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復讐心のあまり…ナタを振り回していた人生にピリオド.








いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです

心の病みで真っ暗だった50年


そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た


そんな私の過去のストーリー
を綴ったブログです







このころ寝込むほど見たくないモノを見る




私はいつもいつも、数人の集団から辛辣批判を浴びる人だった。泣き出す人もいた。後からあんなに人を責める人生まれて初めてみた!それほど言う?とかそれほど辛辣批判を浴びる。



何度もある



その何度もある


辛辣批判の場面を心の奥底にしまって出さない様に、思い出さない様に蓋もした



その一つ、一つが出てき始めた



出てくる前がありえないほどの




ガダガタ震え
 



寒気

そのガダガタ震えるのなんて尋常ではなかった




生まれて初めて歯も手も足も体すべてが



ガダガタ震える



みたくない自分を
みるって

これほどなんだ!

それほど
怖い、、、


当然その時はただただ恐怖


あとからだから言えること




そしてとうとう



核心に
辿り着いた


私は交通事故に遭っていた



多分4歳か5歳



50歳まで気づかなかった忘れていた。いや無意識の領域に押し込んだ…。なぜ押し込んだのかわからない




ずっと幼少期に何があったのか





毎日無意識に





つまり
幼少期のみよちちゃんに話しかけていた


50年間もほったらかしにしていた


みよちちゃん


すぐには答えてはくれない


その日がやってきた思い出したのだ




道路を挟んで斜め向かいのお家の同い年の子。幼稚園も違うし学区も違う。その子がうちに遊びにきた。




いつも遊んでいる2人の子供と一緒に4人で遊んだ



うちはその頃は大きな米屋さんだった
 
 

最初は恥ずかしくて、仲良くできなかった
 

時間が経って仲良くなり


おばあちゃんにお金をもらい、小さな手に握りしめて
道路を渡ってお菓子屋さんにいく途中




車に轢かれた




右側にいたその子が一番車に当たった


救急車のサイレンとライト




私のおばあちゃんの後ろ姿



「この子(みよち)はいいからとにかくこの子(お友達)を助けて下さい!」



一緒に遊んでいたけど轢かれなかった 




あと2人の子供の声が聞こえる


みよちちゃーんって声が聞こえる



救急隊のおじさんの『あー、この子大丈夫!気絶しただけ!』




そこまでしか記憶にはない





目が覚めた座敷の布団の中だった




あれ?あ、お父さんの声がする。抱っこしてもらおうと布団から出て、茶の間に行こうとしたら、ふすまをあけれなかった。


そこには父、祖母、叔父ね3人で


交通事故を起こした


私の辛辣批判だった


大炎上の最中だった





みよちはいつもボケっとしてるから


なんて事してくれたんだ


恥ずかしくて近所歩けない


人様に怪我させた



etc、、



うちの一族は全員神経症




人の目が気になって仕方ない。人からどう思われるかばかり。だから私も小さい頃から自分よりも人様を大事にするんだ!って教え込まれた。




その神経症の一族は自分達が預かった人様の子供を交通事故にあわせた事を、私のせいにしたいのだった



そして

(怪我するの)
みよちだったら
良かったのに



私は布団に戻った


悲しみ
寂しさ
絶望




私には価値がないと決め込んだ



見捨てられないように奴隷の様に従順で、嫌われることの恐ろしさを知ってしまったから、嫌われないように常に皆のご機嫌とりをした。自分を笑い物にしてまで。



そして私が大怪我したら、私が可愛がってもらえたのに…



歪んだ不幸願望





こうして
 


偽りの自分で

生きていく

土台が幼少期に

できたのだ


 
この件でも、なんでもだけど


母などでてこない


出てきたところで、みよち!良かった!無事で!って
抱きしめてくれるような人ではない



だから、私がこの子のお母さん


復讐心のあまり、血まみれでナタを振り回している
この子からナタを受け取り


ただただ怖かったね…ごめんね。


大事な大事なみよちちゃん



抱きしめた。もう復讐なんてしなくても大丈夫だよ


ごめんねごめんね…何度も謝った



これからは



私が私の
お母さんなのだから



ずっと抱きしめて
守っていくのだから




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