アダム・スミスが生きた時代の経済と現在の経済との差異から、今の農業や農村の在り方を考える②

われわれが今生きる時代とアダム・スミスの生きた時代とでは、経済に関する事物等はどのような差異があるだろうか?ざっくり述べると以下の通りになる。

①世界の人口の差が大きい。

世界の総人口が10億人に達したのは西暦1800年なので、スミスがいた時代はそれ未満であった。1959年は30億人、1986年は50億人、2011年は70億人とされている。この違いは大きい。

②科学技術の発展に伴い環境の負荷(外部不経済効果)が増大している。

今だとブラジルの例が一番分かりやすいと思うが、今の地球環境に対する負荷は、昔に比べて甚大である。

③企業の所有と経営が分離した。

スミスの時代の資本家は、生産に関与するだけではなく、雇った労働者と同じ現場で一緒に働く傾向があった。今でいうところの自然人農家の経営者と、基本的には変わらないだろう。
現代では株式を大量に保有しているだけで、経営に直接は関与しない資本家は普通に存在する。

④有限責任の株式会社が一般化している。

今でこそ株主の有限責任は当たり前だが、スミスの時代はそうではなかったし、スミス自身も有限責任の原則については否定的だった。

⑤全体的な労働の在り方、仕組みが大きく変わった。

スミスの時代は西欧においても、多くの人は農業従事者であった。しかも、資本家に雇われている農業者は少数派で、自給的な小規模農家や貴族の地主から農地を借りる小作農が多数派だった。当時は白人の4歳児でさえ、資本家に雇われる賃金労働者になるのが普通だったし、資本家は黒人奴隷も所有していた。現代人の労働とは相当乖離している。

⑥ローカルで小規模な市場経済がグローバルで大規模な市場経済へと移行した。

スミス時代であれば、砂糖や香辛料、毛織物などを除けば、基本的には市場は自国内をターゲットにしていた。
商品を供給する側も小規模なので、売り手は供給量を変化させて商品価格に影響を与えることはできなかった。だから、今の経済学でいうところの完全競争市場が成立してきた。

今の資本主義はグローバルな経済システムであり、世界的にも大企業による寡占が存在する。そのため、売り手が供給量を変えて価格に影響を与えることも可能である。

⑦金本位制を採用していない。

スミスの時代は紙幣はあくまでも、金銀と交換するための券として存在していたが、今はそうではない。

⑧金融商品の市場に対する法整備がなされている。

これはどうしてもやむを得ないことだったと思う。スミスの時代は金融商品については、今に比べて法整備が少なかった。しかし、現代でもリーマンショックのような金融危機が発生したので、現代人にもその手の課題は多い。

最も注目すべき点は、③と④ではないかと思う。というのも、スミスの理論をやたら持ち出して、自分たちの主張を正当化しようとする現在の経済自由主義者たちは、良心的な一部の例外を除けば基本的には、株式会社の弊害を軽視しているからだ(当人たちは否定すると思うが、今の制度では株主の利益が偏重になっているのは事実だろう)。
もちろん、原理主義的にスミスの理論を採用して、株式会社の設立を原則禁止するなど論外ではある。しかし柔軟に採用するのであれば、株式会社の在り方は見直せれる。それは、今の農業法人に関する制度にも多大な影響を与えるだろう。

次回は、スミスの株式会社に対する見解などを掘り下げてみたい。