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ギャン泣きする準備は出来ている

大好きだった、というか、自分にとってはまさにヒーローみたいな存在だった従兄弟のお兄さんのS兄が交通事故で意識不明の重体になった、という一報が実家の母から届いたのは先週の土曜日の朝のことだった。

僕は遠くに暮らしていてすぐには会いに行けない老いた2人に代わって彼に会いに行くために、すぐに身支度をして彼が入院している病院に向かった。

約1時間30分電車に揺られて、その後、真夏のような太陽の下、病院までの道のりを目を細めながらゆらゆらと歩いた。

そして、受付で、親族なので面会希望だと伝えると、案外あっさりとOKが出て、病院の二階にある彼が待つICUに向かった。

ICUに入るのはこれで人生2度目、しかも、会うのはどちらも自分にとってかけがえのない人だったから、ICUのドアをくぐる瞬間、

「まるでふざけた映画みたいな人生だな」

と少し苦笑いした。

ベッドの上で4年ぶりの再会を果たしたS兄は、

あの頃とは全く変わり果てた姿

ではなくて、

目と口を半開きにしながら、本当に穏やかな顔をしてすやすやと眠っていた。
スキンヘッドの頂きに、血を抜くための大きなチューブさえなければ、本当にただ気持ちよく昼寝しているいかついオッサンにしか見えなかった。

僕はその眠りを極力邪魔しないように小声で彼に語りかけた。もはや何を話したかは覚えてないけど、きっと彼への感謝とか励ましとかその類の言葉だろう。

10分足らずで病院を後にして、病院の近所に住んでいるS兄のお母さん、つまり父の妹に当たるおばさんに電話した。

ICUで彼にあいさつを済ましたことを話して、もしお邪魔じゃなければ、おばさんにも会いたい旨を伝えた。

彼女が無理なら会わずにそのまま帰るつもりだった。

けど、おばさんは、間違いなく泣き腫らしたせいで枯れ枯れになった声で、

「いいわよ」

と言ってくれた。

だから、僕はおばさんが住むマンションまでまた歩みを進めた。

タクシーには乗らなかった。

麦わら帽も日傘もなく、灼熱の太陽の日差しが容赦なく僕の顔面目がけて降り注いだけど、このときはなんとなくそうしたいと思ったんだ。

おばさんのマンションに着いて、ダイニングテーブルを挟んで、久しぶりに彼女と対峙する。

第一印象は、

「ちょっと老けたかなあ」

だった。

まあ76歳だから当たり前の話だけど、今年79歳になる彼女の兄貴(僕の父親)が見た目だけはめちゃくちゃ若い人だから、きっとそんな風に思ったのだと思う。

僕は何も気の利いた言葉ひとつかけられなかったけど、とにかく少しでも気が紛れればと思って、おばさんに色々な話題を振ってみた。

そしたら、もともと話し好きなおばさんは、今回の事故のことだけでなく、島のおじいちゃん、おばあちゃんや4年前に亡くなったおじさんの思い出などたくさん話をしてくれた。

おじさんのエピソードなんて、これ絶対にnoteのネタになるやつやん、と思うくらいめちゃくちゃ面白かった。

僕の右隣には大きな窓があって、そこから差し込むやさしい光と風がとても気持ちよかった。

インテリア好きな僕は

「素敵なお家ですね」

という感想を彼女に伝えた。

気づいたら、2時間以上が経過していた。

おばさんは朝から何も食べてなかったし、実は僕もそうだった。

たぶん彼女は何も喉を通らない状態だとは思ったけど、何か栄養は摂ったほうがいいと思った僕は「お腹空きました!」アピールを必死にして、その甲斐あって、近所の回転寿司まで遅めの昼食に行くことに決まった。

そこで実際、お腹が空いていた僕は10皿くらいぺろりと平らげたけど、おばさんもアオサの味噌汁と寿司2貫食べてくれたから、良かった。

本当によかった。

実はこの後、S兄の奥さんにあたるA姉さんと息子のYくんにも会いたかったけど、昨日の深夜から今朝にかけて本当に大変だっただろうしきっと今頃、疲れ果てて二人とも寝ているはずから、また今度にすることにした。

うん、今はそっとしておこう。

実は、この日、僕はずっと自分のことを

「なんて薄情なヤツなんだ」

と思っていた。

確かに涙ひとつ流さなかったしね。

というか自分が涙を流す順番はまだ先だし、もしかしたらこの後、奇跡が起きてずっと流さないままでいられたらいいなって思っていた。

要するにすごく冷静だった。

そんな僕にはおばさんや姉さんや甥っ子の辛さや悲しみの百万分の一も分からないだろうと思った。

でも、どこかで、それでいい、と開き直ってもいた。

だって、たとえみんなの気持ちをちゃんと理解できなくても、S兄のこともおばさんたちのことも僕は大好きだからだ。

だから、そんな薄情な僕は、全然たいしたことなんてできないけど、みんなと一緒に泣く代わりに、とにかく少しでもみんなの役に立てたらなってずっと思っている。

「S兄が命の危機を脱して、外部からの刺激にも反応を示すようになった」

という朗報が実家の母から入ったのは、それから6日後の今週の金曜日のことだった。

しかしホッとしたのも束の間、それから数時間後に、ずっと闘病生活を続けていた大切な友人の訃報が届いたのだった。

「なんてふざけた映画だ」

と僕はまた天を仰いだ。

そして、薄情な僕はまだ泣いていない。

だって、まだ僕の番じゃないから。

まずは彼女のことをずっとそばで見守って支えてくれた人たちに思う存分泣いてほしい。

そしたら、その数日後くらいには、今度はこんな薄情な僕でも少しは涙を流してもいいかな、なんて思っている。

にこにこぼたんさん

今までお疲れ様でした。

そして、ありがとう。

どうか天国で安らかにお眠りください。

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