山下洋輔ソロピアノリサイタル
山下洋輔ソロピアノリサイタルに行ってきた。今までクラシックやオペラなど、さまざまな「音楽会」に足繁く通ってきたが、恥ずかしながらジャズピアノはおろか、ソロリサイタルに行ったことがなかった(記憶のかぎりは)。
そんな私だが、今回は大学の創立記念音楽会で無料ということだったのでこの機会逃すまいとだいぶ早くから並んで山下洋輔を聴きにいった。
これまでジャズピアノを聴きに行くことがなかったとはいえ、山下洋輔はジャズ界のレジェンドということもあり、インターネットなどで音楽を聴いたことも見たこともある程度はあった。特にピアノを燃やしながら演奏する姿が印象に強い。
私自身、ドラムを幼少期に習っており、高校の時にビッグバンドをやっていたり、好んでカウントベイシーやサッチモ、チャーリーパーカー、ガーシュウィンなどを聴いていたこともあり、ジャズに関してもある程度素養があるとは思っている。
そんな私が今回山下洋輔の演奏を聴いたことを以下にエッセイのような形で書こうと思う。
ジャズは自由
開演の暗転とともに下手から観客の目の前に現れた山下洋輔は白い靴、白いズボン、白いシャツに洒落たベストのいつものスタイルで、小綺麗ないかにも優しそうな小さなおじさん(81歳)という印象だった。
ピアノの前まできてお辞儀をしてから早速演奏を始めるのかと思いきや、横に置いてあったマイクを手に取り話をし始めた。
来場の感謝から、「京都は縁があってしばしば演奏してきたところで、学生運動の団体から依頼されてスリリングな演奏もしたことがあります。とはいっても大学が主催でジャズピアノの演奏会を開くのは聞いたことがないですね。」といったような話に続き、最初に演奏する曲、『コミュニケ―ジョン』に関して「50年前から演奏している曲」などと述べてからようやく演奏が始まった。
演奏が始まると先ほどの印象とは打って変わって、鍵盤の上で全身を使ってダイナミックに動き回る超アグレッシブでエネルギーに満ち溢れたおじさんである。
下半身においては、左足のかかとで絶えずテンポをとり、右足はクラシック音楽では考えられないほどペダルを踏んでは離し、一方上半身ではエルボーで鍵盤を押さえつけたり、拳で鍵盤を叩いたりして演奏していた。しかしそれでいて音楽はたしかなものだった。というのもふつう、エルボーで鍵盤を叩いてもガーント不協和音が鳴るだけで音楽が台無しになる。しかし山下洋輔の演奏ではその不協和音が音楽にたしかに溶け込み、音楽に彩りを与える重要要素となっているのである。まさに全身を使って自由に音楽を楽しみ、音楽を描いているのである。
ここで私が思い出したことが「ジャズは自由」というよく巷でいわれる謳い文句である。この謳い文句が定着している要因はジャズが即興の要素が強かったり、音楽理論に捉われない演奏ができるからであろう。私もそう考えてきた。クラシック音楽ではユジャ・ワンのように攻めた服装をすることはあっても、楽譜に書いていないのにエルボーで鍵盤を叩いたり、ペダルを踏みまくったりは絶対しない。協奏曲でそんなことをしようものなら、ついにはどこのオーケストラからも呼ばれなくなってしまう。つまり、職を失う。それに比べたらジャズは自由のなんのって感じである。
しかし、今回私が山下洋輔を聴いて感じた「ジャズは自由」はそのような意味合いではなかった。
山下洋輔の演奏はたしかに自由にやりたい放題演奏しているようにみえた。しかし、どことなくその自由に一貫性があるのである。うまく言葉にしづらいが、言い換えると、自由のベクトルが一方向であり散らばっていないのである。それは自由とは言えなくなるのではないかという反駁があるかもしれないが、たしかにそこにあるのは自由なのである。
一曲目が終わり、再びトークに入る。面白いのが、演奏中は81歳とは到底思えないほどのエネルギーで演奏しているのに対して、トーク中は直立して両手でマイクを持ち、耳を澄まさないと聞き取れない声で話すことである(とはいえなかなか面白く、興味深い話だった)。二曲目はコルシカ島の民謡から想起した曲、『ソート・オブ・ベアトリス』だった。曲についての思い出話がまた長く続き、それから二曲目は始まった。その後も曲間に毎回長めの趣のあるトークを挟みながら五曲ほどの演奏が終わったところで休憩に入った。
二部はかの有名な『Autumn Leaves』のアレンジから始まり、一部と同じように曲間に余談を挟みながら、『Tea For Two』や『Memory is a funny thing』などを演奏し、最後は十八番の『ボレロ』で締めくくられた(その後アンコールもあった)。
ここまで聴いてようやく今まで知らなかった「ジャズは自由」の輪郭がみえてきた。結論から述べると、「ジャズは自由」の「自由」は、自分自身を表現することにおいて「自由」だということである。
なぜかと言われると言語化能力に乏しい私にはうまく述べられない。演奏の「はみだしかた」が毎回同じだからという単純な理由ではない。ただただ常に山下洋輔だと感じるジャズの自由さなのである。
トークでこんなことを言っていた。「みなさんもジャズやってみてはどうですか?自分のなかからでてくる何かと遊ぶのは楽しいですよ」
つまりこの言葉に集約されているように「ジャズは自由」は自分自身を表現するという点、言うなれば「自分のなかからでてくる何かと遊ぶ」という点にあるということである。
今まで音楽に触れてきて曖昧にしか考えてこなかったことが明確になり、新たな価値観を見いだすことができたいい夜になった。
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