省エネモード

なんということでしょう
またしても、無駄なエネルギーをつかってしまいました。
といっても、感情エネルギーなのですが。

今回は、というか、いつもなのかもしれませんが、
私の感情エネルギーが消費されるのは、腑に落ちない時です。
腑に落ちないと言っても、謎だらけということでもないです。

口に入れているのに、食べたくない。
耳に入っても、理解する気になれない。
服を着ても、気持ちが悪い。
みたいな、謎の抗いたくなる何か。その何かが表現できないので辛いです。

理解できない、でもないし、
解りたくないでも、ない。
納得できない、でもないし。

理り(ことわり)がない、とか、そんな感じな気がします。
検索すると「論理的な筋道。理屈。ものの道理」とある。
確かに、それが腑に落とすために足りていないと感じます。

口に出すように書くと
「それはわかったけど、どうして?」ってこと。
「わかった」のに「どうして」って、なんぞや?と自分で突っ込みたくなる。「言っていることがわかる」と「自分が行動する」のはどうちがうのかと、噛み砕いた上で考えてみた。
「言っていること」を「誰かがやる」のなら、気にはならないけど、やはり、「自分がやる」というところがひっかかるきがするな。
「私がやる理由はなんですか?」ってことですな。

「私がやる理由はなんですか?」って感じるのは、すなわち「私はやりたくない」とか「私がやるのはいいですが、どうしてですか」ということってことで、「どうして」ってところが、引っかかっているのでしょうね。

「どうして」っていう理りがわからないということなのでしょうね。
こういう時って、だいたい「あたりまえ」「普通」という、謎の言葉がきっかけだったりする気がします。

あとがき:「理り」って、時に面倒な事で、そんなときは「割り切る」のがてっとり早いんでしょうね。「割り切る」ことが、省エネモードになるのかも。