アダム・スミスが生きた時代の経済と現在の経済との差異から、今の農業や農村の在り方を考える③

スミスは有限責任である株式会社の存在を問題視していたが、今回は株式会社の起源について述べたいと思う。そうした方が、スミスの考えた有限責任の問題は掘り下げ易いだろう。

株式会社の元祖は、イギリスの東インド会社だといわれることが多いが、厳密にいうとオランダの東インド会社(連合東インド会社)の方が先らしい。

もっと具体的にいうと、オランダ東インド会社は1602年に有限責任会社として設立されていた。イギリス東インド会社の方は、1600年に設立していたが、当初は無限責任で有限責任となったのは1662年である。

単純に考えてみれば、遠方にいって貿易する企業が有限責任なのは当たり前だ。ヨーロッパの国のそれが、アジアやアメリカ大陸の植民地との貿易をするのが無限責任だったら、出資者になるのはリスクが大きすぎる。実際に船が難破したことで、出資者の孫子でさえ借金を背負ってしまう悲劇も起きたとされている。

しかしそれでも、スミスは出資者に過酷で莫大なリスクを負わせる無限責任の方が、基本的には正しいと考えた。こういうと、スミスはとんでもない冷酷非情な学者に見えてしまうのだが、彼がそのように主張したのには理由がある。
以前の記事で少し触れたけど、スミスは「資本投下の自然的順序」を重要視した。この順序は端的に書くと以下の通りになる。

①農業のような自国内の土地を活用した産業→②なにかしらの原材料を加工する製造業→③小売をはじめとする商業→④商業の発達に伴い、国内市場が埋め尽くされたために起きる外国貿易

こう書いていくと気づく人もいると思うが、スミスは遠い国との貿易よりも近場の貿易を優先すべきと考えた。つまり、有限責任の会社を認めないのであれば、出資者はリスクの大きい遠いアジア貿易を控えて、地中海のような近場で行う貿易を多くやるというわけだ。
スミスの主張では、遠所よりも近場の貿易の方が資本回転が早く、イギリス国民の雇用創出の役に立つらしい。当時は帆船なのだから尚更ではあるが。

おそらくスミスこの主張に対しては、このような反論があると思う。「ヨーロッパ諸国の人々がみんなスミスのような思想をもっていたわけでない。イギリスが自国のために植民地を維持するためには、資本投下の自然的順序を捻じ曲げるのはやむを得なかった」と考える人もいるはずだ。
しかしそうすることで、結果として、アメリカ独立戦争という同胞同士で殺し合う悲劇が起きてしまったことも事実である。

話が逸れてしまったが、株式会社の有限責任が、基本的にはスミスの経済哲学と馴染まないことは確かだろう。