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赤いちゃんちゃんこ

 もうすぐ私は還暦を迎える。還暦というと思い出す、懐かしい光景がある。父方の祖母の還暦祝いの日の姿だ。

 私たち家族は父の運転する車に乗り込み、父の弟、つまり私の叔父の家に向かっていた。その日、祖母の還暦祝いが行われることになっていたからだ。父の兄弟は長男の父を含めて五人。姉、弟二人、妹一人。皆がそれぞれの家族を伴って集まった。あの時、私は何歳だったのだろう。おそらく四、五歳の幼稚園児だったように思う。引っ込み思案の私は、あぐらをかいた父の足の間にちょこんと座っていた。女性陣が料理をしつらえ、次々にお膳が並べられた。

 真ん中に大きめの座布団が置かれ、いつの間にか祖母が鎮座している。赤いちゃんちゃんこに頭巾もかぶって。「お婆ちゃん‥。」私は少し驚いた。いつも元気よく動き回っている祖母が、その時はとても小さく見えた。ちょっと置物っぽく、座布団の上に正座していた。私はたぶんまじまじと見つめたと思う。

 祖母は時々、聞きなれない言葉で話した。それはたぶん、さらに先代の、私にとっての曽祖父母たちが、ここ北海道に入植する以前に暮らしていた、四国のお国言葉だったのかもしれない。今では思い出せないが、祖母は面白い話し方で私を笑わせた。特別なジュースとかおやつとか、祖母の家でしか食べられないものもあった。兎にも角にも、私たち孫を温かく見守ってくれていたことは間違いない。

 私は感じていた。"お婆ちゃんくらいの歳になると、全部わかるんだろうな。そして、なんでも出来るんだろうな。私みたいに、出来ない!って投げ出すなんて、見たことないもんなぁ"と。言い換えれば『悟りを開いた人』なんだと思っていた。世の中のお爺さんやお婆さんは、皆そうなんだと。

 その祖母はやがて大往生を遂げ、昨年が二十七回忌だった。明治末期に生まれ、結婚、出産。夫が早くに亡くなったため、昭和の激動期に女手一つで子どもたちを育てた。ユーモアがあって、それでいて頑固で、強く凛とした祖母だった。

 そんな祖母の赤いちゃんちゃんこを着たあの日の年齢に、私もなろうとしている。しかし、どうだろう。幼い私が、あの日祖母に対して感じた風情を私は帯びているだろうか。はっきり書こう、皆無だ。なんと未熟な還暦だろうと、驚くばかり。「修行が足りんね」と祖母に一喝されそうだ。今も目に浮かぶ、座布団にこじんまりと納まった、小さな、けれど大きな大きな、私の祖母に。

 しかし、言い訳がましいが、人生百年と言われる昨今、ひょっとしたら還暦などはまだまだひよっこかもしれない。人生で、今日が一番若いのだと張り切って、日々を懸命に、そして楽しく暮らしていけたら良いよね?そうだよね、お婆ちゃん。

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