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24.5.14 北山田んぼ 荒起こし

今日は北山田んぼの荒起こし。保育園の近くに市の田んぼがあって、そこで地域の人と田んぼをやっている。荒起こしがまだピンときてないけど、かほりさんに長い白靴下を借りて、そらさんの自転車を借りて北山田んぼへ。

田んぼの木陰にはもう人が集まっていた。挨拶をして、もう始まっているストレッチに加わる。道具を取りにみんなで歩いていき、鍬(くわ)ととんぼを手に取る。

主催のNPOの大谷さんに聞くと、荒起こしは固まっている土を踏んで細かくしていく作業らしい。なんとなくわかったので、あとはやってみるべし。みんなで水の張った田んぼの土の中へ入っていき、それぞれの位置に散らばって作業が始まった。


隣の人をみながら真似して、少しコツややり方を聞いてみる。
鍬を土におろして手前にひく。そうすると、固まったブロックの土がゴロッとひっくり返ってくる。それを鍬で少し砕いてから、ぼくは長い白ソックスを履いた足で、他の人は地下足袋とかで、踏んでドロドロのやわらかい泥にしていく。この繰り返し。
水とブロックみたいに固まってる土を、混ぜて仲良しのドロドロの泥にして、稲の寝床を作るようなものだ。

やってみるとこれがとっても楽しい。少しずつ少しずつ確実に進んでいくし、足で土を踏みつけたときの泥のネチョネチョする感触が毎回違って飽きない。気持ちいい。単純作業だけど身体のバランス感覚とか、鍬をどこに入れるかとかコツもわかってきて、自然と無心になってく感じもある。鍬を入れて土をひっくり返すと、オケラやミミズが出てくるのも楽しい。


地域のおじちゃんたちも気さくに話しかけてくれる。今鳴いているのはトウキョウダルマガエルだそう。お腹から響く鳴き声がすごく愛らしい。三輪車(保育園)のみちおさんがいうには、かっぱの会というこの地域の環境保全の活動をされてる方たちで、この近辺のトウキョウダルマガエルの生息調査を行ったそう。

「櫻井くん、カエルの数どうやって数えるかわかる?」
「え、1匹ずつ捕まえるとかですか?」
「いやおれもそう思ったんだけど、違うんだって。鳴き声で数えるらしい。一人ひとりがポイントに立って、鳴き声をきいて数えるんだって。子供とか耳がよくて大活躍なんだって。ここには80匹いたらしいよ」

そんな会話をしました。トウキョウダルマガエルはこういう自然の豊かな田んぼの場所でないと生息できないそう。大切なカエルちゃんです。



そんなこんなで作業をしていると、三輪車の年中長の子どもたちがやってきました。田んぼの生き物たちに興味津々のよう。健太さんが子どもたちにオケラをみせて、土を掘るのが上手なんだと話しています。ぼくもみつけたオケラを持って(実はこのときにヤゴではなくオケラだと教えてもらいました)、そこにいた子どもたちにみせてから、みちさんに渡しました。
健太さんがトウキョウダルマガエルをどこからか捕まえてきて、子どもたちが触っていました。ぼくも初めてみて触って、かわいかった。


30分ほどしたら休憩して、また泥の中に入る。休憩するごとに少しずつ終わってる場所が増えていって、午前でだいぶ進んだ感じ。

お昼ご飯をピクニックのように木陰で食べるのも楽しい。風が通って気持ちがいい。少し仰向けになって休憩して。

午後はもう一つの田んぼのほうを重点的に。みんなで少しずつやっていきます。


ぼくの母の実家が山形の庄内で、お米の産地です。ひいおじいちゃんが農家でお米の先生をしていて、たくさん賞状をもらったり、炊飯器のCMに出たり、作ったお米が日本酒(白露垂珠)になったり、それから『稲と共に』という本を書いたりしています。

その本のなかに、「田んぼに入ったとき、自分が稲であり、稲も自分だと感じるような一体になる感覚」、そんなふうになることを目指していると書いていました。自分にはじじちゃんの血が入っていて、DNAが血が騒いでいる、そんな冗談も少しいいながら、でも少しほんとに思っていたり。そんなことを頭の片隅に、荒起こしをしていきます。


あんまり力んで踏むのはよくなくて、身体の重さと自然なリズムで、無理なく身体に任せて動いていく。やりながら少しずつ、そんな昔ながらの身体の使い方をちょっぴり感じれたような気がしました。

聞いたところ、この広さでお米は120キロほど取れるそう。5キロの袋24個分(ちょっと少なく感じた)。今はこの作業もすべて機械でやっているけれど、昔ながらのこのやり方を知っててやるのと機械のやり方しか知らないのは全然違うなと。機械のやり方しか知らないのはなんにもならないような気がするなと、そんなことを感じました。とても大事な体験をしているように思います。なにより身体が喜んでいる。この身体の使い方を身体が楽しんでいる感じが伝わってきます、そうすると心も楽しい、いきいきしてくる。


もうそろそろ終わりに近づいてきたころ、三輪車のそらさんはとんぼで土を平らにならす作業にうつっていました。ぼくはかわらず鍬で土を崩していき、ネチョネチョ踏んでいく。

ふとみると、オケラがあおむけで水に浮いていました。生きてるオケラはみんな「たいへんだー」といって泳いでるのに、おかしいな。

「あれ、もしかしてしんでるのかな」

よくみると、ちょっぴりぴくぴく動いています。ただあおむけでのんびりしてるオケラでした。ぼくはオケラが気持ちよさそうで、なんか楽しくてずっとみていたら、そらさんが

「櫻井くんいいえがおしてるねー」と。

そらさんは
「とんぼたのしー」
といって土をならしていました。そのかすかな瞬間、そらさんの顔に10歳くらいの子どものような顔が一瞬浮かんでみえたような気がしました。子どもの頃のそらさんの顔をみたような。


そう、たぶんそうだ。ぼくがオケラをみて楽しんでいたから、たぶんその顔をみれた、ぼくもたぶん子どもの頃の顔をしていたから。大人が子どものこころをとりもどすとき、自然のなかでなにかがほどけてワクワクしたこころを、ひかるめをとりもどすとき。


ぼくはこういうたいけんがしたくてここに入ったんだろう。こういう1日を過ごしたくてここに入ったんだろうとおもった。こんなにからだとこころがよろこぶようなことをして、それでみんなにありがとうといわれたらしあわせじゃないか。


なかなか大人としての役割を果たさないといけないときもあるけど、でもきょうはそんな日だった。気持ちのいい1日でした。



その日は1日泥のなかにいたから、身体は疲れて泥のように眠った、そう書きたかったけどへんに疲れすぎて眠れず、この文章を書いた。明日も早いのでもう眠ろうと思います。おわり。

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