自己決定と自己責任という名の罠 その1

blogから引っ張ってきたので当時のまま載せます。私が30代の時の話です。

ちょっと前に母から一本の電話を貰いました。

それまであまり思い出したくないネタだったんですが、母からすごく謝られたあとに買って送るわって。

もう30代の大の大人。要りませんと返事しました。


それが

リカちゃん人形とジェニーちゃん。

小さい時にクリスマス、誕生日は祝わないからその時は買えないけど、父親のボーナスが入る度に父親と母親からプレゼントということで、リカちゃん人形を買って貰いました。

ボーナス時期になると父が早く帰宅しておもちゃ屋に行って外食する。誕生日やクリスマスじゃないけど私の楽しみでした。

そしてその2体の人形はすごく大切にしていて、いつも何処に行くときも実は大会の泊まる部屋に持ってました。
だからすごく可愛がってたし、いつもあそんでいたんです。


それから月日が流れて小学四年生までは、そんなに熱心な活動はせず、頭痛い~とかいっては集会はサボっていました。必要で長老が引っ越して来たときから事態は一変しました。


集会には絶対参加が言われるようになりました。

何があっても優先。家族の事情なんてお構い無し、集会を休んだ日には霊性が低いとレッテルが貼られるようになりました。

まず目をつけられたのは私の家族でした。喘息持ちの私と弟。具合が悪くても来るように。来たらエホバが保護されて落ち着きますみたいな事を言われました。
頭痛いという私は仮病の可能性ありみたいなぁ事まで言われるように。その時から無理矢理でも来るようにと言われました。
行ったら帰りは確実にムチ宣言ありでしたので行きたくないわけです。

でも長老が熱意過ぎてマインドコントロールをそのまま受けちゃった私は四年から六年にかけて真面目なjwに成長しました。


その時に母の教育方針はとにかく自己判断の自己決定、自己意思全て私の判断に任せますだった。


聖書の一方的な原則しかないので決定判断はエホバかサタンか。世かjwかの二者択一しかないのです。
世がすべて悪と教えられてきた小学四年生のガキの決定すべき答えはひとつしかありません。

そして親は祈って決定しなさい。と常に言っていた。

ただ答えを出すと、母親の意図にそわない場合は本当に祈ったの?その判断は正しいの?エホバはなんって言ってるかもう一度家族研究をします!という訳です。

そして、母の納得する答えになると

つぎはこれはあなたが自分で決めたんだからね。後から絶対グダグダ言わないこと。自己責任だから分かったと。

この消化出来ない状態での自己決定と自己責任を痛感する出来事が…。その2に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?