論12.ヴォイトレで独り立ちするには

Q.ヴォイストレーニングを教える仕事に就きたいです。先生の経験をふまえたアドバイスをお願いします。

○声の専門家はいない

 声の分野は広範です。それを教えるとなると、さらに範囲は広まり、一方で深まります。声は、すべての人に関わること、つまりはすべての人の問題です。気づかないうちに誰もが教えたり教えられたりしているという分野ともいえます。つまり、ことばを伝えるツールとして化粧や身だしなみよりも人々の生活に密着しているからです。 

その点では、「話し方」という分野と似ていると思います。話し方も誰もが、専門家でもないのに教えたり教えられたりしている分野だからです。話し方の先生というのもいます。が、それは、話し方教室などで教えているということで、先生ということです。

 話の専門というなら、アナウンサー、ナレーター、声優、俳優、朗読家、落語家、セールスマンでもかまいません。落語家は噺家です。専門性をどこかでもっていて、それを応用させているとみた方がよいでしょう。それと同じように、ヴォイストレーナーというのも考えることです。

話のうまい人や教えるプロでなくとも、会社の社長や政治家などに、それ以上のレベルの人もいます。ただ、そういう人は、他の人にうまく教えられるとは限りません。また、他の人に教えても、それで対価を得ていないのです。

○声とビジネス

 英語を教えるのと、英語でビジネスをするのは別です。それぞれの強みも違ってくるのです。英語を教えている人を集めて、売り上げ何億円という予備校や、塾、会社はありますが、英語を個人で教えているだけで年収何億円という人は、多分いないでしょう。ベストセラーを出したり、CDなどを商品化することで可能かもしれません。セレブ相手などのレッスン対価などについては、いつか述べたいと思います。それには担当の実績が必要となります。

 資格などと同じく、生計をたてる意味では、トレーナーに限った問題ではありません。これは、かなり複雑かつ長くなりそうで、私自身についての経験を述べるに留めます。これまでもずっと、トレーナーの報酬とレッスン費などについては考えさせられてきたからです。

○稼ぐ芸と補助される芸

 新しい分野を開拓していくには、いろんな投資が必要です。歌で食べられないからレッスンで補填するとか、レッスンで稼いで歌で出費する、そういう人もいます。趣味であれば、歌う人も芝居など演じる人も、そのようにしています。

 芸事は、稼ぐためにやるものでした。しかし、誰もがそれで充分食べていくことのできるものではありません。

才能に対してパトロン(パトロネージする人、タニマチ)がいて、スポーツやアートは支えられています。

 文楽については、大阪の橋下知事が予算削減で物議をかもしました。人がお金を払ってまでみたいと思わないもの、集まらないものに、存在価値があるのかとなると、いろんな見解や議論があります。文化予算を古いものを守るのにあてるのか、新しいものを生みだすのにあてるのか、どのような割合にするのか、簡単な問題ではありません。

○私の体験

 私は、トレーナーがプロとしてレッスン料で生計をたて、勉強する時間や費用を捻出し、その分、プロという自覚をもってレッスンに臨むことを否定するつもりはありません。がんばって欲しいものです。

しかし、現実には、そこまで成り立たせるのは難しいでしょう。有名人になった人もいれば、ただでも教えたい人もいる分野では、レッスンにくる人が、「あなたを選ぶ」理由が必要です。勤めていても最低時間給のような就労状況もあります。となると、トレーナーをしながら別のアルバイトも必要となります。

 私は、補助を受けずゼロから始めました。最初から、ヴォイトレで生計をたてようとは思っていなかったのです。ライフワークとして研究するのに、お金や仕事に左右されたくなかったからです。ポピュラーの分野でしたから、金銭的にはまわりそうになかったこともあります。

 ヴォイトレという分野は、歌といっても作詞作曲家のように印税収入のあるところではありません。昔、作曲家は歌い手を住み込みで育てて、ヒットしたら回収というようなことをしていました。1レッスン○千円のような現金収入ですから、水商売と同じです。それは今も変わらないでしょう。

○投資を考える

 生徒からの収入を当てにしないということでは今も一貫させています。それにはいくつかの考えがありました。

 まず、一つは、その収入が自分の生活を支えるのにいっぱいくらいでは、本当にやりたい研究に投じる費用にまわりようがないことです。研究には多くの設備や人材が必要だからです。海外に行くにしても、研究資材を買うにも今に比べて多額な費用が必要でした。当時は、資料のビデオ(VHS)を購入するにも1本1~2万円くらいしていたのです。研究所の維持にはとてもお金がかかります。つい十数年前まで、声の分析ツールでさえ何百万円もしたのです。とてもレッスン料では保てません。

 二つ目は、業界に人材がいないことでした。こちらの方が大きな問題です。そのためには他の分野に学ばざるをえません。これは今も変わりません。大学や企業、研究機関、学者から教師まで関わっていかないと声という膨大な領域には踏み込みようもありません。学ぶために膨大な時間、人への投資もケタ違いのお金がかかります。

 三つ目は、スクールというのもビジネスになると常に拡大していく、つまり、生徒の募集とその人数の維持に専念せざるをえなくなるからです。それは、メリットもあり、デメリットもあることです。しかし、研究所であるなら、たくさん入ってもすぐにやめる人ばかりではどうにもなりません。一定のクオリティと長期のスタンスがトレーナーにも学ぶ人にも問われるのです。資格などを与えるために試験をして入学させるのではありませんし、しっかりと続けて学んでいただくためにあまり負担もかけられないのです。このあたりまでは、ヴォイトレに関わるときにあった私のヴィジョンです。

○現実化する

 ヴィジョンの結果として、現在の研究所について説明します。今はパーソナルトレーナーと共に、徹底した体の研究をしています。私は体は弱いけど健康です。体の故障、大けが、大病、大手術などもなく、マッサージや整体なども必要としなかったからです。体は人一倍、10代で鍛え、改造、強化しました。その分、他人の体に無知だったのかもしれません。

 その前にはメンタルトレーナーとしての勉強をしました。これは、鬱など、メンタル的に弱い人の問題への最新の対処法を知るためでした。痙攣性発声障害や過緊張性発声障害という病名がポピュラーなってきたこともあります。

 メンタルについては、周りの状況との関わりがあります。私は、一般の人よりは大きな振り幅で生きてきたので、有名人ほどの苦労や、プライバシーの侵害や被害などはなかったものの、死に損なったり、大舞台に立たされたりしてきました。海外を50カ国以上も回っていれば相当にショックなことにも遭遇します。そうして鍛えられてもいるし、一方で弱くもなっているわけです。

 感受性の問題は何とも述べられません。しかし、ヴォイトレにおいても相手を知ることから始めることですから、人間関係や人間性についての深い洞察や、それに必要な経験は不可避です。

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