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彼女はサイダーガール

しゅわしゅわの炭酸が刺激的でさわやかで、そういう意味で言えば、

彼女はまさしく

サイダーガール

だったのかもしれない。

そんな彼女の魅力に僕が気づいたきっかけは、彼女の音声配信だった。

それまではある人気noterさんのコメント欄にちょくちょく現れる女性、くらいの認識しかなかったけれど、ある日、突然、彼女が始めたスタエフ配信を聴いた瞬間、彼女の声の持つ魅力に僕は両耳どころか心まで奪われてしまったのだった。

確かに自分の人生でこのときほど人間の声の魅力や可能性というものに自覚的になったことはなかったかもしれない。

本当に聴いているだけで元気やエネルギーがもらえる、そんなスーパーボイスの持ち主だった。

そして、こんな風にスタエフ配信をきっかけに彼女のファンになったのは何も僕一人じゃなくて、他にも何人もいた。

具体的には、少なくとも10人以上はいたはずだ。

いつしか、そんな僕たちは毎日、早朝に彼女がやっている「散歩チャンネル」というタイトルのライブ配信のコメント欄で知り合い、交流を深めて行くこととなる。

僕らはそのライブ配信を聞いて彼女が歩くお散歩コースを思い思いにイメージしながら、感情豊かに表現される彼女の言葉を楽しんでいた。

「さーさーさー」

それが彼女の口ぐせだった。

そのフレーズを聞くたびに本当に心に一陣のさわやかな風が吹いた。

でも、いつも楽しい話ばかりだったわけじゃない。

なぜなら、当時、すでに彼女は不治の病を患っていたからだ。

だから彼女は時折、その病気に対する不安をとても率直に吐露することもあったし、そこから生や死についての彼女ならではのとても深い哲学的考察に発展することも度々だった。

だから、僕らヘビーリスナーにとって、いつしか、彼女は、

おしゃべりが楽しい素敵なパーソナリティー

から、

各々が自分たちの人生についてちゃんと考えるきっかけを与えてくれる

とても大切でかけがえのない友人

になっていた。

だから、当時、ある人がそんな彼女のことを「女神」と言っていたのもあながち的外れではなかったと思う。

そんなある日、僕らコアなファンの中で、本人に内緒で聖地巡礼ツアーをしようというアイデアが出たのは、今から3年前の冬のことである(実際は、当日まで本人に内緒にしておいて、現地に着いたら連絡するといういわゆるドッキリ企画だった)

みんなそれぞれ仕事もしているし家庭も子供もいる、いい歳した大人(ほとんどが40代)なのに、この子供っぽい悪乗り企画は何とあれよあれよという間に具体化していって、晴れてその年の12月19日に決行と相なったのであった。

ツアー参加者は僕を含めて4名。

ツアー当日、僕たちはまず名古屋駅近くにある、あの伝説の「スガキヤラーメン」で素早く昼食を済ませた後(何しろ僕らの推しはこの地元のソウルフードをこよなく愛していたのだ)、いよいよ彼女が住むI市へタクシーで向かったのだった。

そして、彼女のお散歩コースでもある伝説の「ニトリ」(この伝説の説明は話すと長くなるので、申し訳ないけど、今回は割愛させていただきます)に到着した僕たちは、当初の予定通りここで彼女を呼び出して、店内で待ち伏せしたのだった。

しばらくして彼女が到着したのが大きなガラスのドア越しに見えると、僕らは、

「やばい、やばい、見つかるぞ!」

とか言いながら、彼女に見つからないように必死にニトリの商品陳列棚の前を右往左往していた。

本当にいい大人たちが一体何やってんだ(笑)

でも、勘のいい彼女は割とすぐに僕たちの姿に気が付いて、女性陣は抱き合って感動の再会を果たしていた。

そして、ここから、いよいよ念願の聖地巡礼が始まった。

しかも、推しご本人による「ここがいつも立ち寄ってるコンビニだよ~」

などというリアルタイム音声解説付きのプレミアム仕様で。

そして、この巡礼中、ずっとなんだかほわほわと夢見心地だった僕たちが最後、休憩に立ち寄ったのが

あの伝説の「コメダ珈琲」だった。

そう、ここは彼女が記念すべき人生初のグルメレポート配信をした伝説の場所だった。

店内に入るなり、周りのお客さんに迷惑がかからないように小声で食レポしていたあのときの彼女の愛くるしい様子がまざまざと蘇ってくる。

僕たちは、ここでコメダ名物であり、今日、あいにく都合が悪くて参加できなかったKさんがnoteのアイコンにしていた(当時)メロンクリームソーダを頼んで、乾杯したのだった。

しかし、ここで思わぬハプニングが・・・。

なんと僕(って、おまえなんかい)がクリームソーダのクリームをすくったスプーンを持つ手をうっかり滑らせて、そのクリームをボトリと自分の股間の上に落としてしまったのだ。

すると、僕の目の前に座っていたK☆Bさん(酔拳使いの美人看護師)の目が一瞬、ハンターのようにキラリと光ったと思った瞬間、本当にあっという間に、持っていたハンカチでその股間のクリームをあとかたもなく綺麗さっぱり拭き取っていたのだった。

彼女はただ看護師としての責務?を全うしただけなのだろうけど、あいにくここは病院ではなく、かつ僕もパジャマ姿の患者ではなかったから、

妙齢の女性が妙齢の男性の股間を触る

という事実だけが前景化してしまって、そこにいる僕ら全員一瞬、固まってしまって、そして、その後、大笑いしたのだった。

そんなクリームソーダの悲劇、いや、喜劇を見ながら、

きっとサイダーガールも「バカだなあ〜」と呆れつつも笑ってくれていたはずである(恥ずかしくてみんなの顔を見えなかったから、実際はどうだったかよく分からないけれど)。

しかし、本当に不思議なことだけど、

ずっと忘れていた、いや、本当はあえて思い出さないようにしていたこのときの光景が、今、

「めちゃくちゃ楽しかったよなあ」

という感情と一緒に

僕の目の前にリアルに立ち現れている。

けど、このときもその後も、彼女はサイダーガールなのだから、そのしゅわしゅわのさわやかで元気な泡も、いつか消えてなくなるんだ

って僕はずっと自分に言い聞かせてきたはずなのに、結局、ちっとも分かっていなかったことに気づいて今ちょっと唖然としている。

彼女が亡くなったという連絡があったのは、今年の6月下旬のことだった。

僕は末期の彼女のことを先ほどのK⭐︎Bさんはじめ、他の友人たちに任せっきりだったから、本当に元気だったときの彼女の姿しか知らない。

だから、あのサイダーガールのしゅわしゅわな泡は、実は僕の中ではまだ消えずに残っている。

そして、そんな僕は、いつの日か、また何食わぬ顔でお散歩配信を始めたサイダーガールが、僕が号泣している様子に気付いて

「太郎さん、なんで泣いているの?」

ってまたあの優しい声で心配そうに話しかけてくる様子を鮮やかに思い浮かべることだってできるのだ。

でも、僕たちが子供の頃と比べて、奇跡って呼んでいいくらいいろんなことが変わったこの世界に生きていると、

そんな奇跡のひとつやふたつ起きたって全然不思議じゃない

って思うんだよな。

なあ、みんなだって、

本当はそう思ってるんだろ?

割と初期メンの人たち(なぜかラーメンマンズ)

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