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裏切り者のブルース

自分の過去を振り返ると、自分がいかに周囲の期待を裏切り続けてきた人間かがよく分かる。

それも相手にすごく期待をさせておいて、裏切るから余計に太刀が悪い。

例えば、高2まで学年10番以内で、K大やO大が射程圏内に入ってたのに、高3で不登校になって、結局、地方の二流大学にしか進学できずに、親を、特に父親を、めちゃくちゃガッカリさせたり。

例えば、前の会社で、営業職だったのだが、なぜか技術系の超優秀な部長の白羽の矢が当たって、彼の後継者となるべく教育されたけど、まったくついていけずに、その部長をガッカリさせたり。

例えば、君がいるだけで心が強くなれること〜

この流れだったので、ちょっと歌ってみた。

まあ、これに限らず、小さなものまでいれると本当に僕が歩いてきた道のりには、無数のガッカリが瓦礫の山のようにうず高く積み上げられている。というのはさすがに言い過ぎだけど。

で、もちろん僕だってみんなの期待に応えたいとは思っているから、期待を裏切ったときはそれなりに凹む。

特に相手が自分の尊敬する人や好きな人だったときは、その人に対する申し訳ない気持ちも加わって、身悶えするくらい苦しくなる。

そして、この経験を繰り返していくうちに、いつしか自分の中にこういう気持ちが育まれる。

僕は偽物、僕はイミテーション。

そんなふうに他人の期待を裏切るたびに、割としんどい思いをするわけだけど、実は何も悪いことばかりではないとも思っている。

どん底まで追い詰められることで、かえって自分という個性が浮き彫りにもなるからだ。

どういうことかというと、他人の期待に応えられなかった罪悪感や自己否定の気持ちに押しつぶされないように、今度は自分の才能に一縷の望みをかけて、それを有効活用することに死にものぐるいになるからだ。

その結果、僕は

誰かが期待していた自分という幽霊

ではなくて、

正真正銘、等身大でオリジナルの自分

に近づく。

少なくともそのプロセスを重ねてきた結果、良くも悪くも自分はどういう人間なのか薄々分かってきたし、自分は偽物だという気持ちも薄れつつある。

そう、自分に偽物も本物もないのだ。

どんなに他人をガッカリさせても、僕は、この自分という個性で生き抜く以外、術はない。

時折、みんなの残念そうな、悲しそうな表情を思い出して胸がキュ!となるけど、それらは、ついつい自分を甘やかそうになる僕のお尻を蹴り上げる鬼コーチの役割も果たしてくれる。

よし!また一段とクリアになったこの唯一無二、オリジナルの自分で、もっともっと大きな幸せをつかんでやるぜ!

けど、僕がこれまで期待を裏切ってきたみんなには、この場を借りて、改めておわび申し上げます。

本当にごめんなさい!


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