マルサスの経済学における「富」とはなにか?〜経済学原理第一章一節について〜
マルサスの経済学原理は、「富の定義」について分析することから始まる。これが第一章第一節の題名でもある(この節はページ数が少ないので、今回の記事も短くなってしまうことを了承して欲しい)。アダム・スミスは国民の富のことを、「毎年の労働により生み出される生活資料」と定義した。マルサスは基本的にそれを踏襲していると思われる。今回の研究対象である「経済学原理」の場合はそれらについては、どのような分析になっているだろうか?
マルサスの考えた富の定義とは、「人間にとって不可欠で有用性があり、そして快い物質物(material objects)」というものである。しかし、ここでいう「物質物」とはなんであろうか?materialの和訳は、原料、材料、資料、道具であり、objectの和訳は物体、対象、目的になる。ということは、「材料や資料、道具になる数々の物質」と解釈していいのかもしれない。そこでいう資料には、「生活資料」が含まれると考えるのが妥当であろう。
マルサスはこの節の最後の方で、「人間の幸福とは、経済学における富に限ったものだと思ってはいけない」と主張している。おそらくマルサスは経済学の限界を理解し、広い視野を持つべきだと考えていた。もしくは、物欲だけに捕らわれる強欲な生き方を戒めていたのかもしれない。それはわれわれ現代人が、特に肝に銘じなければいけないことだと思う。