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「マジンガーZINFINITY」に感じた違和感



帰ってきたヒーロー

ここ数年で庵野監督のシンシリーズが話題になりました。「シン・ウルトマラン」や「シン仮面ライダー」など昔からのファンには、たまらない作品になっているようです。子供の頃に胸を躍らせたヒーローの続編が時を経て見られるというのは素敵なことだと思います。

「INFINITY」の感想

私にとっては4年前に公開された「マジンガーℤINFINITY」がそれに該当します。
Zが45年ぶりに映画公開ということで「INFINITY」を楽しみにしていました。なので公開直後に「lNFINITY」を見ました。私の感想としては、とても良く出来ていたと思います。

おそらくZのことをよく理解しているスタッフが作ったのでしょう。
映画を通じてスタッフのZ愛が伝わってきました。
特に良かったのは、最初に敵に捕まったグレ-トをZが助けに行く展開。
これって「マジンガ-Z対暗黒大将軍」と真逆の展開ですよね。(分かってるなぁ)と感じました。

またZの武器を全部使うフルサ-ビス。滅多に使われない「ミサイルパンチ」や「サザンクロスナイフ」まで使うところが憎いところです。何せZの勇姿を45年ぶりに大スクリーンで見れただけで私は大満足なのですが、どうしても気になることが一つだけありま

映画の中で感じた一つの違和感

それは「兜甲児の声が石丸博也でない。」とか「Zのフォルムが嫌だ。」「ドクタ-ヘルの復活の理由がよく分からない。」とかそういうことではないのです。そんな細かいことはどうでもよくて、Zのファンならどうしても見過ごせないことが一つあるのです

呼び捨てで呼び合う甲児とさやか

それは兜甲児と弓さやかがお互いに「さやか」「甲児」と呼び捨てで呼びあっていたことです。Zが好きな人なら分かると思いますが、ありえないことです。
オリジナルの「マジンガ-Z」では二人は「甲児君」「さやかさん」と呼びあっており、たとえ設定上二人が20代後半の大人になっていようが呼び捨てで呼びあうことには、凄く違和感があり納得出来ませんでした。
例え二人が10年近く恋人同士で付き合っているという設定でもです。

百歩譲って甲児が「さやか」と呼びすてにするのはまだ許容できます。何せ単純な性格の兜甲児です。長くつき合ううちに、さやかのことを自分の所有物のようにとらえ「さやか!」と呼び捨てにすることはありえるでしょう。
ただ弓さやかが兜甲児を「甲児」と呼び捨てにするのは、絶対にありえないと感じます

さやかが甲児を呼び捨てにすることがあり得ない理由

よく考えて下さいよ。さやかはマジンガ-Zの中で一番の常識人の弓教授の娘ですよ。
そんな教授に育てられたさやかが人前で自分の恋人を「甲児!」と呼び捨てにするわけないでしょう。
もしそんなことがあったら弓教授と次のような会話があるはずです。

弓「さやか話がある。」
さやか「お父様何でしょう。」
弓「お前と甲児君のことだ。お前たちが二人でいる時にお互いにどう呼びあうかは自由だ。好きなようにしなさい。
ただ人前で甲児君を呼び捨てにするようなことは、やめなさい。」
さやか「どうしてですか。」
弓「お前は、そんなことも分からないのか。お前が人前で甲児君を呼び捨てで呼ぶことにより、甲児君の品位がおとしめられているんだ。
それだけではない、そんな風に恋人を呼ぶお前自身、ひいてはそんな風にお前を育ててしまった私自身が世間に人格をはかられることになるんた。
そんな風にお前を育てた覚えはない!」
さやか「お父様ごめんなさい。さやかが考えが足りませんでした。」
このような会話があって、さやかがたしなめられるはずです。

父親のことを「お父様」と呼ぶ弓さやかが、何年経とうが、兜甲児を「甲児」と呼び捨てにするはずないし、それをたしなめない弓教授ではないはずです。

ニック

さやかが甲児を呼び捨てにすることは、ありえないです。

結論 今回の映画の唯一の失敗はさやかの甲児呼び捨て

Zに愛情を持っている今回の映画スタッフが、そこに気づかなかったのが唯一残念な点です。
私と同じ違和感を抱いたZファンも多かったのではないでしょうか。同じように思った方がいたら教えて下さい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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