(雑談)哀れなるものたちの話したよ、ちょっと

出典が誰だったか気になっていることがある。プルースト的な小説は飢える心配がない安全が確保された上流階級が主人公でないといけない〜みたいなことを言っていた。そんなに批判的な口調じゃなく、サラッと文の中に紛れ込んでいたかんじだった気がする。ドゥルーズだったような、違ったような気がする。(単なるブルジョワ批判というより、椅子が関係している)
座椅子やベッドに深く腰掛けて読書するのは特権階級だろって話は、どうだろう、ジジェクなんかは危険な考え方だって批判してたけど、常に一定の有効性を持つ気もする。文章を書いてるってことは少なくとも文章を書ける状況ではあるというのはトートロジーだから批判として成立するのかは微妙だけど、トートロジーだけの否定し難さはある。ニーチェが首が悪くなりそうな姿勢で長椅子に座っている画像があった。画像、写真というよりそれは画像だった。
なんか、文章とか書いてると特権階級だろお前みたいな目で見られることが誰にでもあるのだと思う。象徴的なレヴェルで言えば。俺のこれなんか文章でもなんでもなく「電話」の代わりなんだけど、それでもずるだろ、文章とか、みたいな話になることもあるはずだ。
『哀れなる者たち』でベラ(だっけ?)に憧れてる女の人がいるらしいけど(というか居る)、とかいうと叩きやすい少数の馬鹿を叩くなと言われそうだけど、俺が言いたいのはベラに憧れるのは必然というほうの話で、最初に書いたプルーストの主人公みたいな特権階級になれないと文章書く側、悩む側になれないみたいな話で、階段の下の人に同情する露悪シーンは、ベラ憧れの女の人からしてみれば憧れるべき振る舞いの一種にすぎない。ベラ憧れの女の人がどうだというより、単にある種の憧れを抱かせるようにできていると思う。
イケメンの人は惨めなラストを迎えた。俺は同情したけど、よく考えたら周りにあのイケメンの人(ヤリチンの人?)みたいな人がいないせいか、あの人まわりの話がよくわからなかった。単に教養不足なだけかもしれない。あと色々忘れてしまった。「あれをわからないなんてあなた◯◯の問題に気づいていないんですね」みたいに言われそうでこわい。すみません気づいていないです。
そういえば立ち読みで『東京同情塔』をぱらぱら読んだら「同情」の話が出てきた(当たり前)。さっき俺が言ってたみたいな「同情する権利」「同情できる特権」みたいな話が出てきた。気がする。なにぶんものすごいスピードで読んで、あまり気に入らなかったので本屋を立ち去ってしまったのでよく覚えていない。俺ってそんなんばっかりだな。前も書いたけど俺フィクションを読解する能力が欠如してるから、そこらへんはすんません。
まあそんなかんじ。最初言ったやつ、出典わかる人いたら教えてください。あと、誰が電話しましょう。こんなnote書いても読んでもらえないし。
じゃ、ありがと〜。ばいばーい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?