過去と私の働くについて

私が看護師を目指したのは
人付き合いが苦手でコミュニケーションがよく分からん自分を変えたかった。病院で働けば色んな人と関わることになるから鍛えられて人並みになれるんじゃないかってのがあった。んで、専門時代に大きい病院で3年は働いた方が良いってのをクラスの誰がが言ってたのを聞いてクリニックでなく、総合的な病院で働く事にした。
ってのまで今まで覚えてたんだけど。

さっきまで掃除してて何となく過去の事を思い出してたら
私が病院で看護師しようと思ったのって、看護師は人の命に関わる仕事だから
どんなに現実逃避したり、消極的な私でも本気で働くに違いないって思ったんやわ。ってのを思い出した。
当時から私が働きたいとか仕事をするとは思えない。って危惧して大変な方を選んでいったんやなっ私て。で、何か繋がった。

20代前後の私よ。30代の私は確かに働きたいと思えてなくて引きこもりニートだよ。でもまさか精神疾患になるとはね。けど、お陰で自分が何でコミュニケーションがよく分からないのかが分かったぞ。発達障害のグレーゾーンだからだぞ。だから、人並みになるのに凄い努力を続ける必要があるし、
元々人並みの人は社会では更に努力するからさ、到底同じ能力で居続けるには無理が生じるのだよ。どうするよ、20代前後の私よ。それでもやっぱり人並みになる努力をするかい?自分を変えたいとか思うかい??

障害者として支援を受けることに抵抗がある。まず障害者って言葉と自分が合わなさすぎる。通院するまでは内気だけど健康で普通の人として過ごしてきたのに、社会人になりきれないと分かったら障害者だなんて。私はずっと何も変わってないのにね。今だって働くのやめて引きこもって社会性はどんどん無くなってきてるけど、心身は健康な方になってるし、他人には迷惑かけてない。親や親族には色んな意味の負担かけて申し訳ないけど。ある意味、学生時代と変わらない環境で十分人らしく生活できる。特別何かしてもらう必要はないくらい状態は良い。本当は年齢的に自立してないから問題なんだろうけどさ。

私が一般社会で働くにあたり希望を持つとするならば優しい人、話が通じる上司がいる職場に就職できるラッキーにかけるくらいか。不安にならず、病まずに働き続けるかもしれん。私は自分を変えることがどうも出来ないらしいし、私の努力では人間関係の嫌なことを解決する力が無いことはわかってるからね。

あと、働くにあたって看護師時代は自分を変えるという
人生をかけたクレイジーな大プロジェクトがあったり、専門でお世話になった人々への感謝や償いの気持ちが支えになって腐らず前向いて頑張ってこれたからね。
次働く時、何となくじゃ入るのも続けるのも難しいからさ。私の中で何かプロジェクトを立ち上げたいのよね。当時は面白そうな大きな目標があるから命賭けて働けてた。まぁ、もう無理は出来ないけど。
うーん、2か所目に転職する時も看護としてこういう働きをしたいってのがガチであって履歴書にも書けてたからなぁ。
次ー職場でどういう働きをしたいって思い、作った方がブレない気はする。
とりま、出来そうなことは情報収集とかそれについて関係者の人と話すとかなのよね。眠くなってきた。。。

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