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適切な距離感と、距離感バグ。

もう少し、写真のセンスがよくなりたいな、と思い、ある本を読み始めた。
「うまくてダメな写真と ヘタだけどいい写真」というもの。
技術的なことはよくわからないけれど、
読み進めていくうち、あ、わかる……となった。
それは、「適切な距離感」という章。
近すぎてもダメ、遠すぎてもダメ、
撮る側と、撮られる側(被写体)の間には
適切な距離感が必要だという話だ。

読みながら、「適切な距離感」問題は、写真を撮るときに限らないなと思った。
日常でも、距離感の取り方ってあると思う。

俗にいうパーソナルスペースでいえば、
家族や恋人などごく親しい人に許される距離は、
Intimate Distance(密接距離)と呼ばれ、0~45cm内。
耳打ちでコソコソ話をするような激近い関係だ。

親しい友人、知人などに許される距離は、
Personal Distance(個体距離)と呼ばれ、45~120cm。
両手を伸ばせば届く距離。
広がってラジオ体操をしたとき、手と手がぶつかって、「あ」となった。
ぶつかると、ちょっとごめん!となっちゃう関係かも。

そして、職場の同僚や取引相手などに適応され、コロナ禍でよく使われたのが、Social Distance社会距離)
120~360cm程度で、相手の動作や表情を把握できる距離を指す。

って、こんな難しい話をしたいわけではなく。
親しい友人でも、肩と肩が触れ合うほど密接して隣に座ることはそうないし、顔と顔を突き合わせるような距離は、ちょっと怖い。
相手との関係によって、ほどよい距離感ってあるよねと思う。

ただし!
常に距離が一定だと、何も変わらないのも事実。
ドキッとするのは、この距離感に変化が生じたときだ。

それは、私が初めて、韓国で現地の人と仕事をしたときのことだ。
コーディネイターが「ホテルまで送りましょう」といって一緒に外に出たのだけれど、歩きながら彼女はすっと腕を組んできた。
これ、完全に、Intimate Distance(密接距離)!
へ? である。
出会って数時間、いきなりの距離感。
驚かないほうがおかしいというもの。

その後、韓国人にはこれが日常、ごく普通のことと知るわけだが、このときは正直「距離感狂ってる……」と思った。

が、一方で、「この距離感バグ、嫌いじゃない」とも思った。
驚いたけれど、心許してくれているんだ、と嬉しくもなった。
もちろん、これがよく知らない異性だったなら警戒しただろうが、少なくとも彼女には嫌な感情は一ミリも抱かなかった。
「懐に入る」とはこういうことか。
事実、彼女とは、それ以来、20年を超えて付き合っているもの。

そういえば、30秒のハグで、一日の約1/3のストレスを解消できるそうだ。
30秒とはいわずとも、7秒のハグで、ハッピーホルモンと呼ばれる「オキシトシン」が分泌されるという。

ハグまで行くには、なかなかハードルが高いかもしれないけれど。
初めて会った人と握手したり、久々に会った友人と抱き合ったり、
ちょっと触れ合いは、悪くないなと思う。

身体的距離感だけでない。
まだなんとなく距離を感じていた相手が、苗字呼びから名前呼びに変わったとき、あるいは、さん呼びから、ちゃん呼びや呼び捨てに変わったとき、敬語からタメ口に変わったとき、心の奥底で、近づいた!と感じる。
言葉の距離感、呼び方の距離感って、あるよなぁ。

人間関係に限らず、ものを書くときも思う。
書く対象に対する適切な距離感がある。
たとえば、映画やドラマについて書くとき、
好きすぎると、うまく書けない。距離感がバグるのだ。
だから、少し距離を置いて、考えてみる。
逆に、対象に近づこうと努力しないと、
それはそれで、ぎくしゃくしたテキストになる。

距離感、大事だよなぁ。
相手が心地よく感じられる程度の、
嬉しく感じられる程度の距離感で、
近づけたらいいよねぇ。と思う。


*関係ないけれど、韓国ドラマ『梨泰院クラス』で運気を読み解くコラムを書きました。
運気には12サイクルあり、主人公パク・セロイの人生をもとに、冬の運気、春の運気、夏の運気、秋の運気と、解説していく企画です!
リンク貼っておきます〜。第4回まであります!


「うまくてダメな写真と ヘタだけどいい写真」













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