アナログ派の愉しみ/音楽◎マイケル・ジャクソン歌唱『ライヴ・イン・ブカレスト』

重力とのせめぎあいが
厳粛な儀式を成り立たせる


マイケル・ジャクソンは、日本式に言えばわたしと同じ学年だ(つけ加えると、森昌子・桜田淳子・山口百恵の「花のトリオ」とも)。中学の英語の授業中にいまアメリカで流行っている曲として『ベン』が流されたのが、最初の出会いだった。以後、スーパースターへの階段を駆け上がっていく姿を遠目に眺めていたが、たび重なる整形手術で顔が白くなり、鼻がとがり、背中から羽根を生やす天使となるにつれて呆れはて、やがてスキャンダラスな裁判が繰り広げられるにおよんで一切の関心を失った。

だから、2009年に突然、マイケルが50歳で死去したとのニュースに接したときも特別の感慨はなかった。ところが、たまたま移動中の東京駅の地下街でタワーレコードの店頭モニターに目を留めるなり、足が動かなくなった。それは1992年にルーマニアのブカレストで開催され、本人が生前に唯一、商品化を認めたステージの記録だった。わたしはすぐさまDVDを買い求めると、夜な夜な再生した。エルヴィスやビートルズとは次元が違う、未曾有のステージがそこにはあった。ともすると涙をこぼしながら、しかし、自分がどうしてここまで心を動かされるのか、わからなかった。

それがおぼろげに理解できたのは、しばらくたってイギリスのウェンブリで1988年に行われたライヴ映像も発売されたことによる。ダイアナ妃の前で『ダーティ・ダイアナ』を歌ってのけたエピソードで知られる伝説的な公演で、まだ20代だったマイケルは驚異のパフォーマンスを披露している。あまりにも有名な『ビリー・ジーン』のムーンウォークだって、まさに月面にいるかのように重力を感じさせない自在さで、こちらに較べると、34歳のマイケルが演じたブカレストのムーンウォークはあくまで地球上にあって重力に呪縛されていると言わざるをえない。が、わたしには後者のほうがずっと胸に迫ってくる。

なぜだろう? ウェンブリのステージは最高だとしても歌とダンスのイベントであり、ブカレストのそれはまるで厳粛な儀式であるかのように見えるのだ。

若いときにはだれでも重力を乗り越えて進んでいく、未来へのかぎりない可能性のもとに。それが年月を経て可能性がすり減っていくのにともない、少しずつ重力に囚われていくことになる。その宿命は、たとえ天才的なアーティストやアスリートであっても免れられない。そうして最後には、完全に重力に屈して死を迎えるのだ。実際、マイケルが死の直前に取り組んだ新たなステージのためのリハーサルを編集して映画『THIS IS IT』(2009年)が作られたが、そこには重力の前に屈服しかけている天才の姿が記録されていて、言葉もない。かつてのあのDVDに残されていたのは、人間の自在さと重力がぎりぎりのところでせめぎあいながら均衡していた一瞬ではなかったか。それが厳粛な儀式を成り立たせて観る者を法悦へと引き込むのではないだろうか。

1992年のブカレストは、3年前にチャウシェスク独裁政権が打倒され民主化革命を達成したばかりで、その日、会場に集まった数万人の観衆にとってステージ上に現れたのは、たんに遠来のスーパースターではなかったはずだ。かれらに向かい、マイケルは最後に高らかに呼びかけた。「みんなは絶対変われるよ!」と――。


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