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ハタチ過ぎても、おんなじ人

海からの帰りの特急電車の中で息子は、明らかに

「覚醒モード」

に入っていた。

それは、今日一日の満足感や久しぶりにちゃんと栄養補給できたことで、いつもの不安な感情から解放されたことが大きかったように思う。

だけど、最初は、完全におちゃらけた話だった。

まず彼は自分の帽子にごはんとネタを入れて、その帽子をグシャっとつぶして寿司を作るという仕草をし始めた。

そして、出来上がったそのエアー寿司を僕の右肩に置いて、

「肩パッド寿司、一丁上がり!」

と言ってきた。

あまりにも意味不明な言動に僕が困惑を隠せずにいると、

「いわゆる北斗の拳の敵役がつけているやつね」

という肩パッドの説明が加わった。

仕方なく僕も彼のこのお戯れにしばし付き合う覚悟を決めて、

「じゃあ肩パッド寿司のネタは何なの?」

と尋ねたら、

「もちろんイカだよ。割と硬いし弾力があって衝撃も吸収するからね」

と意外ともっともらしい回答が返ってきて、思わず苦笑いしてしまう。

続いて、息子は、その自分の帽子で作ったエアー寿司のことを

美の寿司

と言い始めた。

さらに唐突な展開に??となりながら、

「なんで美の寿司なの?」

そして、

「そんな帽子で握ったお寿司、いったい誰が食べるの?」

と僕は尋ねてみた。

すると、彼は、

「これが美の寿司なのは、あくまでこれが自分のための寿司であって、だから、この寿司は他人が食べるものではなくて、僕が食べるんだよ」

と答えたのだった。

そして、彼は、この美の寿司のことを美の中でも

自の美

に相当するものである

と僕も初めて聴く言葉で説明してくれた。

「えっ、自の美って何?」

と興味津々で僕が食い気味に尋ねると、彼は

「自の美とはその名の通り、他人からの評価を一切気にせずにただひたすら自分が考える美を追求する美のことだよ」

と流暢に答えた。

最初とは打って変わったなんだか哲学的な展開に内心、舌を巻きながら、僕はさらに彼にこんな質問を投げかけた。

「今までお母さんや僕と一緒にいろんな美術館に行ったと思うけど、その中で君が思う自の美のアーティストって誰かな?」

そしたら、彼は

「岡本太郎」

と答えた。

即答だった。

それに対して、僕が

「え~、あなた、以前、岡本太郎の絵はあんまり好きじゃないって言ってなかったっけ?」

と言うと、

「好き嫌いは別だよ。あの人の筆の軌跡とかマジヤバいじゃん。あの迷いのなさこそが自の美だと僕は思うよ。」

とこれまた全くためらうことなく真っ直ぐな答えが返ってきた。

この時点で、僕は、もはや彼が11歳の子供であるということを忘れていた。

というか彼が覚醒モードになると、毎回こうなるのだけど(苦笑)

僕はそんな彼に向かって、自分が疑問に思っていたことをストレートに質問してみた。

「じゃあ一流の寿司職人が握るたくさんの人を喜ばせる寿司は美の寿司とは言わないのかな?」

「いや、それも美の寿司だよ。でも、それは自の美じゃなくて、全の美ってやつ」

「でも、自分のために作る自の美も誰かのために作る全の美も決して相反する矛盾したものじゃなくて、自の美を追求した結果、全の美に辿りつくこともあるし、その逆もあるんだ」

「ただし、どちらもそれが美であるために、必ずないといけないものがある」

「それは、その美を作っているときに感じる楽しさやワクワク感だよ」

「それがなければ、どんなに周りの評価が高くても、どんなに自分はすごい芸術家だと本人が思っていても、それは全く美ではないんだ」

この小さな口から語られる

まるで真理そのもののような言葉

に僕はほとんど言葉を失いかけていた。

それでも最後に僕は、これだけは聞いておかないといけないと思ったこと、そう、ある知り合いの男性のことについて、彼の見解を聞いてみたのだった。

「その男性は、芸術家ではなくて、普通のサラリーマンなんだけど、最近になって、ようやく本当に自分がやっていて楽しくて、かつ、そのできたものを喜んでくれる人たちもたくさんいるというある意味、自の美と全の美を兼ね備えた仕事をすることができたんだ。」

「でも、いろいろと複雑な事情があって、彼は今その仕事から離れようとしている。そして、どうやら彼はそのことについて罪悪感や悔恨の念を覚えているようなのだけど、そんな彼についてどう思うかな?」

「それは仕方がないことだと思うよ。だって、彼がそう決断したのは、きっとその自分が作った木が腐りかけてきているからだと思うし。でも、それだけのことが出来たならば、たとえ木は腐ってもぶっとい根っこは生き残っているはずだから、その根をまた次の場所でしっかりおろしたら、今度はもっと大きな木が育つはずだよ。」

この息子の答えを聞きながら、僕はずっと涙が止まらなかった。

なぜなら、その男性とは実は僕のことだったからだ。

そして、そんな話で散々盛り上がった後、僕らは特急を降りて、普通電車に乗り換えた。

普通電車の車両に横並びに座った瞬間、息子が

「さっきお父さん、泣いてたよね・・・」

とちょっとからかうような感じで言ってきた。

「バ、バレたか・・」

というかまぁバレるわな(苦笑)

そして、実はさっきの彼の話を聞きながら、以前、このような覚醒モードの息子の言動に興味を示していたカナダに住むある友人noterさんから、

「息子さんはもしかしたら神様のメッセンジャー的な存在かもしれない」

と言われた話(ちなみにこのとき彼女は自分はスピリチュアル的なものを特別信じているわけではないとも言っていた)を息子に告白すると、彼は

「ああ、なんか自分でもそんな感じするんだよね」

とうなづいていた。

「でも、20才過ぎるとただの人、とも言うからなぁ」

と僕が続けると、息子は、

「それはきっとそうじゃないと都合が悪い人が言っているだけのデマかもしれないよね」

となかなか鋭い仮説を述べた後、最後に

「僕はハタチ過ぎてもおんなじ人になるよ、きっと」

と力強く宣言したのだった。

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