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その父が?次男ファースト!〜現実は自分が創ってる〜











いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです

心の病みで真っ暗だった50年


そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た

そんな私の過去のストーリー
を綴ったブログです







私は離婚して、家を出た。3人いる子供のうち、高一の次男と2人で暮らしている。この子は小2でイジメにあった。それからしょっちゅう繰り返し、中2で完全に不登校となった。






私は反動形成で生きてきた。50年も気が付かずに…。尽くされたいから尽くしていたし、嫌いなものを好きだと思い込んでいた。知ったかぶりだったり、嫌われたくないのに、嫌われても平気って行動してみたり。






自分が反動形成だと知ったから、次男のことも理解できた。この子は小さい頃からいつもニコニコしていた。叱られても、何されても。だから皆、【ちゃんと聞け!】とか【ふざけるなっ】とかなんでもエスカレートするのであった。私もその1人だった。特にこの子の父が何を言ってもヘラヘラしている、この子にはすごく厳しかった。3人の子供でもかなりの差別だった。上の2人がしても怒らない様な事でも、次男がするとなんでも激怒するのだった。次男はそうゆう扱いだった。幼少期から慣れ、受け入れてしまっているのだった。だから行く先々で同じ様な事ばかり起こる。学校でも、スポ少、部活、、もちろん家でも。







離婚をすると決まって、調停が始まる前に私は1人家をでた。そしてすぐに、その父の次男への攻撃が日々エスカレートしていくのであった。毎日、長女が怖い、と連絡をくれる。次男を連れ出そうとすると【どうしても、姉…兄とは離れたくない】の一点張りだった。





しかし、もう限界まで追い詰められた。【もうママと暮らしたい。迎えにきて欲しい】と連絡がきた。あまりの酷さに長女も必死で助けたいと訴え、録音までしていてくれた。次男がウソをついていないと、証拠にしてほしいと。【次男をお願い】って。






ただ一つ弁護士さんから言われていた。いくら子供の意思で来たと言っても、母親の狂言と見なされる事もあるし、勝手に連れ出したって訴えられたり、それこそ逮捕されたりもありえるから。と。そこで次男は、自分の意思で警察に行くと言った。警察署に向かう車の中で【そうだね、次男…。きちんと言おう!僕はそんな扱いを受ける人間などではないって言ってこよう!虐待されるような人間じゃないって!】頷く次男は警察署に入った。







その夜、姉、兄が暮らす家に警察が行った。2人の子供に身体にケガなどないかチェックされ事情を聞かれたと連絡が長女からきた。その父は『母親が大袈裟に騒いだ』と言っていたと。





その後、私と次男は約束した。





私と次男は優しく、弱い。この世の中ズルい人のカモにならないように、お互い、言いたいことを言う練習をすることにした。言いにくい事でも2人で自己主張の練習をすることを約束した。




もう一つ、私もそうだったけれど小さい頃から【親から本当に責められて生きてきた】だから、人が自分を責めている様に感じてしまう回路が出来上がっている。そこはもう何回も何回も繰り返し【責められてるわけじゃない】って自分に言って聞かせるしかない。申し訳ないけど、って話もした。





そこから一年は学校に行けなかったけれど、受験3ヶ月前あたりから、少しの時間でも学校に行ける様になった。担任の先生もいつも次男を肯定して応援してくれた。次男は、姉を頼って勉強を教えてもらった。そして無事に高校受験を受けれて合格した。





卒業して、その先生の事を恩師が出来た!って喜んでいた。いつだって俺を肯定してくれて、応援してくれたって。応援してくれていると思える心が、しっかりと出来ていた。ひとり、ふたりと増えていく次男の【心の支え】




偽りで生きてきた母親の私が本心で生きる
ことによって、【心のふれあい】ができる様になった事も大きな次男の【心の支え】になったのだろうとも思う。




今は毎日学校に行っている。日々の出来事も教えてくれる。部活にまで入って、楽しそうに過ごしている。





その父はその後、すっかり次男ファースト




姉、兄がびっくりするほど!


自分達よりも何事も優先され、その父は次男をめちゃくちゃ大事にするのだった。




次男は戦ったのだ。




外側からみると、警察の力でその父が変わった様に見えるけれど、内側で次男が心理的に自分と向き合い、打ち勝ったんだなって。幼少期に受けてきたことをしっかりと見たんだと思う。




そして、自分を大事にする様になって、皆もとっても大事にしてくれているこの現実。本当に現実は自分が創っているんだなって思う。




〜引用始まり〜
人は戦うことで自分を変えられる

その戦いは、今までの心理的虐待を乗り越えるチャンスでもある。
この搾取タイプの人に出会ったことが、自分を変えるチャンスだと受け止めて戦うことである。

人は戦うことで変わる。戦うことで心の底にこびりついた恐怖感を払拭するのである。

シーベリーは「恐怖に向かって言うのです」と書いて、次のように続けている。「お前に私を打ち負かせはしない」。そう自分に暗示をかけなさいという。「私を打ち負かせない」というよりも、「私はお前を打ち負かす」という心の姿勢である。
人は何となく不安で消耗していく時には、恐怖感に打ち負かされている時である。人と戦っているときの恐怖感、あるいはこれから戦わなければならない恐怖感である。

従順な人は心の底に恐怖感を抱いている。
「実際に事故が起きる前に、すでにその人の心には、そういう種類の不幸なできごとがかたちづくられているということを意味しているのです」

これが従順な人の人生が不幸になる理由である。
従順な人は、人の言いなりになって生きてきた。それは心の底に
恐怖感があるからである。

従順の動機は恐怖である。
従順な人は小さい頃から恐怖心を抱いて生きている。
長年にわたって恐怖心を抱いて生きてきたので、
恐怖心のない心のあり方がそうぞうできない。
長年にわたって

心に手錠をかけられて生きてきたので、心の手錠をかけられていない自由な心理状態が想像できない。

それは、人の言いなりになる生き方以外の生き方が想像できないということでもある。
シーベリーは「体調の低下もやはり、意識下の否定的な心象の結果なのです」と述べている。

従順な人は自分の意識下には自分の否定的なイメージがあるということに気がついて、それを正面から見据えて解消することである。自分の心にかけられた手錠を正面から見据えることである。この手錠のおかげで学校でも職場でもいじめられた。
この手錠のおかげで
戦えなかった。
〜引用終わり〜
モラルハラスメントの心理  加藤諦三

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