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8/31になること。日記

よく行く雑貨屋はいつも
andymoriが流れていた。

そこの雑貨屋に買い物をするためか、
andymoriを聞くためなのか、
わからなくなっていた8月31日のこと。

高校生のころまで
一年で最も嫌いな日だった8月31日。

すごく面白かったドラマの終わりが
つまらなかったり、

よく遊んでいた友人と
急に連絡を取れなくなったり、

痩せると信じて食べ続けた
リンゴダイエットで太ったり、

好きだったバンドマンが
あっさり解散してしまうような

「え、これで終わりですか?」
みたいな気持ちになる。

実は終わり方って重要で、
時間をかけた分、どんどん重要となる。

だから夏休みの終わりの日、

1、もがき続けて遊びつくす
2、あきらめて一日寝るか

その二択となる。

だから24時間テレビは、
夏の終わりを告げるようで、
いまだに少し苦手。

好きだからこそ、
終わりにしたくないのだ。


でも野田洋二郎も
「誰も命無駄にしないようにと、
君は命に終わり作ったよ」
って言ったし。

終わりがなければ、始まることなどない。

だから、「じゃあね」じゃなくて、
「またね」と言ってほしい。

「元気でね」じゃなくて
「元気でいようね」のほうがうれしいのだ。

私があの雑貨屋に行く理由も、
andymoriは終わってなんかいない。

いつまでも聞き続けられる
一生大切にされている、
そう思えるからだと思う。

記憶はもろく、思い出は少しずつ濁っていく。
心を亡くす。それを忘れるという。
だから終わりも始まりも愛したい。

いつか終わりが来て、
私が忘れても、

何度も何度でも思い出せるように、
あなたは歌にしてくれたのでしょう。

終わりが来ても、
また始めればいい。

それに今思えば8月31日が悲しいのは、
それまでの日々が楽しかった証しでしょう。

大人になったら、夏休みなどないから、
8月31日の感覚を忘れてしまうのだろうか。

そんなことはないでしょう。
私が忘れなければいいの。

8月31日。
この慣れない日の感覚に私は、
「またね」と手を振る。


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