アナログ派の愉しみ/音楽◎バッハ作曲『マタイ受難曲』

それは人間の弱さを見つめ
涙を分かち合う慰めの歌だから


わたしが昵懇にしているお寺の70代の住職と四方山話をしていたら、こんな告白を聞かされた。自分は『マタイ受難曲』が大好きで、先日公演があって出かけたところ、あのアルトの独唱を聴いているうちに涙が止まらなくなった。そして、「もうこのまま死んでもいい」と思ったそうだ。

かなり不思議な光景かもしれない。ヨーロッパ教会音楽の頂点ともいうべき楽曲のコンサートへ、禿頭の僧侶が馳せ参じて、客席で涙にくれながら我を失っているさまとは……。笑いごとではないだろう。そのとき、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽はキリスト教と仏教の別なく、時代や文化のはるかな隔たりも乗り越えて、まっすぐに聞き手の心に届いたのだ。

『マタイ受難曲』(1727年初演)とは、『新約聖書』の「マタイによる福音書」第26章と第27章、すなわち、イエスの逮捕が迫った局面から、ユダの裏切り、審問と判決、十字架上の死、そして復活を遂げるまでのドラマが、さまざまな合唱・独唱や朗唱を組み合わせながら、約3時間かけて再現されるという壮大なもの。その中盤で、イエスが捕縛されたのち、弟子のペテロは翌朝までに3度、自分の師を知らないと答え、イエスの予言どおりになったことを知って慟哭するくだり(ペテロの否認)が語られたあと、ヴァイオリンにのって歌い出されるのが「あのアルトの独唱」だ。

憐れみたまえ、わが神よ
したたり落つるわが涙のゆえに

なぜに運命はかくも冷酷で、その前に立つ人間はかくも弱いのか。これまで教会やコンサートホールでこの歌がうたわれるたびに、人々はみずからの弱さを顧みて、神にすがる思いに駆られてきたのではないだろうか。そんな聴衆の姿が窺える貴重なドキュメントが存在する。オランダの往年の名指揮者、ウィレム・メンゲルベルク指揮のもと、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による『マタイ受難曲』のライヴ録音だ。

1939年4月2日。ヨーロッパではふたたび軍靴の足音が轟いていた時期だ。この日、演奏がペテロの否認の場面からアルト独唱へ移ると、客席の女性がこらえきれずにすすり泣きをはじめ、その声の高まっていくのが聞き取れる。なぜに運命はかくも冷酷で、その前に立つ人間はかくも弱いのか――。ナチス・ドイツが雪崩を打ってオランダに侵攻するのは翌年5月、そして、アンネ・フランクと家族がユダヤ人の強制収容を逃れるため、アムステルダム市内で潜伏生活に入ったのは、この演奏から3年後の1942年7月のことだった。

つい先年になって、アンネが隠れ家で暮らすようになって間もないころの日記に、ひそかに下ネタのジョークを書き留めていたことが公表された。「ドイツ軍の女の子たちが何のためにオランダにいるかわかる? 兵士のマットレスとしてよ」。そんな他愛のないおしゃべりに笑いころげる13歳の少女の生存すら、運命は許さなかったのだ。

果たして、冷酷な運命の前にひとり立たされたとき、わたしは現実を否認せずに受け止められるか。おそらく、凡俗の自分にはかぎりなく不可能に近いだろう。ただ、みずからの弱さを噛みしめて血の涙を流すことしかできまい。だからこそ、バッハの『マタイ受難曲』は21世紀の今日も世界で聴き継がれているのだ。そこに求められているのは、宗教の立場などではなく、そっと涙を分かち合ってくれる慰めの歌なのだから。


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