論52.コロナ禍とヴォイトレ~長く活動するために

〇マスクと呼吸

マスクについて、尋ねられることが多くなりました。当然、口と鼻を覆うのですから吐くにも吸うにも抵抗があります。その抵抗でトレーニングするなどという人はまれですから、自ずと呼吸は浅くなります。人によっては、鼻で吸って鼻と口で出すという普段の呼吸と大きく違ってくることもあります。口呼吸やドライマウスの問題が指摘されていますが、かなりの個人差があるようです。

〇マスクと表情筋

 さらに、マスクでは、口も動かしにくくなり、さぼってしまいがちです。しかし、マスクが邪魔する分、口や顎を、より動かして明瞭に大きめに発声、発音しないと伝わりにくくなります。表情筋を動かすトレーニングをするとよいでしょう。私が監修に加わったNHKの「すイエんサー」(3月30日放映)でリップロールを取り上げました。タイムリーなので引用しておきます。

★「リップロール」で大きくハキハキした声(NHK「すイエんサー」)

≪「聞こえやすい大きな声を出すには、本番前にくちびるをブルブルふるわせる「リップロール」がオススメ。リップロールをすることで口のまわりの筋肉がほぐれて自然とハキハキとしゃべれるようになる、胸の横隔膜のウォーミングアップにもなり、自然と張りのある声が出せるようになるよ」

リップロールのやり方
1.鼻から息を吸い込み
2.唇をとがらせておなかから息を吐き出しながらくちびるをブルブルさせる。
これをがんばって30秒ぐらい続ける。
リップロールはマスクをしたままでもOK!」≫

〇運動のキープ

最も大きな差が生じるのは、運動量からでしょう。コロナ禍でリモート勤務などになり、会社や学校、あるいは、ジムに行かないとかで歩くのが減った分、どうしても筋力が衰えます。歌わない、しゃべらないことだけでなく、そうしないために全身を使わなくなってしまうと、これまで普通に使っていた身体が、これまでと違って弱ってくるのです。それは、体力、免疫力、精神力にも影響します。

〇心身の虚弱化

発声や運動が制限されたのが、今回の禍いです。補うために家でトレーニングしたり、柔軟体操などしている人は、さほど多くはないでしょう。それは、メンタル面にも大きく影響します。
カラオケやコーラスを趣味にしていたり、ライブをやったり、見に行ったりもできなくなりました。習い事を中断した人も多いでしょう。そうして、社会的なつながりがなくなると、うつになったり老化や呆けも進行します。
レッスンに来ていても、これまでの歌や発声のレベルが落ちている人は、少なくありません。まして、休んだり、やめたりした人は言うまでもありません。

〇体への自覚

特に公務員やサラリーマンで一つの会社にずっと勤めていた人などには、転職、休職、定年にも似た生涯で初めての体験です。その大変化で、フィジカル、メンタルも大いに乱れています。まだ、そこに気づいている人はよいのですが、いつも通りで気づかない人が、思ったより多いのです。レッスンで呼吸の浅さを指摘されても気づかず、その理由を伝えられて、ようやく気づくほどなのです。

〇心身の管理

毎日、6,000歩から1万歩くらい歩いていた人が、1,000歩くらいしか歩かなくなると、老後の生活のようなものです。それが3ヵ月、半年と続くと、入院生活をしたようになるので、リハビリが必要です。つまり、心身の管理です。体力、筋力、柔軟性の回復です。
これをしないと、元の状態より悪くなります。こういうときは、基本トレーニングのくり返しに専念しましょう。

〇私の回復法

私は、これまで、あまり声を使わないことが続いたあと困った経験から、独自の方法をいくつか持っています。そういうときは、主に、発声よりも呼吸のトレーニングから始めます。ドックブレスでもロングブレスでもかまいません。そして、それが整ってきたら、体からの呼吸、お腹との一体感が感じられます。すると、大体、2、3週間後ですが、ハミングに入ります。発声教本などの課題曲やオペラ曲をハミングでさらいます。
私の場合は、段々と胸の共鳴が戻ってきます。次に、しぜんと頭の共鳴に移っていきます。1オクターブ飛躍するのです。それまでは、音楽を聞いて1オクターブ下、会話域やそれより低い声でハミングします。口や舌なども動かしていきたいので、母音や子音を入れていきます。レクチャーや講座、出演などがあるときは、早口ことばや外郎売りを復習します。

〇体の声

プログラムメニュへの移行は、心身が教えてくれます。頭で決めるのではなく、体の声をじっくり聞いて無理せずに移行していくようにしています。
それは、ヴォイトレの基本の習得順と同じです。人間が言語や歌を獲得していく順でもあるのです。
心身が教えてくれるのに従っていくと、自分の気持ちもまた、そのようになっていくものです。そして、鼻声や裏声まで楽に出てくるようになったら、コンディションが整ってきた感じになります。本調子になるのに3ヵ月くらいはかかります。

〇人により、時期により異なる

これは、私自身の例ですから、人によって、大いに異なります。私自身でも、そのときどき、かなり違うのです。覚えておいて欲しいのは、人の体は、どんなときも全く同じということがないということです。ですから難しいのです。それでも、過去の体験で過去のモデルへ戻るのは、調整なので、目安がはっきりしている分、確実にやりようがあるといえます。

〇本当の課題

本当のトレーニングは、まだ知らない自分の未体験の心身、声へと進めていきます。そのために、レッスンでは、先のことも併せてメニュに入れていくのです。
そこで今の本当の課題が何なのかを最初からつかんでいる人はまれです。レッスンでメニュの中心が母音の「イ」の発音などということなら、わかりやすいのですが、それでも、そこを課題にしているとは限りません。本当は、姿勢や呼吸のことや発声、共鳴の基礎ができていないから、待っているのです。その間に、よりよいアプローチを探っているのです。

〇ギャップをつくる☆

上達というのは、どこかで何度でも行き詰ってしまうので、不出来でも先に進めていくのです。急に難度を上げて、本人にできていないことをわからせるときもあります。
トレーニングが独りよがりになったり、停滞しないためには、常に目標と現状のギャップを明確にして進めることです。それが先に行っては戻るのくり返しです。つまり、予習と復習です。予め、耳で聞いて感覚を入れ、レッスンで体験したことをトレーニングで定着させるのです。

〇発声教本の使い方

たとえば、「コンコーネ50を一通り終わった」とか言うときも、それは、譜読みとメロディとりが一通り済んだだけです。発声にも歌唱にも、まして作品にもなっていないのです。
10年で10回ずつくらい、くり返しで、半分終わったというくらいの人が大半なのです。オペラ歌手になるのでもないなら、自分に必要なナンバーを5~10個くらい、徹底してくり返すのが効率的です。

〇教本でのパターン学習

何であれ、いろいろなパターンを50くらい一通り進めては戻る方法がよいと思います。多角的な視点、いろんな角度からの学習ができ、気づくことも多くなるからです。自分の得意、不得意から、好き嫌いなどを知っていくのも、教本ならではのよさがあります。
歌詞がない発声教本は、純粋に声の音色や共鳴での表現世界に入ることができます。ロングトーンの「アー」やドレミレドでもできるのですが、音楽として編曲されているものから気づく方が、歌唱に結びつけるのには、わかりやすいでしょう。つまり、教本や練習曲で聞く人を感動させるレベルを目指すと、声そのものや発声の技術、楽器としての表現力、完成度を問えるのです。

〇歌手以外にも歌唱の発声教本を

発声の基礎力をつけるのに、歌唱用の発声教本を俳優、声優だけでなく、一般の人にもお勧めしています。俳優や声優でも、本格的に歌えるのにこしたことはないのですから、ことばやせりふのヴォイトレと併行することが理想的です。
私は、ビジネスマンや一般の人も、喉の病気などでいらした人にも勧めています。この方が発声がわかりやすく、身につきやすい、しかも、喉を痛めにくいからです。ことばよりも高度な分、発声がチェックしやすく自覚もしやすいのです。
とはいえ、最終的には、本人の希望を優先しています。その都度、比率を変えるのもよいでしょう。

〇歌では声のチェックがしやすい

「あなたは、ことばをしゃべるのとカラオケで歌うのと、どちらが発声の調子のチェックをしやすいでしょうか」。比べると、歌ではありませんか。歌うと、いつもと比べて歌いやすいかどうかで、声の調子がわかります。高い声の出しやすいときや長く伸ばしやすいときとそうでないときに差が出るので、わかりやすいのです。せりふよりも音域や長さがある分、難しく、ゆえに、初心者にもわかるわけです。しかし、その分、難しく不安定、調子も崩しやすいのですから、うまくできないときは、歌うよりも発声だけの方がヴォイストレーニングとしては効果が出ます。

〇歌っていても声が出るようにならない

歌は、普通の人には、歌えるギリギリの音域でつくられることが多く、メロディ、リズム、歌詞も入り複雑です。プロに合わせてつくられているからです。そして、発声そのものよりも、歌唱としての総合力、バランス力が問われます。それでは、声のための練習に使うのはとても難しいといえます。歌唱力をつけるにも、自分の楽に出せる範囲の歌ならよいのですが、そうでなければ、くせで固めるか喉を痛めかねません。初心者が、いきなりジャンプ台で競技するみたいなものです。
事実、役者などに比べて、何十年、歌っていても声が変わらない歌手は多いものです。それがよくないこととは言えないので難しいのですが。

〇ことばだけでは、発声は不充分

ことばやせりふのトレーニングでは、子音などを多様に混ぜるので、喉に必ずしもよい発声が導かれません。歌唱の練習として、ハミングや母音で発声してから歌詞をつける方法は、ことばの発声の難しさを知っているからです。
ですから、ことばのためのヴォイトレをしたい人も、発声を共鳴で充分に学ぶのに歌唱での共鳴を使う方が理に適っているのです。
発声のよさと発音の明瞭さは、最初は、相反するのです。専門的に言うと、最後(高度なレベル)で再び相反するものです。

〇声優の声の難しさ

アニメソングやエッジの効いた歌を目指すという人も、声優だけでなく多くなりました。声優は、なりたい人が多くなったために、ルックスなども問われるようになっていましたが、今は、何よりも声のパワーが決め手となりつつあります。
器用に何役か使い分けられるくらいでは、10年後は通じないのです。使い分けた声でもパワーやインパクトが問われる点が、オリジナルの声1本の歌手より難しいところです。ミュージカル俳優やお笑い芸人のベースの声力を問われるのです。

〇自分のメインの声を中心に

私としては、その人のメインの声を徹底して一役でも通じるようにしていくことが基本方針です。応用としての役柄声と考えるようにしています。
ここで言うメインの声というのは、今までもっとも使ってきた声や得意とするキャラ声のことではありません。体の中心からの声、その人の発声の原理にもっとも基づいた声のことです。
アニメ声も、それが天性のものでなければ、メインの声でなく、演出した応用声です。声優さんには、そういう声を使っている人の方が多いので、注意することです。

〇声を痛める声優、Vチューバー

今の女性は、昔の、本来の声より高めにつくる日本人女性から、アニメ声っぽくつくるようになってしまいました。メインの声の質感よりも、つくった声の感じを優先してしまうからです。そのために声を痛めやすくなった人が多いのです。
この5年で、ここにもユーチューバーの人が増え、一昨年あたりからは、Vチューバーの人も来るようになりました。声優さん、役者さんと同じ問題を抱えるようになったためです。

〇若年化する発声障害

複雑な声の使い方が、せりふにも歌にも求められる現在において、声を壊す人はどんどん増え、しかも、若くなっています。音声クリニック、ヴォイスクリニックも多くなり、そこに通うのを常にしている人も少なくありません。でも、ケアと実力をつけることを一緒と思わないことです。

〇声のケアから鍛錬を

ヴォイトレも一般化して、ヴォイストレーナーも多くなりました。その多くは、声を壊した人のサポートや壊したり痛めたりしないことのケアに焦点があたっています。整体やマッサージのブームと似ていることは、再三、指摘してきました。
そこと表現として耐えうるパワフルな声やインパクト、オリジナリティのある声のヴォイトレは違います(その点については、別に詳しく述べているので省きます)。

〇プロの声の条件づくり

複雑なせりふ、歌をやっていく業界で長く活動、活躍するには、心身の鍛錬と同じく、声もまた、基本力を、発声の基礎を身につけなくてはならないのです。それには、できるだけ早くから、プロになる前から始める方がよいです。
声をあまり出さないで育ってきて、今もさほど声を使っていない人が声のプロになるのは、運動をしたことのない人がダンサーになるようなものです。なれないわけではないのですが、ダンサーならダンサーの条件をもたなくてはなりません。声も同じでしょう。

〇長く活動するためのヴォイトレ

まして、長年、活動を続けたいということならば、しっかりと2、3年、できたら5〰10年、徹底した基礎のヴォイトレをするようにしましょう。声に自信がないのなら、ヴォイトレを優先するようにと言っています。ただのバランス調整やケアのヴォイトレでなく、声と体を鍛えるヴォイトレを、です。

〇声の身につけ方を学ぶ

最低2、3年は、しっかりとヴォイトレを学んで自分1人でトレーニングできるようにしていくことです。
研究所には、10年以上、ジムのように通っている人は少なくありません。自分でできることは自分で行い、自分でできないところをトレーナーについて行います。チェックと課題をもらうだけでよくなれば、月1、2回でもよいでしょう。
時間やお金を使う優先順は、人生の段階ごとに変わっていくものでしょう。上達を続けていくためには、トレーナーにつくだけでなく、トレーナーをうまく使うことが必要です。そのために、基礎の期間に集中して、声をどう身につけていくかを知りつつ、その判断力を磨いていくことをお勧めする次第です。

〇声が身につくとは

 誰でも声を使っているのですから、「声が身につく」というのは、わかりにくいことかもしれません。しかし、声ですから、それは、とてもシンプルなことなのです。聞く人にとってどうなのか、ということになります。一声で働きかける、声がよい、声が印象に残る、個性的な声だと思う、こういう声のすべてが、私の言う「その人のメインの声」とは限りませんが、「その人のメインの声」は、こうした条件を満たしているでしょう。
 プロ歌手でも、音楽性や表現力、構成力やニュアンスなど、強みは、それぞれ違いますが、ここでは、見せ方、演出ではなく、ベースのこと、つまり、出だし一声で、あるいは、サビ一声で、プロ、アーティストと感じさせる声のことです。舞台の役者なら、お腹から声が出ている(口先の声ではない)と感じさせる声。狂言や詩吟などの伝統芸でも、技術の深い、みえないところに声の力があります。一声でわかる違いが、「声が身についた」ということです(それがプロ言われる歌手や役者、声優、ヴォイストレーナーの絶対条件ではないので、念のため)。


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