本番で緊張して力を出せずに負けてしまうようなことも度々、あったわけです。
それでメンタルの必要性が叫ばれ、メンタルトレーナーが重用されるようになりました。
 
〇慣れと経験
 
例えばスピーチなどは、特に日本人の場合、公で話すという経験が教育にあまり入っていないので、あがってしまって、日頃の実力を発揮できない人が多かったわけです。
カラオケなども、最初は、スナックとかで知らない客の前で歌うということで、歌の実力よりも緊張しないで歌うことが、大きな障害となり、そうしたことでの失敗を多く経験していたといえます。
 
〇70パーセントの完全
 
私が当初、ヴォイストレーニングの中で提言していたことは、「100の声があっても、それを50パーセントしか使えないなら50の力にしかなりません。70パーセント、80パーセントと、その比率を上げていけば、同じ声力であっても、結果が違ってくる」ということでした。
100の声というとわかりにくいので、100の器、地力と考えてください。
つまり、効率です。質と言ってもいいかもしれません。
商売の世界でいうと、100人のお客さんを集めて50人にしか買ってもらえないのであれば、もっと客を集めるよりも、70人80人に確実に買ってもらえるようにするほうがいいというようなことです。今、考えると、フィジカルトレーニングに行き詰った人へのメンタルトレーニング的な対応だったのですね。その前提として、身体能力の高い人が多かったからです。その後、一般向けグループになると、フィジカルの力不足が目立つようになり、基礎的なヴォイトレを中心にすることになります。
 
(2)
〇声立て
 
具体論に入ります。息を声にするところを起声、役者の世界で声立てといいます。
力を入れたら声が大きくなるというのを、入れすぎても限界が来ますから、確実に声にするということです。共鳴をよくさせるということでもあります。
息の量が100で、それが50パーセントしか声にならないなら、70 、80パーセントと声にしていかなければ、息の量を増やしてみても仕方がないからです。
 
〇基礎と応用
 
地力をつけるというのは基礎であり、実力を発揮するというのは応用です。
結果というのは応用ですから、結果だけで見るのであれば、応用力のほうに焦点を当てた方がよいわけです。
しかし、応用がうまくできていたら、基礎はいらない、のではないのです。
本当に応用がきちんとできるということは、基礎ができているということになります。
その点で、基礎トレーニングは、結果において問えるものといえます。
 
〇必要度
 
「基礎が必要」とか「トレーニングをしなさい」といわれるのは、応用がうまくできていないからです。
自分なりに応用がうまくできていると思っているなら、誰かが認めないとできないような世界以外では、自分でどうやってもいいわけです。特に、歌や演技は、最低ラインというのもないわけです。
 だからこそ、必要度をあげることが問われるのです。
 
〇声の基準
 
歌や声などは、実力といっても、その辺が非常にあいまいなところなのです。
ヴォイストレーナーの資格が、国家資格のように定められないのも、声というものの基準やそれをどのように身につけていけばよいのかに様々な考え方があり、一致させるのは難しいからです。
 
〇声の大きさ
 
鍛えていくということでいえば、声量、声の大きさなどは、その要素の一つだと思います。もちろん声の高さや音色なども、鍛えることによって変えることができます。
息の力ということで、強く吐くと声が大きく出るところは、力量という意味でわかりやすいと思われるのです。
ただ、この場合の声の大きさというのは、音楽的にこなされる歌声というよりは、せりふ、それも感情的な声の使い方、もしくは、それにもならないような人間としての発声機能の最大値ということになります。
 
〇経験と素質
 
アスリートでいうと、猛ダッシュで3メートルほど走りだす力のようなものです。走るにもスタートにも、最適のフォームというのがあります。
そうした基礎の前に、自然体での成育、もしくは自己流での経験で獲得した能力というのがあるわけです。
さらにその前に素質というものがあります。それが、歌や芝居は、案外とものをいうから複雑なのです。
 
特に、ヴォーカルというものは、どこかに天性の素質みたいなものが要求されます。
アスリートでいうと、100m走の選手みたいなところがあります。自然体で走っていて、もともと速かったような人が、基礎的なトレーニングをして、より速くなるということです。クラスでビリの人が、努力して最高の短距離ランナーになった話は聞きません。
長距離やマラソンではともかく、100mでトップになるのは、難しいのでしょう。先天的な素質、後天的な経験、それが基礎トレーニングの前に問われているところが大きいということです。
それに対しては、役者や声優というのは、後天的な環境での経験で得られたものが、大きくものをいうように思われます。
 
(3)
〇ストレングス
 
一度、ここでまとめておきます。100の器を何パーセント使うかというような勝負、これをコンディショニングとすると、その前に、100の器を200、300の器にするストレングスがあるということです。
 
かつての歌手は、大きな声が出なければなれなかった、今から考えると、音響技術が発達していなかったことやメディアの違いがあります。
今でも、マイクを使わないような分野、邦楽やエスニックな歌い手においては、声量というのは、大きく問われるものです。
 
もう一つ、オペラ歌手、その声は、日常の日本人の声とは違っています。(欧米人、特にラテン系の人の日常会話の声は、つながりがあります。)
もとより日本語のしゃべり声の延長上にある世界ではないので、発声法、共鳴法、呼吸なども含めて、オペラの発声には、学んでいくプロセスというのがあります。声楽というものです。
ですから、いくら役者として大きな声が出ても、オペラの曲をそのままでは、歌えません。
 
〇効率のまえに器
 
確認しておきたいのは、コンディショニングの前にストレングスがあるということです。つまり、50パーセントの発声効率、コンディショニングであっても、器が2倍3倍となっていけば、結果も2倍3倍になるということです。
これはこれまでの効率の考え方と別の考え方となります。
もちろん、器を大きくしていくことは、効率を上げていくことよりも時間がかかったり難しいことかもしれません。だからこそ基礎なのです。
 
理解しにくいようであれば、声量をストレングス、声域をコンディショニングと、一時的には、考えてみてください。もちろん、こんなに単純に分けられるものではありませんが、優先順とか基本と応用ということで、説明しておきたいのです。
 
〇コンディショニング
 
かつてのヴォイトレには、(少なくとも、ここには)素質はともかく経験として、自分なりに目一杯の声を出してきたような人たちが、限界を感じていらっしゃいました。つまり自己流のMAX、限界だったわけです。
となると、そこからは、コンディショニングが第一となります。
 
あるいは、声量に恵まれた人、海外などのオペラ歌手やヴォーカリストは、日常で身体からの声が出ます。となると、ノウハウは、コンディショニングとなるわけです。
 
何よりもその人たちが、見本として聞いていた歌手は、声量やボリューム、パワーがあり、それを真似てきたのですから、自然とそういう経験を積んできたわけです。
しかし、今や時代が変わりました。
 
(4)
〇ストレングスの軽視
 
特に日本においては、若い人たちは声を出しておらず、その人たちが見本として聴いていた歌手にも声量やボリュームがある人は少なくなりました。
ですから、ヴォイトレにおいても、今の声からスタートするのであればコンディショニング、今の声を一旦、おいてみて、最大限声が出るようにしておきながら、進めていくのであればストレングスということになります。
 
〇トレーナーの偏り
 
そういったことを教える人のなかには、ストレングスからコンディショニングに入ったときに声がうまく出たり歌が上手く歌えるようになった経験などをするものですから、誤解するのです。
ストレングスが無理矢理声を出すための悪い発声、間違った学び方と思い、それを避けて、最初からコンディショニングをすればよかったなどと考え、コンディショニングだけを教えることが多くなったわけです。
 
フィジカルトレーナーに、競技で怪我をして挫折して、育成側になった人が多いように、ヴォイストレーナーも、そうした挫折の結果、人を教える方向に進んだ人が少なくないのです。それは、プラスのことも多いのですが、こうしたマイナス面を隠してしまっているわけです。本人もそれに気づいていないのです。
 
〇一流の条件
 
サッカー選手でいえば、ストリートでめちゃくちゃなサッカーをやって体力や感覚を磨いて、そこからチームに入った人が、その時代の経験は全て無駄だったとして、最初から競技場でルール等を教わればもっと上達したと反省するみたいなことです。
 
しかし、もしその人が一流の選手であったなら、競技用プレイ以前のどんなこともが、パワーや発想や、ファインプレーの源となっていることを知るでしょう。
なぜなら競技場で学ぶことは、あらゆるプロのサッカー選手も経験しているのです。それを超えるためのものというのは、そうでない経験から得られたであろうことは想像に難くないからです。
 
それとともに、アスリートの場合は、サッカー選手なら試合中に10キロ走るのですから、日頃10キロ走れるような体力がない人は、プロどころか、選手になることはありません。
その上でのコンディショニングであって、1キロ走れない人にどんなにコンディショニングを教えたところで、それが通用するのは、同じく1キロ走れない人同士のプレイでしかありません。それは多くの場合、第三者が見るに値するだけのプレイではないでしょう。
 
〇ヴォイトレの偏向
 
どんなアスリートであれ、あるレベル上でやっていくときに、ストレングスをおろそかにすることはありません。ところが、ヴォイトレにおいては、コンディショニングだけがメインになっていることがほとんどです。
 
ですから、私はいろんなところで学んできた人に、「声を大きく出してみてください」と言います。普通の人ほどにも出ないようであれば、せめて人並みの声量を第一条件として考えます。
 
もちろん、アスリートと違いますし、音響技術も使えますから、そのことができないから、可能性がないということではありません。
ただ、それはどうして出ないのか、もし出るようになるのであれば、まずは、そこからスタートさせることは、最も自然なことだと思うからです。
 
 出したことがないから出せないということよりも、歌唱やせりふだから、コントロールするためにセーブして、もっと出せるはずの声を使っていないことが、ほとんどだからです。
 
(5)
〇声量優先していない
 
日本のヴォイトレで、声量が声域より優先されている例はあまりありません。それは、ヴォイトレを受ける人が高い声を出したいというニーズで、レッスンに来ることが多いからです。
 
もちろん、そこが優先でしたら、そこから始めるのも悪くはありません。ただし、それを第一目的にしてしまうと、声量や声質をおろそかにする可能性も出てくるわけです。ただし、どちらが先なのかということでは、声域からすると、声量は制限されるのです。
 
競技場のサッカーから始めて、その後にストリートの中でやることは、結構、危なくて、難しいと思います。
器というのは、最初にできるだけ大きくしていき、その使い方は、それがある程度おちついてから行った方がよいのです。
 
〇声量と声域
 
今や、ヴォイトレのノウハウとは、コンディショニングとなってしまったわけです。
それは、極論でいうなら、優先順位を声量から声域に、声量否定、声域のみ重視にしたということです。
声量や音色は、基礎であり、日常的な能力に潜在するし、音響技術でカバーできるので、スルーされてしまったのです。
 
〇リズム、音程、高音の前に
 
例えばうまく出ない声で、ピッチやリズムのトレーニングをするよりは、ある程度声が出るようになってから、始めなくては、その感覚自体が変わってしまいます。
音感やリズム感があれば、声が出やすければ、うまくとれるのに、声が出にくいから、うまくとれないケースが多いからです。
 
高い声などでは、なおさら、それに当てはまります。ピッチ(音高)が下がっているというような例は、発声がうまく伴っていないからです。
うまく声が出ないときは、リズムやピッチも楽器などでトレーニングした方が、有効です。
高い声の発声と同じで、うまくいかない発声のところで、覚えてしまうことによって、不安定なまま、くせをつけた発声となり、そうした感覚自体が狂うことが多くなるからです。
 
〇ピッチより発声中心に
 
声の調子がいいとピッチが合い、声の調子が悪ければピッチが狂う場合には、発声をしっかりと教えなくてはなりません。しかし、そのときにピッチを重視して教えると、ほとんどは、その音に当てるだけの響かせ方をマスターすることになります。
 
これは応用の処方箋であって、実際にステージが近いと、そうせざるを得ないのですが、基礎の勉強としては、感心しません。まともに歌えている人にはそういう感覚でマスターしたプロセスがないからです。
つまり、いつまでたっても、ピッチをとりにいくような歌い方になってしまうのです。しかし、そうした共鳴法をテクニカルなものとして教えているのも、ヴォイストレーナーです。
 
〇やり方に囚われない
 
このこと自体が間違っているとかよくないということではありません。
身体の使い方や共鳴のあり方などを、いろいろと研究するのは、よいことです。
ただ、そのやり方だけが正解のように思ってしまうと、ほとんどの人はそこから出られなくなってしまうのです。
共鳴点、喚声区や支え、声の種類や発声テクニックなどといった用語もそれに囚われすぎることのないように気をつけなくてはなりません。
もともとないものをイメージのインデックスとして使っているからです。それは何のために使われていて、どういうときに消さなくてはいけないのかを知っていくことです。いつまでも、こうした補助線を引いたままではいけないのです。
 
〇まとめ
 
100の器を何パーセント使うかというコンディショニング、その前に100の器を200、300パーセントにするストレングスがあります。
コンディショニングの前にストレングスがあるということです。
 
つまり、50パーセントの発声効率、コンディショニングであっても、器が2倍3倍となっていけば、結果も2倍3倍になるということです。
器を大きくしていくことが、まずは、基礎なのです。
 
ステージなのでコンディショニングが効かなくなる、調整できなくなって、こちらにいらっしゃる場合、それは、コンディショニングで調整するのではなく、ストレングスを鍛錬していくということがベースとなるということです。

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