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コンピューターおばあちゃん

 40年も前のことだが、NHKみんなの歌に、「コンピューターおばあちゃん」という歌があった。
明治生まれのかくしゃくとした、そして新しいことも何でもこなせる、英語も得意なおばあちゃん。そんなおばあちゃんの歌だ。

当時、知り合いに私の祖母がコンピューターおばあちゃんみたいだ、と言われたことがある。

確かに祖母は英語こそ話せなかったが、自由な伸びやかな思考の持ち主だった。母が心配するほどのおしゃべりでお転婆な私を面白がってくれて、将来楽しみだ、と言ってくれた唯一の人だ。何でもおもしろがったし、おちゃめで、でも芯があった。

祖母は明治38年生まれ。考え方の柔軟さは、大正14年生まれの父に勝っていた。もちろん、祖母と父は親子ではないから気質も違うのだが、それにしても柔軟さが違いすぎた。

この違いはなんだろう。ここからは、私の全くの個人的な考察なのだが、もしかしてそれは祖母の育った大正時代のもつ伸びやかさだったのではないだろうか。
祖母から聞いた女学校時代や師範学校時代の話。寮からみんなで抜け出しただの、みんなできれいな雪を集めて、あんこをかけて食べただの、どれも明るくて楽しい話だった。
数年前、これまたNHKで「花子とアン」という朝ドラがあったが、その主人公の村岡花子さんと祖母は10歳しか違わないので、まさにあの時代に生きていたのだ。日本全体が自由闊達な雰囲気で、民主主義が主流になりつつあった時代。一人一人が自分の意志を持ち始めた時代。祖母にも、幼馴染の住職さんと幼稚園を開こうという夢があったとか。しかし、時代は戦争に向かっていく。
残念なことに、父はその頃に子供時代を過ごし、実際に戦争にも行っているので堅苦しい考えが身に染みてしまったのではないだろうか。

こんな風に考えると、育った時代というのはその人の考え方に大きく影響すると思われる。

では、私はどんな子供時代を過ごしたのだろう。
 
私は昭和37年生まれだ。「となりのトロロ」の時代だった。たくさんのはじめてを経験した。

はじめて家に冷蔵庫が来た。
はじめて家にピアノが来た。
はじめて家にカラーテレビが来た。
はじめて家に電話がつながった。
はじめて家に自家用車が来た。

はじめてピアノが来た日、兄も姉もまだ学校から帰ってきていなかったので、はじめてピアノに触ったのは私だった。ピアノの発表会で弾く「ちょうちょ」を緊張して弾いたのを覚えている。部屋の中にピアノの硬質な音が響いて、得も言われぬ気持ちになった。そのピアノは50年以上たった今でも私の相棒だ。ちょうちょはさすがに弾かないが、今はいろいろな聖歌で私に癒しをくれる。

はじめて自家用車が来た時、父の運転で近所を回った。免許とりたての父は、時速30キロでゆっくり走った。後ろからきた、耕運機のおじさんに早くしろと急かされた。そんなことも楽しくて、兄弟4人、大はしゃぎだった。6人家族だったので全員乗ると定員オーバーになるので、一番末の妹は警察官が見えると、頭を引っ込めて隠れた。何事もなく通り過ぎると、ぴょこんと頭を出して、みんなで胸をなでおろした。

そんな時代だった。これからどんどん生活は豊かになっていく。未来は今よりも確実によいものだと信じられた。楽観的な物の考え方はこの時代のおかげかもしれない。

今の子どものたちはどんな時代を過ごしているのだろう。

テレビも車も冷蔵庫ももちろんある。電話に至っては、一人一台の時代だ。分からないこともすぐにスマホで教えてもらえる。便利な時代になった。
でも、なんだか未来は私が子供の頃より明るい気がしない。多様性が叫ばれて久しいが、でもなんだか窮屈だ。祖母の時代のような、自由闊達とも違う。自由と身勝手が、いつも隣り合わせだ。

まだ高校生の息子。
毎日パソコンにスマホ。これからAIを使いこなすのか、逆にAIに使われるのか。そんな危うさをもった時代で育っている。

コンピューターおばあちゃんに会わせてあげたかったなぁ。おばあちゃんならなんて息子に声をかけてくれるのかな。

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