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お風呂で歌うことと「スポーツと気晴らし」

我が家の近所には、大声で歌う輩がいる。
部屋の中で、誰にも聞こえていないつもりなのか、
ものすごいボリュームで歌っている。
『ドラえもん』のジャイアンとまではいかないけれど、
決して上手くはない歌を、気持ちよさそうに歌っていて、
あぁ始まったな、と思いながら、聞き流している。

お風呂で歌う人もよくいる。
リラックスして、つい歌いたくなる、という気持ちはわからないわけではない。裸になって、解放感もあるのかもしれない。
が、まだ父親とお風呂に入っていた幼い頃、父が通った学校の校歌をすべて歌い終わるまで風呂からあがってはいけない、という地獄の掟があった自分は、トラウマなのか、風呂場で歌いたくなることはない。
自分が通う学校の校歌ならいざしらず、なぜ父親が通った学校、それも小学校から中学、高校までの校歌を、歌わなくてはないけないのか、意味がわからんかった。
私も妹も弟も、この地獄を味わったが、妹と弟が私と同様、風呂場で歌を歌わなくなったかどうかは、知らない。

お風呂で歌う気持ちにはならないけれど、
私の場合、気分が良くなってくると、お風呂で1人インタビューを始める。
自分に質問して、自分で答えるというやつ。
勝利者インタビューみたいなことをやることもある。
あるときは、1人対談をやることもある。
1人2役で、なにかをテーマに、風呂で延々と対談している。
他人が聞いたら、おかしな人と思われるかもしれないけれど、
かなり気分良く、やっている。
風呂で歌うのと、きっとそう変わらない。

お酒が入ったり、いいことがあったりして、
気分が良くなったとき、歌い出したり、喋り出したりするのは、
意外と楽しいものだ。
見られたり、聞かれたりすると恥ずかしいけれど
心が解放された感じで、悪くないものだ。

まったく関係ない話なのだけれど。
先日友人と話していて、
「eスポーツは、スポーツじゃないのに、なぜeスポーツというのか?」という論議になった。
そもそも「スポーツ」って何?問題が浮上し、調べた調べた。
調べた結果、スポーツはフランス語の「desport」という言葉から来ていて、「気晴らし」や「楽しみ」という意味だと判明した。

なるほど、「気晴らし」か!
そう言われたら、納得だ。
スポーツ=運動、競技、とばかり思っていたのだけれど
そもそもは「気晴らし」だったわけで、
それなら、eスポーツも合点がいく、と納得した次第だ。

ちなみに、さらに語源を遡ると、ラテン語の「deportare」=「ものを運ぶ」という意味になるらしい。

エリック・サティが作曲した「スポーツと気晴らし」というピアノ小曲集がある。
サティは19世紀末〜20世紀初頭のパリで活躍した作曲家で、「音楽界の異端児」と呼ばれた人だ。
彼が「スポーツと気晴らし」を作曲することになった経緯もユニークなので、興味のある人は調べていただくとして。
21曲からなるピアノ小曲集「スポーツと気晴らし」の、各タイトルが面白いのだ。

序曲:「食欲をそそらないコラール」
第1曲:「ブランコ」
第2曲:「狩り」
第3曲:「イタリア喜劇」
第4曲:「花嫁の目覚め」
〜〜〜
と延々、第20曲まで続く。
面白いので、書き出すと、
「目隠し鬼」「魚釣り」「ヨット遊び」「海水浴」「カーニバル」「ゴルフ」「蛸」「競馬」「陣取り遊び」「ピクニック」「ウォーター・シュート」「タンゴ」「そり」「いちゃつき」「花火」「テニス」
という具合だ。

これらがつまり、「スポーツと気晴らし」らしい。
「気晴らし」とは、他の物事に心を向けて、モヤモヤした気持ちを晴らすこと。
サティがこれらの曲を作りながら、これでスッキリするぞ!憂鬱なんて吹きとばせ!と思っていたかどうかはわからないけれど、少なくともワクワクするような、楽しい気分で作っていたと思いたい。

で、なにを言いたかったのかというと、
ここのところの(それこそ年明け早々、あるいは昨年からの)
なんとなくモヤモヤした暗いニュースを目にするたび、
問題には向き合いつつ、楽しい気持ちは忘れたくないなと思っていて、
そのためには何が必要かなと考えていたのだけれど。

お風呂で歌うとか、1人対談をするとか、
サティの「スポーツと気晴らし」であげているような
ブランコとか、いちゃつきとか、
自分なりの、気分が晴れるもの、そういったものがあるといいなと思った。
ということです。

なので、少し気になるけれど、大いに歌ってくれと思うし、
そういうものが、皆さんにありますように。

エリック・サティ「スポーツと気晴らし」


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