開拓者学校

20数年前の今頃、私は開拓者学校に夢と希望に満ち溢れて通っていた。


開拓者学校は正直に言うと楽しかった。
差し入れも美味しかったし、交わりも楽しかった。大好きな兄弟と通えて一緒の目標だってあった。そ兄弟の席の後ろや近くに座ってみたり…話したり、一緒に写真を撮ったり多分私の性格上しっかりバレてたね。


そして巡回監督から次の年の3月には必要に出る話もその時に出た。
姉妹なら大丈夫だよ。色々準備して必要に出たらいいよ。と話しもらっていた。
その時の私は早く家から出たい。何が何でも家から出たい。その為には必要に出るしかないと思っていた。だからその話が出た時にすごく嬉しかった。


そして教訓者の巡回監督がすごく素敵な人だった。あの人だけは離れてからも尊敬している。

開拓者学校中の私は無敵だった。
教科書の内容がほんとに分かったし、理解もできた。聖霊が注がれてるってこういう事?って思うぐらい注解もした。
ただ人見知りが発動してなかなか話せなかったがそれもすぐに解決した。2週間永遠に続けばいいのにって思ったぐらい楽しんでいた。みんなと食べた食事のあとの経験話に私と同じ世代の人に本当にワクワクしていた。みんな頑張ってるんだ!私も頑張らなくては。この時は本当に思っていた。
帰宅しては予習と復習もしていた。個人研究を嫌っていた私がJW人生最初で最後の個人研究だったと思う。夜遅くまで聖書を開いて注解の準備をしていた。それも苦にならないぐらいしていた。

さてさて、家庭の方では。
開拓者学校がいよいよ始まると言う時に母がいきなり旅行に行くと言い出した。
なぜ?今ごろ?って聞いても母はなんとなくって言っていた。私は一緒に開拓者学校から帰宅したら母に話を聞いてもらたかったし、色々共有したかったから行くのやめたら?って言っても行くと譲らず出かけて行った。

母は楽しむ私の話を聞きたくない、私に対してライバル心をむき出しにし…嫉妬していたと後から分かった。
電話はかかるけど、旅行の楽しい話しと短く頑張ってだけ。邪魔したらいけないから出かけた感謝しなさいって。
最初は寂しかったけど、それを忘れるぐらい楽しかったから良しとする


ちなみに教科書は母に奪われて個人研究の対象物になった。私の手書きにこれは違うこういうことじゃないと言っては上書きされたから、私はその教科書を手放した。

後ろにはみんなからの寄せ書きもあってたまに見返してた。
それも母が辞める時に捨てられた。あんたはもう関係ないでしょ?だから捨てたと。捨てた後に言われた。

家を出てから見ることが無かったその寄せ書きを最後に見たかった。それが心残り。


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