パーフェクトヒューマンじゃなくてよかった
10月1日
新しい職場での仕事始めの日
朝、no+eで知り合った友人がスタエフ配信で、そんな僕のことをめちゃくちゃ心配してくれて、たくさんのためになるアドバイスをしてくれていた。
ちなみに、その彼の配信を教えてくれたのもまたno+eで知り合った友人たちだった。
このとき、ふたりとも、
「あなた、愛されてるわねー」
と言ってくれてたな。
そして、やっぱり想像以上にいろいろあり精神的にも肉体的にもヘトヘトになって20時過ぎになんとか家に帰りついた僕のことを妻も息子も
「大変だったねー」
と労ってくれた。
特に息子はやけに陽気に話しかけてきたり、お風呂でいつも以上にはしゃいだりして、彼なりに僕のことを励まそうとしているのがひしひしと伝わってきた。
ちなみに、こんな風に僕を心配して励ましてくれる人たちは、みんな僕よりも年下である。
しかし、人生の先輩として、年長者としてみっともない、とか、もっとしっかりしないと、とは全く思わなかった。
むしろしっかりしてなくてよかった、と思ったくらいだ。
だって、そのおかげで、今朝、彼女たちが言ってたみたいに、
こんなにもみんなから愛されている
ということを実感できたからだ。
うん、僕は
パーフェクトヒューマン
じゃなくて、
そう
パーフェクトじゃないヒューマン
だったのだ。
でも、きっと僕ら人間はそんなパーフェクトじゃないヒューマンだからこそ、
お互いを思いやる気持ちが
こんこんと湧いてくる
そんな生き物なのかもしれない。
そんな僕は、今、生まれて初めて
愛の棲家
について
真剣に考えてみたいと思い始めている。
追伸
表紙の額装された絵は、僕の大切なパーフェクトヒューマンじゃない友人が描いてくれたパーフェクトヒューマンじゃない僕の自画像である。自分自身と対峙するように昨日もじっーと見つめていた。
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