見出し画像

ちょっとだけ大きめのミッキーマウス

 いわゆる“キャラクター好き”は、キティちゃんに始まり、ミッキーマウス、スヌーピーと、ぬいぐるみ好きと平行して、私の人生60年、間断なく続いている。今で言う、どっぷりと“沼にはまる”ほどではないのだけれど、いつも体のどこか、あるいは持ち物に、彼らは居る。

 私は高三、確か夏休み。兄がアメリカへ旅に出る前に、「お土産何がいい?」と聞くので、間髪入れず、高速で答えた。

「ちょっとだけ大きめのミッキーマウスのぬいぐるみ!」

 まさかの高三です、高三。でも、ミッキーだったんです、当時は。何を隠そう、この数年後、東京ディズニーランドがオープンした時、私はすっ飛んで行って、あぁ、私、近い将来ここで暮らします、と誓ったほどだ。実現しなかったけれど。

 さて、つい最近、私は兄の娘、つまり姪とゆっくり話す機会を持った。とても久しぶりに、時間軸がぐちゃぐちゃになるほど、昔話も現在の思いも、混ぜこぜにして話し込んだ。その時、姪が“腕時計”の思い出話を始めたのだ。
 20年ほど前、大勢で南の島に行った時、土産物屋で、ふと目に入ったミッキーマウスの腕時計を巡って、我々兄妹は、とても四十代(当時)とは思えないような、フルスロットルで会話した。いやあれは会話ではない。私の一方的おねだりに過ぎない。おねだりはスピード勝負と言わんばかりに、高速で。そして私はいとも簡単に、3本のミッキーの腕時計をゲットしたのだ。
 この光景に、10才そこそこの姪は、「二人、息ぴったり。いくつになっても兄妹なんだな。」と思ったというのだけど、当の本人は買ってもらった嬉しさに、「わーい、やった、やったー」と、なんとも子どもじみた感情だけだったけれど。

 さて、話を高三のあの日に戻そう。アメリカから兄が帰国する日だ。父と空港まで迎えに行った。兄の姿を遠いガラス越しに探す。あ、ゆっくり近づいてくる、ミッキーマウス。えっ?ミッキーマウス?まだ遠い、少しずつ少しずつ、しかし確実にミッキーは近づいてくる。しかし、肝心の兄が、兄の姿が見当たらない。
 “ちらっ”
 ミッキーの背後に、アフロヘアーの兄の頭が、見え隠れしている。あれは確かに兄。しかし、兄と比べて、あのミッキーのサイズは、どういうことかしら?どんどん近づくミッキーは見たこともない大きさだった。ミッキーの耳は、兄のアフロヘアーより大きい。いやもう、とにかくデカい!私の想像を遥かに超えてきた。
 もはや巨大としか言いようのないミッキーを後ろから両手で抱えて、「ただいまー」と兄。なんだかボロボロの、お腹の辺りに穴のあいたシャツ着て、にっこり笑われても、私、困る。しかしお土産を依頼したのは、はい、紛う方なく、この私。元気よく、高速で、
「ちょっとだけ大きめのミッキーマウスのぬいぐるみ!」と。

 帰りの車内、運転は父、助手席に兄、後部座席にミッキーと私。だけど、ミッキーは上手に座れないようなので、抱っこしてゴロンと横になった。
 嬉しさと驚きに混じって、おねだりしてしまったことへの、微かな後悔を感じていた。でも実際は、まぁまぁ重いミッキーの体重をまともに受けながら、幸せ気分でニタニタしながら家路に着いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?