なぜ4年も授乳できたか・私の事情
はじめに断りますが、私は母乳信者ではありません。ビバ長期授乳!なんてみじんも思っていません。私(と子)の4年間におよぶ母乳生活は、数々の偶然と、2人の事情の重なりで生まれました。
まず私の、主に身体的な、長期母乳の事情
1・身体が丈夫
2・身体が大きい
3・おっぱいも大きい
この3つがそろいました。大病をしたことがないどころか、とにかく丈夫で力持ちです。出産は安産で、産後も元気でした。また、身長が170センチ近く体重もそこそこあったので、荷物(≒子ども)を抱えてもとくにつらくありませんでした。
そしておっぱい…。じつは高校生のころからだんだん大きくなり、他人からサイズやかたちをほめられることが多かったです。本人は嫌で仕方がありませんでした。だいたい15歳から35歳までのあいだの20年間に、「いいおっぱいだね」(もしくは類似の、胸に対するコメント)を3000回ぐらい言われたと思います。
思春期からえんえんとそんなことを他人から言われ続けて、正直なところうれしい気持ちよりも心病みました。おっぱいについて過敏になりました。
そこにさらに、私より上の世代の女性がよく言う、「いいおっぱいとは形ではない。母乳が出るかどうかだ」という評価が気になってしかたがなくなりました。母親世代は、よくほかの母親のことを「あの人はおっぱいが出なかった」とさげすむ口調で話すものです。
私はおのずと自分の中に恐怖感を育てました。私のおっぱいはよくほめられるけど、いちばん大事なことらしい「出る」は大丈夫だろうか。わたしの母乳は出るのだろうか?もし出なかったら、「かたちや大きさは良いけど、母乳が出ないんじゃあだめなおっぱいね」と言われるのだろうか。
おっぱい。
不思議な存在です。かたちや外見、大きさについては暴力的なほどに一方的に、性的に評価され。母乳で子どもを育てられるかどうか、ということも評価され。そしてその価値判断は、常に他人にゆだねられていて。
今なら、他人の言うことはどうでもいいし、ばかじゃねえのぐらいの気分ですが、長年他人からのおっぱい評に悩まされていた私は、「かたちや大きさは最終評価ではない。もっと大事なのは母乳が出るかどうか」というの評価基準を自分のなかで肥大させ、ほんとうにほんとうに気にしていました。
ですから、産院の妊婦健診で、乳房検査(というのがあるんです)において「このおっぱいなら産後、きちんと母乳が出ると思いますよ」とお墨付きをもらえたときは、本当にうれしかったのです。
じつは当時、あまりいい結婚生活ではありませんでした。なので、「きちんと」という部分が私(とおっぱい)への、久しぶりの良評価&誉め言葉に聞こえて、心が躍ったのを覚えています。
そしてめくるめく授乳生活に、喜々として堕ちて行きました。
続く
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