静かな表現者

静かな時間や空間は近頃の好みである。
人混みは嫌いになり、喧噪が溢れる街の中は苦手なエリアとなった。
昔はそうではなかった。
わざわざ、一人で人混みを求めて街中を彷徨っていたのだけれど、
喧噪の人混みの中に一人身を置くと、
孤独ともいえる空間との触れ合いが心地よかった。
ひねくれた反動が孤独を心地よく感じていたのかもしれないし、社会からはみ出した者だったとも思う。

最近、ある時ふと「表現者」という文字を目にした。
表現者と聞くと、歌うたいや画家、小説家、舞台の役者などが思い浮かび、
内面を外に出していくことが表現であり、
そのような行為を行う人を表現者というのだろうかと思っていた。

しかし、よく考えて周囲を見渡すと、暮らしは表現するからこそ成り立つのかとも思う。
一人で暮らしていても、他の人と一生接しないことは無いだろう。

意思表示することそのものが、表現であるし、表現者なのだと思う。
日常の暮らしの中で、表現者は自分でもあり周りの人達でもあるとなる。

表現するとき、共感を得るのは快感となり、継続のエネルギーにもなる。
しかし、表現には賛否両論があって当たり前だ。
調和、不調和、どちらもあり得るし、どちらでも良いと思う。
見知らぬ誰かからでも、共感(反感)という反応はうれしいものだ。

事の大小に捉われず、
むしろ小さいことを種として心を広げていくことが大切と思う。
感じるまま指の動くままに色を重ねて絵を描いたり、
心に浮かぶままを言葉やエッセーで表現したりすることは素敵なことだ。
難しいけれど、誰からも褒められる必要はなくて、
感じるままに表せたなら素晴らしい事だ。

最近は、「はみ出していく」という言葉もメディアから広がってきている。
はみ出すという意味は、自分の感性を抑制せずに表現していくことだろう。

自らを「静かな表現者」と呼び、楽しい時間に浸れたなら良いのではないだろうか。


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