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いつかのそのときまで

この数週間、久しぶりにとても穏やかな気持ちで過ごすことができた。

そのせいだろうか、一昨日、歳のはなれた友人との別れぎわ、カフェの前で彼女と撮った写真の僕は、自分でも見たこともないような優しいまなざしをしていた。

こんなポンコツな僕を、こんな僕だからこそ、想ってくれる人たちがいてくれる自分はなんて幸せ者なのだ

と今は本当に嘘偽りなく思っているし、そんなみんなには本当に感謝の言葉しかない。

だから、これからはそんな宝物みたいな友達に無用な心配をかけないように、もっと自分を大切にしないといけないよな、と言い聞かせているところである。

例えば、週末は愛する家族に男の手料理を振る舞って、みんなが寝静まってからは趣味のZINEの構想に思い耽りにんまりするような

そんなゆるくも幸せな日々を想像してみる。

でも、昨晩、お風呂に入るときに、鏡に映る自分の姿を見て、改めて

結局、どうしたって、おまえは、そういうやつなんだな

と呆れながらも納得してしまった。

というのも、そこには僕の尋常じゃない気性の激しさを象徴するように、身体中に血のように真っ赤な発疹が散りばめられた姿があったからだ。

やはり、自分はこうなんだ。

他人から見たら、きっとどうってことのないことに執着して、勝手に挫折して、無意味にもだえ苦しみ続けるこの人生を僕はこれからもきっと手放せないのだろう。

だから、これ以上、大好きなみんなに心配をかけたけたくないから、いや、実際のところは、またあのときみたいにがっかりされてみんなが離れていくのがただ怖いだけなんだろうけど、サヨナラするならこのタイミングかもな、と思い始めている。

というか、今までの僕なら、またきっと何も告げないまま勝手に消えていたはずだ。

つまり、我ながらみっともないけど、どうやら僕はまだみんなとは別れたくないらしい。 

そう、いつか僕の周りに誰もいなくなったとしても、そのときが訪れるまでは、またくだらないことを言いながら、みんなと笑い合っていたいんだ。

というような神聖☆かまってちゃんな文章を深夜3時に綴る時期を巷ではどうやらタロウ期と呼ぶらしく、しかも、普通の人は10〜20代で卒業するらしいが、僕は今まさにタロウ期真っ只中だ。

というか、その名の通り、僕の場合は死ぬまで永遠にタロウ期なんだろうけど(笑)

でも、アジカンのゴッチと同じく、なんだかんだ言って僕もまた自分の人生は半分以上成功していると思っている。

そして、それは間違いなくこのnoteで出会えたみんなのおかげなんだ。

というわけで、我ながらこんなヤツで大変申し訳ないけど、みんなこれからもヨロシクな!


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