特論62.大谷翔平選手に学ぶヴォイストレーニング(Ⅱ)

◯ルールの改定

あとは、余談にします。
スポーツの大半は、欧米人の決めたルールに基づいて行います。日本人に限らず、アフリカやアジアの者にとっても、その身体能力の延長上では不利なのです。たとえば、動いている的に当てることでは、動体視力が優れた民族が優位になります。だからこそ欧米人は、静止した的での競技にしたわけでしょう。
そういった見地からのルール改正が、いくらでも行われてきました。
私たち日本人には、バサロ泳法やスキー板の規制が思い浮かぶでしょう。日本人選手が新しい技や技術のツールなどで活躍しやすくなると規制が入るわけです。
ルールを作る側に回らない限り、いつも不利な立場を強いられるのです。これは国際条約や貿易においても同じです。
ところが、大リーグのワールドシリーズでは、大谷翔平選手の出場に有利なルール改定が行われました。これは、世界の一流ということで認められたわけです。もちろん、商業的な成功を考えてのことです。


〇スポーツマンシップ

サッカーのワールドカップなどで見て、私が日本が勝つことに他の人ほどの喜びを見出せないのは、勝敗より中身の問題を重視してしまうからです。
日頃、見てないので選手を知らないということもありますが、私はいい試合が見たいので、強豪チーム同士とか決勝戦にふさわしい試合を優先してしまいます。
国中が団結し、愛国心が高まるのも、自国選手の活躍を国の誇りだというのも、人が生きていくのに、すごいエネルギーを与えてくれるから、よいことでしょう。
お目当ての選手を応援している人は、その活躍に熱狂的な声援を送れるのです。心も一体化しているので、勝つと自己肯定欲が満たされます。
そのために他国の選手をけなしたり、アンフェアなことをしてまで勝とうとしなければよいでしょう。
しかし、競り合って最高の試合をもたらすためには、
両方の選手が一流であり、観客にもそれなりの節度を持った応援が問われるのです。

日本人が観戦後にゴミを拾って帰るのは、「ゴミを掃除するのが仕事の人たちがいるのに」と思っていましたし、戦いの後にいろんなものが散らばるのも余韻と思っていました。
しかし、海外にも、そうしたことを称賛する人たちがいて、見習おうという人がいて、そういう習慣が世界に広がっていくことは、よいことでしょう。それを理解する人たちが世界中にいるからです。
 そういうところから世界が暮らしやすく変わっていくのでしたら、日本人にとって誇らしいことと思えます。大谷選手のゴミ拾いですね。


〇能力の発揮と養成

体力トレーニング、筋トレなどは、どのように力を入れて力をつけていくかというものでした。それが、あるところから、力を抜かないと力が発揮できないこともわかってきます。そして、力を入れるのは簡単で、力を抜くのが難しいこともわかってきました。
力を抜くのによいものはと探し、その力の使い方ということで、体幹トレーニング(コアトレーニング)がとり入れられました。そういったバランス感覚がとれることを目指すようになってきました。科学的な分析をして、その結果もどんどん明らかになっていき、栄養学などとともに競技の技の向上に貢献しているのです。

つまり、潜在能力の発揮ということです。人間は、自分の持つ力を仮に地力100として、100の力の全てを使えているわけではありません。となると、何パーセント使えているかということです。そこには、個人差が相当あるのです。
たとえば緊張であがってしまって、練習では90パーセントの力が使えるのに本番で60パーセントの力しか使えないという人は、力を増やすことよりも、使える率を高め、発揮できるようにしたほうがいいわけです。そうしなければ120の力にしたところで、その60パーセントの72の力しか出せないわけです。というような理屈本位の流れになってしまったのです。
研究所では、そのパーセンテージを上げることは大切だけれども、地力を120、150、200にしていくということを、基礎のトレーニングとみています。極端なことをいうと、地力を200にすれば60パーセントでも120の力が出るのです。
どちらも大切ですし、どちらが大切かは個々の状態、状況によって違うでしょう。こうした考え方で分けていること自体、おかしいことかもしれません。
しかし、この問題が、ヴォイトレでより複雑になるのは、一般の人以上の筋力や体力を前提とするスポーツ、武道、ダンスなどとは、発声、歌唱は違うからです。


◯トレーニングの日常化

私は長年、発声をトレーニングしていますが、それほど特殊なこととは思っていません。
ヴォイストレーニングというと特別なもののように思われますが、毎日誰かと話したり、声を使っているのです。それが声の準備運動とすれば、ごく普通のことです。
体が疲れてきたら、誰もが伸びをしたり体を動かしてコリやむくみをなくそうとします。それを、いちいち柔軟トレーニングとか整体などとは思っていません。自分でそれなりに行って整えているわけです。そこでは、強化と調整について明確な区別ができるわけではありません。
もちろん、専門家が行う方がより効果があると思われているわけです。でも、それはどういうことかを問うことです。声についても同じでしょう。

声が悪いから、声にコンプレックスがあるから、ヴォイストレーニングはやりたくないという人もいますが、むしろ、よくないからこそ行えば、どんどんよくなるのです。
昔は「自分は声がいい」「歌がうまい」という人が多く研究所に来ました。もっとよくしてプロになりたいからです。自分で歌ったりせりふを言ったりしても、あるところまで行けます。あるところで限界を感じたら、ヴォイストレーニングをすればよいのです。

多くの人が間違えているのは、ヴォイストレーニングの基礎のところは、何かの目的のために行うのではないということです。日常の中に取り入れられていて、生まれてからこの方、日本人なら日本語を喋っている期間と同じだけ、いや、喃語や泣き声なども入れると、それ以上に長い期間、これをトレーニングして持続してきているわけです。

声が自由に出て、いくらでも楽に使えるのであれば、ヴォイストレーニングも必要ないのです。しかし、そういう人でも声を出さなくなると、声がうまく出なくなります。つまり、これは、日常の中で、その人なりのヴォイストレーニングが行われているという証拠です。

ここは、とても大切なところです。自分の日常の必要性以上に、声を使わなくてはいけないところにトレーニングが必要となるわけです。
たとえば、もっと高いところ、もっと大きな声を、もっとコントロールされた声を、となると、日常の中では、なかなかクリアできません。
日常の会話でも発声からみるとかなりの応用です。話し声では、普通の人はかなり雑に声を扱っているといえるのです。


○メンタルと声

日常の生活の中では、体調を崩したりメンタル的に弱っていたりすることも常です。それが人生を生きていくということです。そういうなかで、声に支障が出て、悪い循環になってしまっている人もいます。
声によってそれを早く察知し、日々の体調を整え、声をコントロールできるようにしていくと、自然と何もかもよくなっていきます。
悩みの解決にはいろんな方法があります。声を出すということは、瞑想などよりも一歩、前進であり、しかも呼吸と声を使って体に振動を与えるので、早く解決できる可能性も高いのです。

精神的な悩みから声が出にくくなることも、あります。声があまりよくないとか、かすれているとかいうのは、心身不調の象徴です。
周りの人にも心配をかけることになります。あるいは、仕事などのチャンスを逃したり、信頼、信用に対してマイナスになることもあります。そういうときも、声だけでも元気に使っていると、自然と心身が回復していくのです。
調子の悪いときにこそ、ヴォイストレーニングの成果が発揮できる、それゆえ、ヴォイストレーニングを日常化しておくとよいゆえんです。


○さいごに~世界で翔ける

「リアル二刀流」「ショータイム」といわれた大谷選手の名は、平に翔けるの翔平です。私が本格的に研究所をつくったのは大谷選手が生まれた頃です。そこから、大谷選手のように世界に活躍するアーティストを育てようと歩んできました。
まだその夢は、ここだけでなく日本からはかなえられていません。音楽やエンタメ業界の状況も大きく変わりましたが、一アーティストとしての実力においての評価は、持続しています。
日本は相変わらず音声表現では後進国です。他分野の世界的活躍にじくじたる思いのまま昭和は終わり、平成も終わりました。皆さんも是非、頑張ってください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?