東京は、冬
ぽて、と。
いや、
さて、と。
僕の手元には今、一冊の映画パンフレットがある。その横長ではがきサイズのちいさなパンフには、夫婦と思しき男女のセピアカラーの写真とその隣には青地をバックに手書きの文字で
東京日和
と小さく書かれている。
実はこれは先日、僕が行きつけの国分寺の某古本屋さんの100円ワゴンの中にあったのをたまたま見つけて購入したものだ。
写真家の荒木経惟(のぶよし)氏とその妻の陽子さんをモデルにした竹中直人監督のこの作品を、確か公開当時、大学4年生だった僕は広島市内のミニシアターで観たと思う。
その際、映画の中のヨーコさんが僕がアラーキー氏や彼女自身の著作から想像していた陽子さんのイメージとはあまりにもかけ離れすぎていて、というか、明らかに頭がおかしい女性として描かれていて、
「え〜、こんな人じゃないよな〜。」
とひたすら困惑していたのが一番記憶に鮮明に残っている感想だ。
でも、主人公のカメラマンとヨーコさんが歩き回る東京の風景(ベタだけど特に夜の神楽坂の石畳の坂道を下るシーンが格別だった)
と
二人が住む大きなベランダがあるお家のインテリアがとても素敵だったこと
もまたとても強烈に印象に残っていて、ひょっとすると
東京散歩とインテリア
という僕の長年の趣味の原点はもしかするとこの映画だったのかもしれない。
などと、割と冷静に映画の感想を述べている風だけど、実際はこのパンフのページをめくりながら、
「これは参ったなあ…。」
とずっと変な汗をかいていたのだった。
その理由ははっきりしていて、それは僕の別れた前妻の名前が
ヨーコさん
であり、しかも彼女の外見がヨーコ役の女優さんに似ていたからだ。
さらに、ちょっと精神を病んでいるところまで同じだったりするから、なんかもう、ね。
違うところと言えば、映画の主人公の男性が妻が死ぬまで一途に彼女を愛し続けたのに対して、僕はそれが出来なかったということだ。
実際、付き合って8年目を迎えた頃、いつまでも変わらず自分の殻に閉じこもっている(ように見えた)彼女の姿にしびれを切らした僕は、そんな彼女に向かって時々自分の苛立ちを言葉にしてぶつけるようになっていた。
ちなみに当時の僕はまだ三十路を過ぎたばかりの若僧に過ぎなかった。
にも関わらず数年前に思いきって転職した会社で、今まで会ったことのないようないろんな人たちと交流したり、今までしたことのないようなさまざまな体験をしたことで、すっかり世の中、分かったような気になっていた(苦笑)
そんな僕はいつしか一方的に自分の考えを彼女に押し付けるようになり、
そして、最終的には身勝手に彼女に別れを告げたのだった。
しかも、そのときの僕は目の前でワッと泣き出した彼女を見てもまったく動じないくらいパーペキな人でなしに成り果てていた。
本当になんていうロクデナシなんだ。
晴れの日も雨の日も風の日も嵐の日も雪の日も、どんなときも静かに僕の隣に寄り添って見守り続けてくれた人に向かって、そんな仕打ちをするなんて。
そう言えば、ふたりの共通の趣味だった街歩きの最中、ときどき立ち止まって僕の変な歩き方を見つめては(当時は長年の工場勤務の影響で骨盤がズレてしまい少しビッコを引いていたのだ)、クスリと笑うのが彼女の癖だった。
そんな彼女との思い出はどれもこれも静かなものばかりだけど、ほとんど唯一、お互いに明るく笑い合った出来事があった。
それは双子の弟の結婚式のためにふたりで京都を訪れたときのことだ。
彼女が式場に集う大勢の人たちを前に人酔いして気分が悪くなってしまったため、僕らは二次会を待たずに早めに切り上げ、夕方18時発の東京行きの新幹線に乗り込んだ。
駅ビルでドライカレーやらお弁当やらデザートやらしこたま買い込んで、ね。
すると、それまでの緊張の糸が一気にほぐれたせいだろうか、そのときの彼女はいつになく饒舌で、そして、顔をほんのり赤くしながら、キラキラとした笑顔を何度も見せてくれた。
美人だと思うことはあったけど、彼女のことを可愛いと思ったのは、もしかしたらこのときが最初で最後だったかもしれない。
そして、このとき僕はこんな彼女の笑顔をまた見たいと思ってしまったような気がする。
さらに悪いことに、こんな僕だって最近、こんなにも笑えるようになったのだから、彼女にもきっとできるはずだって決めつけてしまったのだ。
でも、あれから時を経て「世の中のことなんてさっぱり分からない」と思えるくらいには世の中のことが分かるようになった僕は、こんな手前勝手な話なんかないよなって素直に思えるし、それより何より鮮やかな原色でも可愛らしいパステルカラーでもなかったけれど、どことなく渋いニュアンスのある色をした彼女と過ごした日々のことを僕はちゃんと好きだったことに気づいたのだった。
だからだろうか、この季節になると、僕は決まって、横浜のtomorrowlandで一緒に選んだモスグリーンのコートに身を包んだヨーコさんの姿を思い出す。
そして、そのコートの丸襟には、僕がクリスマスイブに彼女にプレゼントした四つ葉のクローバーのブローチがキラキラと輝いているのだ。
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