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SDGsは疑問の余地のない善か

Sustainable Development Goals。

人々の目を、世界を苦しめる根本原因から逸らさせるランドマークみたいなものだ。
世界を苦しめているいちばんの大元はお金。
人々はお金の奪い合いに拘泥し、お金がないためにひとは苦しみ、あるいは時間も奪われ尊厳も奪われひとは死ぬ。作物や食べ物が捨てられ水も汚され、土も駄目にして我々の子孫さえ苦しめ、世代の生命を削り取る。世代間の殺人ともいえる。
そのお金のあり方や仕組こそ、我々が目をむけ、考え、どうにかしなければならない相手であるはずだ。

じゃあSDGsが錦の御旗、問題解決の道標かというとそうではない。あれはただのプロパガンダで、うわべの政治的なところでああだこうだといって資本集約するための道具だ。それはそれでいい。
たとえばそれで紛争を細分化、極小化して解決されたりなくなったりするものがあればそれをよしとしてもよい。つまり必ずしも悪くなるとは断言しない。やらなかったこと、そうならなかったことは分からないだけだ。
SDGsはただの政治的、ビジネス上の選択肢にすぎない。
何某かの係争紛争を解消し、また新たに産み出す可能性があるだけのものだ。人間がつくった仕組なんてそれ以上のものではありえない。
資本集約するための道具にすぎないビジネスが、それ自体でお金のあり方や仕組に起因する問題を解決できるはずがない。ただ所有権を書き換えるだけの道具が関与できるのはきっちりその身の丈までで、増大した先にまでは手が届かない、つまり解決はできない。

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