1人で証言をする

必要から来た長老からすごく励まされたり、熱心なお母さんの子なんだからあなたも頑張りなさいと言われるようになった…伝道者も目指すようになり。親が代わりにしてくれた証言をいよいよ1人でしなくてはいけなくなった。

廃盤になった冊子になった「学校とエホバの証人」

これは私の学生時代にかなり影響がありました。

祝日が事細かに書かれてあってだからそれが基準でクリスマス会、七夕集会、選挙で体育館に集まるとき教室に残らないと行けなかった。

その時の先生への証言は本当にしんどかった。

証言するからにはあんたの行動は全部エホバへの証言にもなるんだからいい子じゃないといけないとか言われたり、
ぶっちゃけ…私はおてんばだったからいい子には程遠かった。頑張っていい子でいたいけど出来なかったんです。
やらなきゃいけない心得だけはあった。

初めて1人で証言したのは
運動会での国旗掲揚。

国旗掲揚で
「回れ右、国旗掲揚」
「国旗掲揚、回れ右」
で出来るか出来ないか違うって書いてたあった。

それは卒業、入学式も同じで言い方の違いで立つことも回れないことも出来ない。

これは私には、とっては苦痛だった。身長が高い方だったからさらに目立つ。

だからそれだけは出来ないしたくない。無理って泣いた。
でも親から信仰が足りないとか…沢山言われた。

火の牢に投げ込まれちゃった三人の話とか
挙げ句の果てに…1970年代の某ドイツの年鑑とかを持ち出されて自分の意思に任せるとか言われて…ドイツの年鑑はあれを出されたら…正直に言うと終わりですよ(>_<)
だからやらざるを得ないんです。小学生の時はそれなりに身長もあったから後ろなんです…。だから運動会の時にみんなから見られるんですよ。お母さんは学校に行かなくていいじゃん。私はずっと通わないといけないんだよ。
だからお願い今回は見逃してとお願いもしたけど、分かってるでしょ?伝道者になりたいんでしょ?って。

4年の時は1000人近くいる全校生徒の前で貫きましたが、5年からは運動会の開会式も出なかった。
それが一番丸く収まる。
私がこれをやったから同じ会衆の姉妹からもなんでそういう事をするの?迷惑なんですよね。うちの子もせざるを得ないじゃないってクレームがくるんですよ。

信仰を貫き通すのは仲間のクリスチャンに迷惑?なんか意味不明でしたが
親から先生に証言して上手くいっても会衆の人にはその話しをしたらだめって口止めされていました。

でも信仰も人それぞれだし。
聖書も捉え方によって人の解釈も違う訳だから。って今なら分かるんだけどね(/_\;)

だから…自分がjwじゃなかったら学生時代はもう少し自由に過ごせてただろうなぁ。
jwだけのせいには出来ないけど。
上手く立ち回ればよかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?