『結婚』において『結婚観』をも覆す『直感』という判断
結婚したら…
子供は絶対に欲しい
週末は家族で毎週お出かけするのが理想だ
家族といるより、家で1人のんびり過ごしたい
専業主婦でいる方が幸せだ
安心&充実した結婚生活が送れるように、安定した職業の人をパートナーに選んだ方が良い
そういった『条件』や『結婚観』を意識することは、結婚を決める上でとても重要なことである
自分のこれからの人生を、赤の他人と過ごす為に様々な物事を考慮しながら、進めていく必要がある
しかし、このような『条件』や『人生観』をも覆す、『直感』(運命ともいえる)という判断が、
結婚への進み方として、今後増加していく気がしている
これは相手と自分の『価値観』が《正反対・不一致》のケース、つまり『嫌い・苦手なタイプ』に該当する場合でも、
相手のことが気になってしまったり、長く一緒にいたいと思える説明のできない『感覚』のことだ
例えば、部屋の掃除は一日たりともサボりたくない、綺麗な部屋でいたいという人がいたとする
たまたま出逢ったパートナーが掃除嫌いで、散らかった部屋でも平気でいる場合
普段の考えならば必ずそこで拒絶してしまう、結婚するなど到底考えられないという『価値観の相違』に出くわした時に
それでも何故か、相手の側にいたいと思う、『波長』『フィーリング』が合う、『結婚』という縛りの元でも一緒にいたくなるといったような、目に見えない何かが、相手との間で働いていることがある
これは『直感』や『感覚』といった、人の心でしか感じ取れない(その人にしかわからない)、説明の出来ない違和感と衝動である
私の両親もおそらくそのような関係性だったのだが、母親が掃除嫌いで父親は綺麗好き、夫婦共働き家庭。
母親が大黒柱で、父親がそれをサポートしながら働くといった、その頃では珍しい家族の在り方だった(専業主婦家庭の多かった時代)
母親はいつも仕事で疲れていて、それでも掃除以外の家事・育児は率先して行なっていた
母親のマッサージをしたり、洗濯や掃除全般、買い物、車にガソリンを入れる&運転など
その他のサポートをしていたのが父親だった
たまに、自分のご飯も作っていた(1人暮らし経験があった為)
普通であれば、夫は妻よりも稼いでいたい、家の中で一番の家長でいたい(主導権を握りたい)という信念の元、結婚する人が多い時代であったが
我が家の場合には、その価値観が真逆だったのだ
お互いに『自立』していた大人同士が一つ屋根の下で、違う価値観の元、過ごしていたのだ
結婚したら女性は『専業主婦』になるものと、世間一般では考えられていた中、母親が仕事の疲れと育児や家事などでイライラが中々取れず、夫婦喧嘩の光景は日常茶飯事だった(ドアを壊したり、お皿が飛び交う、子供を叩くことが普通であった)
毎度、『離婚寸前』までいきそうになりながらも、何とか持ちこたえて何年も夫婦として過ごしていた
(弟と一緒に不思議がっていた)
お互いに自立した関係性だからこそ、対等に真正面から相手と向き合い、本音を主張し合う。そういった態度がその都度ストレスを発散していたのだと、今なら分かる
そして、お互いの苦手な分野を『サポート』し合っていた
夫婦の性格も真逆であった
父親はひょうきんで明るく、盛り上げ役のお祭り男。寂しがり屋でお世話嫌い。値下がりした安いものが好き。不安定で怠惰な生活を好む(芸能界や音楽活動を30代頃まで夢見ていた)
母親は真面目で努力家。勝ち気な性格。正社員で安定という仕事を好む。仕事は生きがいでもある。高価でも衣食住、素材や原料などにこだわる。掃除嫌いだが、お世話好きで子供やペットが大好き。料理は食べるのも作るのも好き。
こうして性格を並べてみても、明らかに『価値観・人生観』が違うのが見てとれる
仕事感覚・金銭感覚・子育て感覚・家事感覚
全てにおいて、『正反対』であった
それでもお互いに喧嘩をしながらでも、価値観の擦り合わせをするように、最後には相手を認め合い、一緒に居続けようと努力しているのだ
夫婦とも家事・育児・仕事において、自分が苦手なことは一切やろうとしない、けれども得意なことには全力で力を注ぐというスタンスで、何年も継続していた
このように相手が正反対の価値観である場合、明らかに結婚生活が破綻してもおかしくはない状況である
それなのに上手くいっている・継続しているという状況は、目に見えない相手への『愛情』や『縁』が関係しているといえる
両親は『晩婚』であったのだが、おそらく『運命的』な出逢いを果たしている
それは学生時代からの幼馴染ではあったが、当人同士はそこまで仲がよかった訳ではなく、お互いに働ける年齢になった際に、別々の場所で、一人暮らしなどをして自活して過ごしていた
おそらくその時はとても充実していたと思われる
母親は念願の正社員生活を堪能し、父親も夢を追っていた時期である
そんな充実していた2人が故郷の地元で、再び40代未婚の際に出逢ったのだ(再会)
詳しくその時の状況を聞いた事はないが(母親も亡くなってしまった為確認は出来ていない)、おそらく『直感』でお互いに結婚を決めたのだろう
母親は父親のような人は、全くタイプではないといつも言っていた
頭が悪いし、すぐに怒るし暴力も振るう(自分もであるが)、面倒見も悪い、何より男のくせに色々細かい(綺麗好きでこだわるところ)らしい☜女々しい
『じゃあ何で結婚したの?』と聞いたことがある気がするが、2人とも40代で独り身で、地元の幼馴染というそんな安易な理由だったと母が言っていた記憶がある
今考えると、それこそが『感覚』や『フィーリング』を重視していたのかもしれない
決定的な理由や条件(外見や年収)でなく、『結婚』へと進めた理由ーーー
そしてその『直感』だけで20年以上も夫婦生活を営むことが出来ているのだ
我慢を強いられている生活という訳でもなく、お互いに得意なことを活かして、日々喧嘩しながらも助け合っている
仲の良い夫婦が必ずしもお互いに『満足』しているとは限らない
夫(妻)の見えない場所で不平不満を漏らしたり、ストレス発散をしている実態は後を絶たない
夫婦で向き合う時間が明らかに少ないのだ
私の両親が正解であるとは、全く思っていないが(子供ながらにインナーチャイルドは傷ついた為)
一つの夫婦の形として、『価値観・人生観』の違いが必ずしも結婚の『障害』となるとは限らないということ
なぜ結婚したのかわからない、いつのまにか決めて結婚していたという場合であっても
それはお互いに『運命』として偶然に引き寄せあっていた可能性はある
何となく居心地が良く、喧嘩はするのだけど、いつもなぜか収まり、いつのまにか仲良く過ごしている、お互いに自然と助け合っているといったような
説明のできない『何か』が働いていることが、この世の中には存在するのだ
体験しないことには、誰もが分からない感覚である
そういった夫婦を数組見てきたからこそ、『直感』というものの素晴らしさに気づいている
結婚相手を無理矢理見つけようとするよりも、流れに身を任せて、何かに夢中になっている道のりの最中で、きっと『運命の相手』へと導かれるのかもしれない
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