ずっと好きだったものは、これからもきっと好きなのだろう
ようやく引越しのXdayも決まり、ちょいちょい荷造りなども始めだした今日この頃。
そして、その作業中に改めて気づいたのは、自分の蔵書数の多さだ。
普段から、「本を読むのは苦手だ」と公言しているのに、あと、前回の引越しで半分くらいは処分したはずなのに、やはり高校時代からの約30年間の蓄積は伊達ではなかった。
もちろん今回もいらなくなった本は極力、減らそうと意識したのだけど、これが案外ないんだよね、困ったことに。
おそらく死ぬまでに読み返す本なんてほとんどないはずなのに、そばにいると安心するから、どうしても手放せないんだよなあ。
これって、なんとなくもう会わなくなったけど、いざとなったら会えると思っている友人みたいな関係なのかもしれない。
もしくは、どの本も、出会ったときは「ただ好きだから好き」だっただけで、その理由なんか考えもしなかったという意味では、別れた恋人という風にも言えるのかもしれない。
ちなみに、今では、好きな理由もそれなりに言語化できて、それをラジオで放言したりすることもあるけれど、一方で、そんなのは手のひらで砂をすくうような行為に過ぎないことも分かっている。
そして、今、唐突に告白すると、このno+e界隈でも
「いいインプットがないと、いいアウトプットはできない」
ってよく言われていて、僕も本当にその通りだと思っているから、内心、インプットせずに(普段、本を読まずに)、アウトプット(no+eを書く)ばかりしている自分にコンプレックスを感じていた。
けど、先日、信頼しているある友人から、
「N.O.T.Eさんが学生時代に読んでいたたくさんの本は、とても大きなインプットですよ」
と言われて、少しだけホッとしたんだよね。
柄にもなく、小説じみたものを書いてしまって、ああ、やっちまったなあ、と後悔していた直後だったから余計に。
うん、捨てられずに今、こうやって段ボールに詰めている本たちは、間違いなく僕の書く文章に少なからず影響を与えているのだろう。
いや、そんなことはもしかしたら取るに足らないささいなことかもしれない。
だって、彼ら彼女たちは、
作家でもなんでもない、つまり、文才などミジンコの涙ほどもない僕に、
こんなにも
書きたい!
という気持ちをずっと焚き付け続けている張本人たちなのだから。