家族の話

何個か記事をあげた後に、考えたら家族について書いてなかったので私の家族の話でも。

自己紹介も兼ねます。

父は地方公務員、母は専業主婦の最初の子供として私は誕生した。母は私が生まれときに。神様や人、全てに恵まれた子になりますようにという意味を込めて名前をつけてくれたけど、私はその名前に関してはすごく感謝している。

とにかく母は神様を信じていて、JWと出会ったのは神様の導きだったとよく話してくれた。

父は家族をとにかく大切にする人だったけど、お酒を飲むと人が変わる人でもありました。
母がJWをはじめた時は辞めさせるのに頑張っていて、王国会館に乗り込むのは日常茶飯事。帰宅したら出版物が焼却場の中に入っていて灰になってたり、家の中が破られた出版物の絨毯になってたことも多々あって、集会や大会から帰宅するとまずはお家の片付けからスタートしていました。その度に母が父はサタンに操られてるの。サタンの手下なのって言われていた。

だからいつの間にか父はJWの敵と思うのと、大好きな父がサタンの手下になった可哀想な人って考えるようになった。
ハルマゲドンで滅ぼされる父の事を考えて泣いたこと数しれず。

私が熱心になっていき、学校休んで大会に行くようになると父の反対も激化。
当時の長老から反対されても王国を第一にしなさいと…圧力をかけてくる為休まざるを得ない。しかし父は絶対許さない。
大会の前日は出版物の避難で大忙し。

鍵を開けて玄関に紙切れが落ちてたら…終了のお知らせだったなぁ。反対者の1面ばかり書いちゃいましたが。

最初にも書きましたが、いい1面は家族を大切にする人でした。
休みの度に家族旅行を計画し、我が家はサザエさんか?って言いたくなるぐらい
朝食と夕食は絶対家族で食べると言ってたぐらい家族を優先にしていたのに。私たちはそんな父を置い集会に行っていたわけです。
私が結婚してから相手に必ずご飯は一緒に食べよう。1人は寂しいんだよって言われた時に父はすごく寂しい気持ちをしてたのだと実感しました。

そんな父にも愛人が出来き、私がJWを辞めた年に母と離婚。その前後の話はこれから語っていきます。

今は母も弟もJWを辞めています。


父が脳梗塞で入院した時に
お見舞いに行って久しぶりに色々話した最後に 母と弟がJWを辞めたことを伝えたら

なんだ…その結末は
辞めるなら俺は離婚しなかった…。辞めてくれたのか…。良かった。
再婚をせずに待てば良かった。

って言った父に

そんな事ないよ。離婚は辛かったけど、だから父なりの家族を今作ってるでしょ。それでいいと思う。お父さん色々ごめんね。本当に大変だったでしょ。ありがとう。

って。よく言えたって思ったけど。

それも10年前の話か。早いなぁ。



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