凱旋門賞 考察(2022)
・はじめに
2022年の凱旋門賞は過去最多の7頭の日本馬(シャフリヤール・ステイフーリッシュ・タイトルホルダー・ディープボンド・ドウデュース・パンサラッサ・ユニコーンライオン)が出走登録がされた。
過去最高順位が2位の日本競馬界にとって、この上ないチャンスとなっている。
昨年の秋にウマ娘を始めて競馬に興味を持ち、今年初めて競馬場に行って馬券を買った典型的な「にわかファン」であるが、そんな人間でもわかる時代の流れが来ているように感じるのである。
せっかくの機会なので、多方面から今年の凱旋門賞の日本馬の勝利の可能性と海外馬との比較、競馬場や芝生の違いについて考察、予想をしたいと思う。
凱旋門賞と日本馬の歴史
凱旋門賞はフランスパリのロンシャン競馬場(改修工事の場合はシャンティイ競馬場)で毎年10月の第一日曜日に開催される。
距離は芝・2400m、右回り。
イギリスダービー・ケンタッキーダービーと並び、世界中のホースマンのあこがれのレースの一つである。
IFHA(国際競馬統括機関連盟)が公表する3か年における年間レースレーティングの平均値に基づく「世界のトップ100G1レース」においても何度も首位に輝いており、常に最上位のレースと評価され、「その年の世界最強の競走馬(芝)を決める大会」と言っても過言ではない。
創設は1920年10月3日。出走条件はサラブレッド3歳以上牡馬・牝馬。
負担重量は3歳で56.5Kg、4歳以上59.5Kg、牝馬は1.5Kg減(3歳牝馬55.0Kg、4歳牝馬58.0Kg)。
日本馬は1969年スピードシンボリが初めて挑戦するも着外、その後も72年メジロムサシ(18着)、86年シリウスシンボリ(14着)が挑むも勝利からは程遠かった。
その後、1998年デビューの黄金世代から『怪鳥』エルコンドルパサーが蛯名正義騎手とともに挑む。
凱旋門賞の前に、サンクルー大賞、フォア賞を踏み凱旋門賞の日を迎えた。
1999年当時異例と言われた逃げの手に出たエルコンドルパサーは最終コーナーを回り、直線50mまで先頭を走っていたが最後の最後に当時世界最強と言われたモンジューの前に屈することとなる。
3着以下との差の大きさから、新聞各社は「世界王者は2名いた」と報じるほどに日本馬が世界に肉薄し世界の壁を破れる可能性のあったレースであった。
その後も、2002年マンハッタンカフェ(13着)、2004年タップダンスシチー(17着)と世界の壁は高かったが二度目のチャンスがやってくる。
2006年、ディープインパクトと日本競馬会のレジェンド武豊の凱旋門賞出走決定。
『日本近代競馬の結晶』とまで言われ、凱旋門賞挑戦まで11戦10勝(2着1回)の日本競馬史上最強のディープインパクトの出走は、当時の競馬ファンの心をどれほど熱くしただろうか…。
レース開始から、いつもより少し前の位置で競馬を進めたディープと武豊、改めてレースを見ても完璧なレース運びだったと思うほどに完璧だった。
終始2~3番の位置にいて決して前と離れすぎず、かといって内に入って前を塞がれない…最終コーナーを回って直線に入った時、今までのディープの末脚を見た人間なら誰しもが『勝った!』と確信したと思う。
先頭に躍り出て尚落ちない脚で先頭を走っていたが外から2頭の馬が飛んできた。
差されて、差し返して、少なくとも2度は差し返したように見えたが3度目は無かった、半馬身リードを許すとそこから返しきるほどの脚が出なかった。
1着との差は約1馬身…ディープが連対(3着以下)を外した唯一のレースである。
しかも、その後ディープから違法薬物が出たという衝撃のニュースが舞い込む。
最終的にディープは失格となってしまった。
その後、武豊は2008年にメイショウサムソンと再挑戦するも10着に沈む。
2009年は日本馬の出場はなし、2010年は日本馬はナカヤマフェスタ(蛯名正義)、ヴィクトワールピサ(武豊)の初の2頭立てで挑む。
ナカヤマフェスタの父ステイゴールドは、香港・ドバイの海外重賞実績があった上に、ステイゴールドの初の重賞勝利は阿寒湖特別と欧州の重い芝生に近い北海道での実績がある。
その血を引くナカヤマフェスタは重い芝生での走りに十分な期待ができる。
ヴィクトワールピサは3歳のため負担重量が小さく、皐月賞で勝ち、ダービー3着の実績もあった。
レース開始から中断少し後ろに位置したナカヤマフェスタは焦ることなく
レースを進め、最終コーナーを回って外に持ち出すとググ~と伸びて残り200mで一瞬先頭に立ったように見えたが、同時に伸びたワークフォースに内を付かれクビの差が縮まらず、最後は頭差で負けた。
ヴィクトワールピサは見せ場がなく残念ながら7着に敗退。
2011年にもナカヤマフェスタ(蛯名正義)は出走するが、11着。
ヒルノダムール(藤田伸二)も10着とやはり勝てない。
そして、2012年ステイゴールド産駒でクラシック三冠馬オルフェーブルとアヴェンティーノが参戦。
父ステイゴールド祖父サンデーサイレンスと似てひどい気性難があり、レース後に池添騎手を2度振り落としたり※、レース中にゴールを間違えたのか急に失速したかと思ったら再加速して追い込み2着に入るなど、めちゃくちゃな競馬をするが真面目に走れば歴代最強クラスの『金色の暴君』である。
※ちなみにステイゴールドはレース中に騎手を振り落としている。
国内主戦騎手は池添謙一騎手だったが、凱旋門賞はフランスのトップジョッキーC・スミヨンが騎乗した。
後ろからレースを進め掛ることなく、恐ろしいほど順調にレースを進めたオルフェーブルは直線に入ると恐ろしい勢いで後方から進出し、一気に首位に躍り出る。
かつて凱旋門賞に参戦したディープインパクト以上の末脚で見ているものすべてがオルフェーブルの勝利を確信しただろう。
だが、外を回って末脚を繰り出したオルフェーブルはものすごい勢いで右に寄れて行き、柵に当たるのではないかというほど柵に近づいて走った結果、失速していき残り10mでソレミアに差された。
エルコンドルパサー以上に凱旋門賞の勝利に近づいたオルフェーブルだったが、最後の最後に自身の気性難に泣かされた。
ここで帯同馬のアヴェンティーノについて少し紹介する。
アヴェンティーノの競争成績はオルフェーブルと比較すると決して輝かしいものではなく、現役引退まで国内レースは条件戦(1600万以下)までしか出れなかった。
フランス遠征の帯同に選ばれた最大の理由はオルフェーブルとの仲の良さだったらしい。
馬は集団で生活する生き物であり、馬房が隣同士で普段一緒に生活しているアヴェンティーノがそばにいたことで精神的に非常に安定した状態にいることができたのだろう。
リアルタイムで見ることができなかったが、前哨戦のフォア賞、凱旋門賞本番も返し馬などでアヴェンティーノが先にいることで、オルフェーブルは落ち着いてレースに出場できた。
さらに凱旋門賞本番では逸走するオルフェを抑えるため騎手はオルフェーブルの位置を確認し、最終コーナーでは大回りをしてオルフェーブルの逸走を防ぐというファインプレーも見せており、彼がいなければ凱旋門賞2着もなかったかもしれない。
かつてはシンボリルドルフ(遠征中止になってしまった)の帯同馬としてシリウスシンボリが想定されていた※。
※ルドルフが遠征中止となったが、シリウスは短期で遠征している。
他にも、ハッピーウッドマン(エルコンドルパサー=凱旋門賞)、ドージマムテキ(アグネスワールド=アベイ・ド・ロンシャン賞)、イーグルカフェ(マンハッタンカフェ=凱旋門賞)、ピカレスクコート(ディープインパクト=凱旋門賞)、ファンドリコンドル(メイショウサムソン=凱旋門賞)、ステラウィンド(キズナ=凱旋門賞)、フルフラット(マテラスカイ)などが帯同馬として自身の競争のみならず、他の馬のサポートとして活躍した。
2013年は昨年2着のオルフェーブルに加えてダービー馬キズナと共に凱旋門賞に挑戦する。
オルフェーブルとキズナは比較的近い位置で中断よりやや後方でレースを進めていったが4コーナー手前でキズナがオルフェーブルの横を塞いでしまい、キズナの前をトレブがいたため微妙に仕掛けのタイミングが遅れたように見える。
だが、前が開いた瞬間の末脚はオルフェーブル・キズナともに恐ろしく一気に先頭めがけて上がっていったが、伸びていくトレブを捉えきれずオルフェーブルは2着、キズナは4着に敗れた。
武豊がトレブをマークしていた結果、キズナが結果的にオルフェーブルの横を塞いでしまったのかもしれないが、明らかに2012年よりも最後まで走り切っているように見えた。これは最後まで3着のアンテロと競り合った結果、オルフェの勝負根性が出ていたと推測できる。
武豊が2022年のダービーをドウデュースで勝利した際に「先頭に立つのが早すぎた」とコメントした通り、馬は早々に先頭に立つと気を抜いてしまうことがある(ソラを使う)。オルフェーブルにもソラを使う癖があった可能性は高く、2012年の敗北は直線一気で先頭に立って大きく差を開いた結果の出来事だったのかも知れない。
2013年のレースから少し話がそれてしまったが、オルフェーブルは2年連続凱旋門賞2着という過去の日本馬がたどり着くことができなかった、戦績をもってこの年の有馬記念を走って引退した。
2023年追記
昨年は上記の記事の途中で予想まで届かず断念してしまった。
馬券は、日本馬を心情的にあきらめきれず、各馬の単勝を買った。
その中でもタイトルホルダーが最も勝率が高いと考えていた。
父ドゥラメンテ、母メーヴェのタイトルホルダーは、母系にモチベーター、モンジューと欧州のスタミナ血統がしっかりと入っており、ドゥラメンテも悪い馬場に強い馬だった。
残念ながら、事前の水まきと直前の大雨で沼のようになった馬場ではさすがに勝てなかった。
他の日本馬としては、ディープボンドは2021年の挑戦もあり、日本馬では2番手評価した。
父キズナも凱旋門に挑戦していたところを評価したが、血統的にも厳しいことはわかっていたため、勝てるレベルかと言われたら厳しいと感じていた。
ステイフーリッシュはステイゴールドの血がどこまで頑張ってくれるか、一か八かの期待が高かった。
海外での実績もあったし、長距離の適正もあった。
だが、結果は周知のとおりである。
その後凱旋門賞を最後に引退。
これが一番怖い。
普段走らないコースで無理をして結果的につぶれてしまったのではないかと思っている。
ドウデュースは実は一番期待していなかった。
調べていくうちに、あまりにも日本の競馬場とロンシャンの競馬場の違いに絶望していったからである。
ドウデュースが出走した4頭と東京芝2400で競ったら、10回やったら9回は勝つと思う。
ただ、凱旋門は話が別。
圧倒的に血統と馬場適性が求められる。
前哨戦での好走はあったが、厳しい現実となる可能性は非常に高いとみていた。
帰ってきてから、再びレースで強い姿を見れたときはとても安心した。
海外馬で最も評価していたのは、勝利したアルピ二スタ。
牝馬で斤量有利、重馬場の実績もトップオブトップ、そして各レースの勝ち方がとにかく強かった。
連勝街道を爆走していて、調子のよさも折り紙付き。
単勝6倍程度ついていた記憶がある。
下記途中で断念してしまった理由としては、「血統構成」「凱旋門賞(ロンシャン)の特殊性」「凱旋門賞の際の海外馬の強さ」を調べていくうちにあまりにも勝てない理由が出てきすぎてしまい、筆が進まなくなってしまった。
結果を見て、「やはりか…」といった状況だった。
ただ、昨年の考察が今年の予想にも役立っているし、ここまでしっかり調べれば競馬は当てる可能性が上がると考えることができたのは大きな収穫だった。
イクイノックスのように世界最強馬であることが明らかでも、凱旋門賞に挑戦しない道を選ぶこともすごく大切だと思う。
馬がつぶれてしまう可能性・リスクがあるし、レースは凱旋門賞だけではないからだ。
凱旋門賞を日本馬が勝つことは今後も難しいと思うからだ。
少なくとも、エルコンドルパサーのように長期の渡仏により現地にならせるか、オルフェーブルのような重馬場での暴力的な強さを持っていないと、苦しいと思う。
ただ、凱旋門賞への挑戦がなかったら日本競馬はここまで強くなっていなかったと思うし、挑戦し続ければいつかは勝つ馬が現れるだろう。
凱旋門賞に勝てる馬を生み出すことで、他の海外競馬場でも対応できる強い馬が生まれる可能性が大いにあると思うからだ。
そして、日本馬の強さが証明されていけば、生産牧場にも海外資本が入ってきて、馬が売れれば生産の場も潤い競馬界全体が繫栄していく。
現時点でも、ドバイや香港、アメリカでも勝てる馬が出てきたことを考えるともう十分すぎるほど高い評価を受けているとは思うが…。
今となっては、上記のアルピ二スタ予想も事前予想根拠がないため、過去の思い出しになってしまうが、個人の楽しみで書いている記事と考えて頂きたい。
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